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愛あ~るギャンブル展示施設の文化財展示発信=Japanese Tradditional Gambring: TOBA=で暴力団解体と並行せよ

「規則は権力から人を護るための規則と人の世でありつづけるために人を規則するものでもある。しかし、人の規則は、規則し規則されることで逆に権利をも生み出すものである。」
人権活動家でなくとも、規則と権利の関係は熟知しなければならないし、安易に規則を作って規制しさえすれば人々の幸せが訪れるという妄想は捨て去るべきでもある。
しかし、一旦規則を人々の側につけて一定の動員力や強制力を伴ってでも周知・習得を成果としたいがために規則化する、という場合もある。

外国製のIRを誘致する(つまりゲーム機器や施設やホテルやリネン・寝具のブランド名使用料に至るまで)事にどれだけのムダ金(ライセンス使用料金)が動いていると思っているんだろう?「アガリ」だけを見て収支を語ったような話題はくそくらえだと思う。
人がギャンブルやゲームを楽しみたい、という嗜好性はどんな民族だろうとどんな市民社会だろうと持ち合わせている。本能に限りなく近いものである。しかもそれが一攫千金というショッキングな一瞬によって「あたり」を引くことで今まで経験したことがない金銭を無駄遣いできる口実が与えられる、そんな身勝手に好都合な事が数秒間の行動連鎖で実現できてしまう。
実は豪華な設備や豪華な衣装、食事に酒とホテル、といった外側のムードや雰囲気でギャンブルが楽しくなっているわけではない。そのことは日本のパチンコ店の粗末な演出やおしぼり配布程度でお客は満足していることを想えば「バブルの夢よ再び」といった妄想の産物で「IR誘致」と言っている程度のものだと多くの人は看破している。「国体誘致」で無駄な競技場や体育施設ばかり作って見せかけのインフラ整備と宿泊施設の見せかけの「うるおい」はあったかもしれない、だが、巨大施設や宿泊者の誘致活動の維持費と第二第三の「見どころづくり」で地域行政ひいては本来の価値ある地域の魅力が破綻しているではないか。

<JAPANESE Taditional CASINO=TOBAこそ文化財に動態保存すべき>
神主家や霊能者が世襲であるように、文化財は動態保存されるべきだと思う。そのぐらいキリスト教社会の尺度を急に絶対化したような法律を抜きにしておいて、繊細な伝統文化を駆逐するのはいかがなものかとさえ思う。
ボディペイントやTATTOがよくてなぜ刺青がいけないのか?実は暴力団追放の各種法令があるから、という以外に何の根拠もない。
それゆえに世界中のボディペインター、ボディアートの分かる人たちが神業だとほめたたえ、憧れを抱いているのに、日本社会では弾圧の対象にすらなっている。ほとんどの銭湯や日帰り温泉施設でも目の敵にされている。
おかしな基準があったものだと思う。
収益の胴元を霞が関がとりたい、税収としたいのだ、であればきちんと文化財として動態保存をし展示品として賭場や刺青を保護すべきだと思う。
それでも反社会活動を繰り返す輩は公務執行妨害なり国家反逆罪で処罰すればいい。
しかし、壺ふりだろうと花札だろうと、日本の庶民の中で機能してきたアングラ文化とその魅力を展示品として開示しつづけることでお金をおとしてもらう、ということであればもっとエキゾチックで、ユニックで、面白い経験を丸ごと提供できるではないか、しかも「ライセンス料金ゼロ」でやれる。つまり全部純益でまわせるわけである。これほど優位にたてる商売はないだろう。
なぜ、優れた文化財として保護しないんだろうとさえ思う。
日本伝統カジノとして「TOBA」を動態展示する。TOBAの中だけで通用するローカル通貨に入り口でチャージをして入場。換金スポットは政府金融機関が代行し還元後の現金は直接手渡さないぐらいの配慮はできるだろうし、国営化しインバウンドをあてにするだけの美しい刺青や衣装、髪結い、舞台装置、パチンコ、スロット、花札から壺ふり賭博、セックスワーカーに至るまで最高水準のサービスを提供できるようにする。すべて文化庁の管轄にし、黒字を埋蔵文化財保護や神社仏閣の修復、オペラ・カブキなどの振興にも充てるようにする。教材としてなぜ賭け事やギャンブルにハマるのか、ギャンブル依存や薬物・セックス依存の学習教材にもできる。
プラスの側面からお膳立てをしていくことで、収益性が高まるだけでなく、ケアの水準も上げることができるではないか。警察国家に仕立てていくだけが「安全安心の社会基盤」ではない。フグの毒やアクの強い野菜を食べるための処理やライセンスがあるのと同じようにきちんとライセンス管理をする。定期的な薬物検査、性感染症の検査も実施してもらうことから初めてもらって構わないし、展示として働いてもらうわけだから従事者はすべて給与で働いてもらう。特別公務員である。

<安心安全という排除のフラッグは税金の浪費。人口減少社会では税金を稼ぐ仕組みにシフトチェンジすべき>

排除しラベリングをしたところで、刑務所の経費や捜査経済上のマイナス面がデカいではないか。
もちろん、市民への危害が及ぶ問題、たとえばギャンブルに積んだお金の取り立てが暴力的になったり、薬物売買と売春あっせんなどで返せと迫ったり。これでは本末転倒だし生ける展示物として特別公務員になってもらう意味がない。
しかし、3.11のあとどれだけの経済搾取があろうとも自ら原発の処理作業に命がけで赴いていった元反社の人たちを何人も私は目撃している。

「今日でみんなとお別れします。明日から福島の処理現場の仕事に入ります」
出征兵のような面持ちで現場に向かう人たち。
依存症専門デイケアの人たちの中からも大勢出て行った。どうせ回復したって年齢的にも就職口はない。最後世の中のために命かけてでも自分はみんなのためになることをしたい。そういって原発に向かっていったヤクチュウのおじさんたちが大勢いた。そんな人たちにクズだのなんだのいって唾棄したり憎悪や排除の念を抱く人たちを僕はむしろ軽蔑する。外側からつけたような正義よりなぜこの人たちが自由に職を得ることも医療につくことも阻害され暗黙の迫害をうけねばならないのか。こんな純粋な無償の愛の衝動で出ていく人たちが悪であるわけがないのだ。

さて、なぜそのような事を言うのかと言えば、当然のこととして、これらの人たちの多くが刺青一つで銭湯ひとつ入れず、銭湯業界は業界で生活保護で困っている人たちを刺青があるなしで排除しておいて産業が続かないなどというのは虫がよすぎるというべきだ。


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