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Introduction-1 8番館を、憶えていますか。博多のゲイバーの歴史は、ここから始まった。

皆さんは、1965年に開店し、2014年に惜しまれながら半世紀の歴史を閉じた、博多区住吉の「8番館」というお店をご存じでしょうか。当時ゲイバーなど一軒もなかった博多区祇園町に、九州初のゲイバーとしてオープンし、二度移転しながら博多のゲイバー文化を開拓し引っ張ってきた、伝説のお店です。

そのオーナーである橋本さんは、元スタッフや当時のお客さんから「おかあさん」と呼ばれ、8番館なき後、今なお愛され続けています。


閉店数日前に撮影された写真。もうお店の整理に掛かられてボトル棚も空きが多くなっています。(提供/FORWARDキミさん)


祇園町時代は祇園町に、8番館を追うようにして多くのゲイバーがオープンしました。1965~80年代頃は、ゲイの街と言えば祇園町だったのです。そして8番館が住吉に移転してからは、住吉に次々にゲイバーが移転・新規開店し、住吉が今なお続くゲイタウンに発展しました。

それらのお店のオーナーは、かつては多くが8番館のお客さんだったそう。8番館が、おかあさんが、福岡にゲイタウンを創ってくれたと言っても過言ではないでしょう。

現在も住吉は、多くのゲイバーが軒を連ねる九州一のゲイタウンです。けれど時の流れとともに、“8番館のおかあさん”のことを知るゲイバーオーナーやお客さんは減ってゆく一方。

この街を育ててくれたおかあさんの軌跡を書き残し、多くの人に知ってほしい。そんな想いから、このnoteは立ち上がりました。


2022年現在、80歳を越えたおかあさんは介護施設に入所しており、コロナ禍の影響もあって、面会することも難しい状況です。そこで、おかあさんや8番館とゆかりのある方々への取材やインタビューを通して、おかあさんの人となりや、その魅力に迫ってみることにしました。

現在は福岡市内の介護施設に入られているおかあさん(写真右)の2022年現在の姿です。
8番館の常連だった3chさん(同左)から、写真を提供していただきました。



古いお話が多く、記憶の正確でない部分があるかも知れません。事実関係の誤りにお気づきの方がいらっしゃいましたら、ぜひ教えていただければさいわいです。


また、お読みいただいた皆さまの中に、おかあさんをご存じの方、8番館のご常連でいらっしゃった方がありましたら、ぜひその大切な想い出を、お聴かせいただけませんでしょうか。
もちろん匿名で構いません。

多くの方のお力で、8番館の賑わいと、今なお愛され続けているおかあさんの輪郭を、描き出していただけることを心から願いつつ、連載を始めさせていただきます。
温かい目でお見守りいただけますよう、よろしくお願い申し上げます。


Googleマップ・ストリートビューのタイムマシン機能を使って在りし日の8番館の外観を見ることができました。祇園町→住吉2丁目(ひょうたん池横)→住吉4丁目と移転した、最後のお店です。




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