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人生の責任とは。責任の価値とは。

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「責任感」

人間は人生の意味を「責任感」を通して見つけるものなんです。

人生の悲劇や不幸、失敗への対処法は…
人間はいずれ死ぬという事を受け入れこのゲームを最大限にプレイする事。

そして不思議なことにその意志が自然と解決策へと導いてくれる。

成長に犠牲はつきものだ。

一つの可能性を具現化する為に子ども時代の無限の可能性を犠牲にしなければいけない。
それは何故か、
一つは、いずれその時が来るからだ。
自分で生き方を選択するか30歳になるまで先延ばしにすることになる。
更に最悪なのは40歳だ。
決して幸せな日々は送れないだろう。
25歳の時に馬鹿にしてても特に問題はない。将来性は存分にある。
では同じまま30歳になったとしよう…
周りはそこまで期待しなくなる。「この10年間何してたんだ?」とね。
「まだ自分探ししてるよ」なんて言ってる場合じゃない。それじゃ「年取った幼児」だ。それ程見苦しいものはない

犠牲を選ぶ理由は、それが不可避だからなんだ。
それでも最低、自分で選択はできる。
そして更に複雑なのは…

子どもでいる事の問題は、潜在力しかないということなんだ。
何でもなれるが、何にもなれていないという事だ。

だから見習い期間を設ける。
そうすることで「何か」に成ることができる。

そうする事で世界が広がるんだ。

もし腕の良い配管工なら、それ以上の存在にだってなれる。
従業員雇、経営をし、他社を教育して、社会を支える柱となり、家庭を持ち…一時的な見習い期間を経る事で、自身に制約を設け、成長し、そして完了した暁には新たな可能性が広がるんだ。

これについてカール・ユングは、
最後の半生の正しい成長方法は見習いになる事で置き去りにした。自身の子どもの部分を再発見する事だと言った。
そうすることで何かになることができる。
自身の潜在力を再獲得することができると。

責任感が人生に意味を与えるんだ。
では、究極の責任を負えばいい、と言うかもしれない。
そうすれば究極的に意味のある人生を送ることになるんだ。
それ程意味があれば、困難にあったり、人生が悲劇に基づいても、価値があるんだ!


人生は大変だ。そこに疑いはない。
もし幸運が訪れたり、幸せが実現するならばそれらをありがたく思うべきだ。

(中には責任を持つのが難しく。また、責任が重圧になってしまう人もいますよね?)
ある程度の重圧は避けられないですよ。人生は苦しく、死は等しく訪れます。
中には非常に困難な状況にいる人もいるでしょう。しかし、誰もが皆、人生に一度は困難を味わうはずです。
責任を持ち困難の道を上がっていくしかないんです。
公平ではないんです。

心理療法士としちぇ20年勤め、残酷な人生を歩む人がいることを十分理解しています。
誰も想像できないような恐怖を目の当たりにしてきました。
あらゆる方法、次元で傷ついた人々を…苦しみや憤り、暴力は役に立ちません。極度の重荷を背負っていても這い上がらなければいけません。
それは責任であり、罰ではないんです。
誰のせいでもありません。

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今どんなに辛く苦しい状況でも立ち上がろう。這いつくばってでも這い上がろう。悩み苦しい今を一生懸命生きているのは君だけじゃない。

そして君なら、、、僕なら、、、きっと出来る。
出来ない事なんて1つもないんだ。

未来が今を創り、過去が未来を創造させる。
すべては今この瞬間、瞬間大事。生きよう。今を、未来を、。

多くの方の、「一歩に」「きっかけに」「気付きに」なれ♪ サポートありがとうございます!!