病院で言いがかりをつけられ上手く言い返せず酷い事になった話

雑居ビルの中にある病院へ行ったところ、その日は雨にも関わらず非常に混んでおり、院外の廊下にもその列は及んでいた。

並ぶ人々は少々殺気立っており、雰囲気を察知した赤子はぐずり、更に一人で恨み言を呪文のように詠唱するオヤジがその場の緊張感を増長させていた。

受付に用があり室内に入ろうとすると呪文詠唱のオヤジが順番を抜かされると思ったのか
「抜かすなよ」
と、私に声をかけ、場の空気が張り詰めた。
私は誤解を解こうとし振り向いたが、その際ドアストッパーに足が当たり、古い物であった為かドアから
「んああぁぁぁー」
と、おっさんの断末魔の様な音が響き渡った。

仕事帰りの憔悴しきったサラリーマンが、何らかの穴に落下した際に発しそうな声色であった。
空気は先程とは違う類の張り詰め方をした。

皆の視線がこちらに集中している。
私が発した声だと思われたかもしれない。
私はどうしたら良いか分からず、何となく近くにいたガタイの良い男を見つめた。
「え……俺じゃねえよ……」
男は私の視線を察知すると、音源元だと思われぬように弁解した。
私も誤解を解く為、「自分の声でもないです」などと発言したが、喉を壊していた為に私の声帯にプロレスラーの天龍が舞い降り、低く掠れた声となった。
絶対お前だろと全員思った事だろう。
勇気を出して声を上げたというのにおっさんの断末魔の発生源としての説得力がより高まってしまった。

しかしながら、ドアは元の開いた状態で固定せねばならない。
私はドアをストッパーで固定しようとしたがなかなか上手くいかず、ドアを小刻みに揺らすばかりとなった。
「んぁ、んぁ」とドアからおっさんの声が響いている。
ドアに浮かばれぬオヤジの霊魂でも憑依しているのだろうか。
私がドアの固定に手こずる程に、ドアからおっさんボイスが鳴り響き、気まずい雰囲気が漂った。
先程のぐずる赤子や、一人で延々と喋っているオヤジなどまだ可愛いものであったと、皆想いを馳せた事だろう。

近くにいた赤子の母親が肩を震わせ限界を迎えそうであったので、私は一拍置いた後にドアをそっと動かす事で音を出さぬようにする作戦にでた。
しかし、ドアがそっと
「…ンァァ…」
と、囁いただけであった。
母親は撃沈した。
何故に我々はこのドアにこんなにも苦しめられているのだろうか。

他に誰かが会話なりして音を発っしていれば少しでもこのドアの音は紛れた事だろう。
しかし、今や誰一人言葉を発する者はいなかった。
先程まであんなにも一人で喋っていた呪文のオヤジですら、今や下を向き黙っている。
今こそ出番だというのにこのオヤジは肝心な時に一体何をやっているのだろうか。
もはやオヤジの呪文詠唱が恋しい。

私は受付に助けを求め目線を送ったが、受付の者は既に涙目となり誰よりも悲惨な状態にに陥っていた。
奥から現れたベテランの受付の者が対応してくれたが
「コツがいるのよ、これ」
と、言ってドアストッパーを蹴り込むと、ドアは野太い断末魔をあげた後、固定された。
皆、脳裏に蹴り込まれる不幸なオヤジが過った事だろう。

その後は静かなものであった。

【追記】
その後、順番が近づくにつれ院内の席に座れるようになった。

私は診察室の真ん前の席に腰を下ろしていると、先程の赤子を抱えた母親が診察を終え出てきた。
私と目が合うと、ドアの断末魔の記憶が誘発されるのか口元を緩ませ若干声を漏らしながら露骨に目を逸らした。
その後、ガタイの良い男もこの母親と全く同じ末路を辿る。


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