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第二章⑬~たった一人での出産~

父親は、借金&酒乱&DV。
母親は、DVを煽る&浮気&子供を平気で裏切る。
さらに極貧という機能不全家族で育つ。
そんな毒親達の呪縛から人生こじらせた私の復活奮闘記を書いています。
第一章は、幼少期~結婚まで。
第二章は、モラ夫との結婚~離婚まで。


結婚後、実質的な距離は毒親から離れてはいたけれど、心はかき乱されていた。

泣きながら、やっとの思いで、毒親の電話番号を着信拒否にした。


「これからは、子供のために生きよう。」

この時子供がいなかったら、きっと私は生きる気力を失っていただろう。

そして、威圧的なところは度々あったけれど、子育てに前向きな元夫を見て、2人目を考えるようになった。


それから…。

2人目を妊娠し、予定日が近づいたころ、夜中に陣痛が始まった。

これは10年以上前の話で、コロナの時期ではないのだが、たった一人で出産をすることになった。

夜中という事もあって、元夫が「上の子を見ているから。」という事で、5分間隔の陣痛に悶えながら、タクシーで産科へ向かった。

産科へ着くと、「本当に一人で来たの?」と驚かれた。

そう言われ、「あー、私って孤独なんだなー。」って改めて感じた。


助産師と女医2人に両手を突っ込まれるという、安産とは言い切れないほど、結構大変なお産ではあったが、何とか翌朝には息子と出会う事が出来た。

生まれたばかりなのに、母を認識しているような姿に絆を感じた。


息子が生まれた事を、元夫に連絡したところ、両親達へも連絡をすると言ってきた。

私は、散々苦しめられてきた両親…特に毒母へは連絡をして欲しくなかった。

上の子を産んだ時も、暴言を吐かれていたからだ。

結婚式の連絡でも、出産の連絡でも、暴言を吐く毒母の様子を隣で見ていたはずの元夫。

毒母の暴走に、今までしてきた帰省も出来なくなった私の様子を隣で見てきたはずの元夫。

それでも、私の辛さは理解できないようで、孫が生まれてきた事を喜ぶに決まっていると思っていたようだった。


でも、前回のように、車で3時間位の距離にも関わらず、面会可能な時間になった途端、来てくれたのは義両親だった。

私に優しい声をかけ、生まれたばかりの息子を嬉しそうに抱いたり、上の子も含めて写真を撮ったりしていた。

こういう、一見普通の事が特別な事のように感じた。

自分の両親は、入院中一度も、産院へ来ることはなかったからだ。


しかし!

孫を可愛がる義両親との、ほのぼのとした時間をぶち壊すのは、やはり毒母だったのだ!

そのあと、義母に告げられた言葉は衝撃的なものだった。

そう来たのか…毒母よ!


続きます!




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