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人間の怖さ『トゥルーマン・ショー』(1998)

人は誰だって神になりたい。そんな人間の欲求を感じた。

『トゥルーマン・ショー』(1998)は、アメリカで制作されたSFコメディ映画。主人公のトゥルーマンは保険会社の営業を務める普通のサラリーマン。しかし、実は彼の周囲の人々は皆俳優、そして彼が住む世界はドームで作られた巨大な撮影セットだった。車の中で流れるカーラジオ、そこから世界の真実に気づいたトゥルーマンはこの世界から脱出を試みる。

ジャンルとしては、SFコメディに区分され、映画の中では笑いを誘う場面もあるが、この映画が取り扱っているテーマ自体は笑えるものではない。リアリティーショーが流行している現代なら尚更そうである。

この映画は、人間の欲望を見事に表している。この映画で一番怖いのは、視聴者であり、さらにはこの映画の視聴者、つまり私自身である。映画では、視聴者がトゥルーマンが制作陣の追跡から逃げ切ることができるかどうか、賭けをするシーンがある。ここでは視聴者がトゥルーマンの人生をまるで我がモノのように扱っているように見える。

「彼の人生は私の思い通りだ」

もし、賭けが成功すればそれはトゥルーマンの人生が我がモノになったことを表すし、失敗すれば憤慨する。ここでは賭けの成否が重要なのではなく、「賭け」が行われていることそれ自体が怖いのだ。

それは見ている私も同じだ。彼に感情移入し逃げ切ってほしいという願望をいつの間にか持っていた。応援、なんで言えば聞こえが良いが、この応援の背後には「彼の人生を私のものにしたい」という願望が隠れている。

人間が他人のことを支配したいという、「支配欲」をこの映画は見事に表現している。

現代では、リアリティーショーが数多く放送されて、我々にエンタメを提供しているが、そこにエンタメ性を感じていることに少し恐怖を覚えなくてはならない。

エンタメで終わればまだ良い。これがTwitter上での炎上に繋がるのがトゥルーマン・ショーで表現したかったもの以上の怖さを秘めている。

人の人生を見ることで神になったつもりになれる、そんな番組は最高で最恐のエンタメなのかもしれない。

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