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今年はどんな年でした?私はこんな年でした

今日は私自身の話です。
日記みたいなものです(笑)

訪問介護事業所

プロフィールにある様に独立して
「訪問介護事業所を開設する!」ってことが私の夢と言うか目標です。
で、今年中は仲間に声をかけて一緒に働いてくれる人を探したり、事業所の場所を検討したり、訪問介護のお勉強したりと今年はインプットな年でした。

今年の始めにサ責として異動

今年の5月の半ばにサ責として異動の話が来て4年半の間、介護未経験からお世話になった施設から新天地に行きました。
その施設も大好きな職場でしたが「独立起業」がその時はボンヤリと頭のスミにはあって
「独立するならサ責の仕事も経験しとくか!」くらいのものでした。

異動した先は過去のゲーム

5月の中旬、「サ責やってやるぞー!」みたいに息巻いていたわけでもないけど、異動先の職場はまるで4年半前に入社した移動前の職場のようだった。
管理者クラスの職員が現場に入らないと回らず新人は直ぐに独り立ちさせられ、あれよあれよと人が辞めていく。
移動前の職場の時は施設長が変わったタイミングで皆で「なぜ人が辞めていくか?」を話し合って徐々に働きやすい職場を作っていった。
「また同じゲームをやらなくちゃいけないのか」なんてガッカリしながらも自分が出来ることやり、伝えられることを伝えたつもりだった。


忙しいから人が辞める       人が辞めるから忙しくなる

結局「忙しいから人が辞める、人が辞めるから忙しくなる」の無限ループに入ってしまうとどうにもなら無くなり、そのループを立ちきるためには与えられた人数で作戦を練り直さなきゃいけないのに誰もやらないし、やろうともしなかった。
そう言った職場の特徴って「この状況をガラリと変えられるスーパーマン」みたいな居もしない人を求めだす。
「もっと長い目でみて改善しなきゃなぁ」なんて思いつつ自分の夢と言うか目標である「独立起業」を粛々と準備していたわけでした。

そんなこんなで仲間が集まり始める

独立起業の最初のメンツは二人。訪問介護事業所を開設するには常勤換算で2.5人。
つまり最低3人必要。
あと一人を連れてくるのは相方の役目にした。なぜなら相方の方が人脈があるから。
私の役目はと言うと訪問介護事業所に関する知識の吸収と『カイポケ』との連絡のやり取り。まぁ一言で言えばインプット出来るだけインプットしていました。
で、3人目はどうなったか?と言うと
「協力するよー」とか
「面白そう!」とかの声は聞くけど
「やろう!」と言う明確な返事を頂くことは出来なかった。
いや、割りと早い段階で明確に返事をくれた人は居たのだがフタを開けてみたら“無資格”で当然無資格だと訪問介護は出来ないから
「とりあえず初任者取りに行って!」とだけ伝え人員確保の話は振り出しに戻った。
その後、私の方でも声はかけるが良い返事を貰うことはなかった。
そんなこんなでカイポケの担当者から
「人員の方は集まってますか?」みたいな電話を家の最寄り駅に降りた時に受けた。
とぼとぼと自転車を押しながら現状を報告すると担当者からは「求人募集をかけますか?」と提案された。しかし求人をかけるとなると会社を立ち上げなければならなくて、その時の私の気持ちも「無理して5月の開業でなくても…」と思い始めていた。
なので5月の開業を7月に伸ばし自分達で人員を探すことにした。

学生時代の悪夢

大学生の時に野球クラブみたいなものを作ったことがあった。しかし、メンバーは揃ったがその後どう運営していったら分からず、うまくSOSを出すことも出来ず、数回何となく練習をしただけでチームは霧散した。
大したことの無いエピソードではあるが私はあの時の「結局自分は何やっても中途半端で人を引っ張る能力もないし何の力もないんだなぁ」となんとも言えない気持ちになったのでした。

結局何者にもなれないのか?

「じゃあ7月開業に変更ってことでそうなると1月には人員確保しなくてはならないので年明けにまた現状確認のお電話しますね。」とカイポケの担当者との電話を終えてふと大学の時の野球クラブを思い出した。
「俺はまた諦めるのか?やるやる言っといて結局やらずに無かったことにしてヘラヘラ過ごすのか?」そう思うと自分が凄くイヤになり情けなく思えた。

最初の職員は60代

そんなおり相方から「だいぶ年いってるけど…」と私達の事業に参加してくれる人がいることを報告された。その人は60代後半だという。
しかし、私はその時「この際仕方がない。」と言う気持ちではなく「いや、これからの日本は高齢になる人達を生かしてナンボだろう!」と訳の分からない内なる炎が燃えたような気がしたし、60代の仲間にもとても感謝の気持ちで一杯だった。

あれよあれよと仕事を任される

そんなこんなの裏側でと言うか表側?どっちでもいいけど今の職場では仕事をどんどん任される事になっていた。「Sallyさんなら主任出来るでしょ?」と異動した早々に副施設長から言われ「いや、私はサ責がやりたいんで…」と断ったのを始め、嬉しいことに次の役職に繋がるような仕事をドンドン振られていく、そんな中で私は「来年には辞めることになるし、その事を内緒にしてる訳じゃないけど、そう言った夢と言うか目標がある事を言わないでこのままいるのもどうなのか?」と思っていた。
その矢先…

こいつは運命か!?

60代の職員がみつかったのが先月の話。何だかんだで2.5人は確保できたし、そろそろ職場にも自分の考えを伝えなきゃなと思っていた。ただそういうこと伝えるのって何となくタイミングが欲しくてグズグズしてました。でつい先日、施設長に呼び止められ面談室へ
「俺と一緒に異動しない?」との事。
なんでも一番頑張ってるから連れていきたいとの事。今はサ責といっても副サ責だが異動したらメインでサ責の役に就くと。
正直迷った。
人数が集まったとは言えまだ3人。しかも動き出してもない。船に例えると出港どころか「船作って旅にでない?」と盛り上がってる奴らが3人いるだけ、船のこぎ方も作り方も知らない。
そんな不確かな道を行くよりも他人の船で他人の行きたい島を目指すのも悪くないだろ?その島にも宝はあるかもしれないし。
だけど、それで満足か?自分は「やりきった!」と思えるか?
たぶん、そう思うだろう。「これでいいんだ。」と折り合いを就けるだろう。だけど、折り合いを就ける時点で心から「やりきった!」って思ってない。自分が目指したい島があるのに他人の目指す島に行き、たとえ凄い宝を見つけても心からその宝に満足するか?違うだろ!自分が行きたい島があるから自分の船を作ろうと思ったし船員も集めた。行きたい島があるんだろ?だったら目指そう!未来の事なんか未来になら無いと分からない!!選んだ道で頑張ればいいんだ!
と実際の時間は10秒程だと思うが体感では1時間ぐらいに思えるほど悩んだ末
「実は独立起業を考えてまして…」と自分の考えをしっかり伝え異動の話はお断りした。

どの道を選ぶか? 
じゃなく選んだ道でどれだけ頑張れるか?が勝負である

OWNDAYSの田中社長が「道の選択はたいした意味を持たない。皆ウルトラクイズみたいにまるバツ問題みたいに考えるけどどっちを選んでも楽しいこともあるし苦しいこともある。だからどっちに行くかはたいした意味がなくて自分が選んだ道でどれだけ頑張れるかが大事だ。」と『大きな嘘の木下で』と言う本の中で書いていたが本当にそうだと思う。

大きな嘘の木の下で ~僕がOWNDAYSを経営しながら考えていた10のウソ。~ (NewsPicks Book) https://www.amazon.co.jp/dp/B08699NMMH/ref=cm_sw_r_apan_glt_0FRZ6C3M3N0PJC6D84M2

不安と希望とワクワクとドキドキ

不安はないわけじゃない。怖くない事もない。だけどワクワクドキドキしてて、まるで修学旅行の前のよう。だけど今回の旅は行ったら行ったっきり後には戻れない。むしろそれで良い。
大学の時の野球クラブみたいに霧散することの無いよう、とにかく動こう。「分からない!助けて!」って声をあげよう。
「まぁいいか、」なんてホッポリ出さずにしっかり向き合おう。
やりたいことがある!行きたい島がある!もしかしたら宝はないかもしれないけど今はそれで良い。行ってみないと分からないじゃないか!!
選んだ道で頑張るんだ!楽しみながら🎵
「出来るか?出来ないか?じゃない!やるんだ!!」

あとがき

ここまで読んでくれてありがとうございます。そして6月から書き始めた拙い文章のnoteを読んでいただいて光栄です。今年の投稿はこれで最後になります。来年からも隔週で更新していきたいと思います。前述しましたが今年は本当にインプットな年でした。来年は盛大にアウトプットしてやろうと思います(笑)
まだまだ未熟者ですが来年も変わらず見守っていただけたらと思います。
最後になりましたが今年もお世話になりました。どうか皆さん良いお年を。皆さんのご多幸を願っております。

2021年12月20日

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