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【第26回】「食と愛をデザインする!」

第一線で活躍しているクリエイターをゲストに迎え、クリエイティブのヒントを探るトークセミナーシリーズ「CREATORS FILE」。

第26回 クリエイティブナイト
ゲスト:宮下大輔氏(飲食店プロデューサー)

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今回は、和食店「可不可」の経営をはじめ、飲食店や商業施設のプロデュースも手掛ける宮下大輔氏を迎えて「食と愛をデザインする!」をテーマに語り合います。

自分でも予想していなかった飲食への道

西澤:宮下さんとはイベントで何度かお会いしていて、そのたびにものすごく素敵な人だなと感じていました。その場にいる人たちが、不思議と周りに集まるんです。食の話はもちろん、今日は宮下さんの人間力の部分もぜひ引き出したいと思っています。さっそくですが、小さい頃から料理に興味があったんですか。

宮下:母親が『ミセス』や『家庭画報』といった婦人雑誌を定期購読していて、幼い頃はよく掲載されているレシピをスクラップしていました。実際に作ったこともあります。その原体験が今につながっているのかもしれませんが、料理を生業にしようとはまったく思っていませんでした。出版や広告関係の仕事に就くつもりで大学は文学部に進学しました。
 
西澤:それがなぜ料理の道へ?
 
宮下:大学生になってから、あちこちでアルバイトをするようになりました。そのなかでもいろいろな人が集まる「新宿二丁目」は面白くてどんどん深みにはまっていきまして……そこで空間デザインを得意とするスーパーポテトの杉本貴志さんに出会い、内装デザインのアルバイトをやってみないかと声をかけてもらったんです。
 
西澤:さらっとお名前が出ましたが、スーパーポテトの杉本さんと言えばデザイン界の大御所ですよ。無印良品をはじめ、インテリアの礎を築かれた重鎮中の重鎮。そんな方と大学生の頃に出会われたんですね。
 
宮下:はい。アルバイトの分際で図面を見ながら現場監督のマネごとのようなことをしていました。杉本さんは飲食店の内装をよく手掛けていらして、平面だった図形が店として出来上がっていく様子を間近で見られるのは本当におもしろかった。それが飲食店に興味を持つきっかけだったと思います。そうこうしているうちに、杉本さんから「世田谷の三宿にあるビルをまるごと後輩から引き継いだ。お前、そこで『春秋』という店の店長をやらないか」と言われまして。当時はまだ大学生だったのでさんざん悩みましたが、最終的には「やらせてください」と返事をしました。
 
西澤:大学は中退したんですか。
 
宮下:そうです。それからは店が入っているビルの一室に住みながら開業の準備に明け暮れる日々でした。と言っても、飲食店をやったこともなければ経営のこともまるで知らないど素人ですよ。工事がオープン日までに間に合わなかったり、一緒に働いてくれる人がなかなか決まらなかったりしたときは苦しくて「もういっそこの店を燃やしたほうがいいんじゃないか」と考えたこともありました。そのくらいプレッシャーに押しつぶされそうだったんです。でも、そういう性分なのか、一晩寝ると「まあ、なんとかなるかな」と思っちゃう。
 
西澤:すごいですね(笑)。
 
宮下:今でこそ栄えていますが、1980年代の三宿には何もなくて、どうすれば人を集められるのかだいぶ苦戦しました。加えて、スタッフは全員自分より年上で、その人たちに給料も支払わなければならない。「どうしよう」「何でこんなことに」と、何度も逃げたくなる場面はありましたが、それでも少しずつ人気が出てきて、1年ほどすると大繁盛店になったんです。その頃はデザイナーズレストランが珍しかったからなのか、芸能人もたくさん来てくださるようになりました。なかでも杉本さん経由でグラフィックデザイナーの田中一光さんが来店されときに「宮下くん、頑張りなよ」と声をかけてくださったのはうれしかったなあ。そうした出会いの中で、いつしか「この仕事を生業にしたい」と思うようになりました。
 
西澤:それにしても、強烈な20代ですよね。

宮下:運良くブレイクはしたものの、決して順調とは言えませんでしたよ。酒屋に支払いができなくて困ったことも一度や二度ではありません。あとは、ビルの施工業者が店の2階に事務所を構えていたんですけど、ある日突然倒産してしまい、債権者がやってきて「今日からうちが大家だから」と、ビルを占拠されたこともありました。最終的には業者が破産手続きをしてくれたので大事には至りませんでしたが……こんな感じで大変なことはたくさんありました。
 
西澤:それで、1995年に「春秋」を辞めて、新しく「株式会社ディーズ」いう会社を立ち上げたんですよね。

未経験者が料理人に⁉ 

宮下:何をするか決めないまま走りだしてしまったわけですが、「自分には店しかできないなあ」ということで、漠然と飲食店をつくることは考えていました。そんなとき、知り合いから「知人が所有しているビルの地下が空いているから、何かやってみたら?」と話を持ちかけられて、今で言う「クラウドファンディング」のような形で周囲の方々に資金の援助をお願いすることにしたんです。本当にありがたいことに、各方面の方々が手をさしのべてくださり、開業準備が整いました。インテリアはもちろんスーパーポテトOBが、グラフィックデザインはなんと小島良平さんが手掛けてくださってようやくオープンできたのが麻布十番の「暗闇坂宮下」です。2店舗目にして初めて自分で料理をつくることも始めました。
 
西澤:ここから調理経験がスタート! 飲食店経営者の経歴としては珍しいですよね。
 
宮下:そうですね。春秋のときは隣で見ているだけでしたから。周りからは「やめておいたほうがいい」と言われたんですが、でも、店名に「宮下」とつけてしまったからには包丁を握らないわけにはいかないぞ、と。

西澤:ああ、そうか。自分の名字を看板にしちゃったから。


\ 引き続き、宮下さんの食と愛のデザインに迫ります /
>> この続きは、エイトブランディングデザインWEBサイトで全文無料公開中。『食と愛をデザインする!】クリエイティブナイト第26回[ 前編 ]』へ

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