12歳の時、新聞配達して思ったこと
小学6年の時。友人と仙台に遊びに行きたかった
親にお金が欲しいとは言えなかったので大阪からの旅費は自分でなんとかしようと思った
下校途中に新聞屋さんがあった
テレビかなんかで子供が新聞配達してるシーンを見たことがあり、
私にもやらせてもらえるかもしれんと思い
中に入っておじさんにお願いした
「一応、きみの家に電話するから番号を教えて」と言われ
その場で電話、母親は出て、オッケーしたようで
働けることになった
旅行へ一緒に行く友達も「わたしもやる」と言って、初日は来たが
次の日から来なかった
朝刊だけやらせてもらった
100部くらいだった
雨の日が大変だった
自転車だから運ぶのも大変で
犬がいる家では吠えられるし
朝はまだ暗いし場所も覚えないと間に合わなくて
学校が終わってから場所だけ復習したりした
大変すぎて
1ヶ月の約束だったけど最終日は体調を崩して行けなかった
お給料は働いた分もらえて、
仙台へは行けて
その旅行は大変に楽しかった
しかし、労働というのはこんなに大変なのかと
結構、絶望した
自分の気持ちとは関係なく毎日やらなければいけなくて
お金がないと生きていけない社会の中で歳をとっていくなんて私には出来ない
悲惨や
残酷物語や
この経験が、
芸術家として生きていける人生にしようと
未来の自分と約束した理由のひとつでもある
あの時、わたしを受け入れてくれて
体験させてくれた新聞社のおじさんには深く感謝してる
「何考えてんの?!」と怒りつつ、やらせてくれた母親にも感謝してる
大人になってからの新聞配達は300部くらいだったので、
子供用に枠を考えてくれたんだなぁというのも、後からわかった。
優しくしてくれて、おじちゃん、ありがとう^o^