電車で危険人物から離れようとしたら恐ろしい事になった話

友人と電車で立っていると、酒に酔い気が大きくなったオヤジがくだを巻き、座席を立ったり座ったりなどして車両に緊張が走った。

元気がある事はよろしいが、オヤジの両サイドの席のみ空席となり、オヤジは明らかにこの車両で警戒されていた。
赤子と幼児を連れた母親がオヤジから距離をとろうとしていたが、荷物が多く思ったように離れられず不安そうであった。
せめてこのオヤジの視界に母子が入らぬようさりげなく間に入ろうとした矢先、電車が揺れ私はオヤジの方角へよろめいた。

気がつけば、オヤジは初対面の私に壁ドンをされるという不気味な事態となっていた。
さりげなく視界を遮るどころか、ダイレクトにオヤジの視界を私で埋め尽くしてしまった。更に着地時に勢いあまり、私の口からは
「キウィィイ‼︎‼︎」
などと、キウイフルーツの断末魔のような高音が発せられた。

例え美男美女の所業であったとしても、キウイの件りが邪魔をしロマンスが始まる事はない。
まだ壁ドンだけならば、事故として許された事だろう。
しかし、キウィィイは駄目である。
キウィィイのせいで不審者指数が上がってしまった。

一先ず体制を立て直し誠意が伝わるようオヤジの顔を見つめ謝罪し、そして故意ではない旨を説明したが
「どうしても抗えなくて、やってしまった」と「電車の揺れに」という重要な主語が抜けた為に、オヤジの魅力に抗えず壁ドンをしたという衝撃的な犯行供述と化した。
奇しくも言動が一致し説得力が出てしまった。

オヤジは非常に目を泳がせた後
「……そう……ですか……」
と声を絞り出した。
先程と打って変わって何故か敬語であった。

オヤジの消沈ぶりに、私も心許なくなり友人の方へ視線を向けた。
友人は大衆にその身を潜め、己の存在と私との関連性を限りなく薄めていた。
車両で共に肩を並べ語り合った友はもういない。いるのは大衆に紛れた裏切り者だけである。

しかし、オヤジに怒り狂われなかったのは不幸中の幸いであった。
オヤジは先程と同じオヤジと思えぬ程、静かになった。敏腕トレーナーによる愛犬の躾番組が頭を過る程の変貌ぶりであった。
荒ぶるオヤジが鎮まった今、本来ならば車両に平穏が戻る筈である。
しかし、いまだ緊張が漂っているところを見ると、皆の中で私はオヤジと上位互換の不穏な存在として認識されたのかもしれない。

ふと幼児が足が疲れたと言い、母親に
「もう電車降りたい…」
とポツリと呟いた。
私も早急に電車を降りたい。

母親も、何ならオヤジもそう思っていた事だろう。
我々は足ではなく精神に疲労を迎えている。

友はいまだ戻らず。
大衆の一部となっている。
許されるならば私もあちら側へ行きたい。
事の顛末を見守る、傍観者となりたい。

我々車両の者達は静かに時を過ごした。
明らかに海へ行く装備の学生達も、はしゃぐ事なく下を向き、口を閉ざし何かに耐えていた。

休日の電車とは思えぬ静けさであった。


【追記】
途中、私の熱視線に耐えかねたのか友人がついにこちらに背を向け始めた。
「……本当は気づいているんでしょう?」
などと、何かの怪異のように執拗に語りかけてやろうかとも思ったが、いよいよ己が不審者となり車両の緊張感が限界を突破しそうなので引き続き見つめるだけにした。
しかし、一向に目は合わなかった。


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