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教育に対するポリシーと苦悩

救急を専門にしている私は教育に情熱を持っています。
救急外来では研修医の子たちと一緒に仕事をするため、その子たちが成長しないと、患者さんに不利益が被ります。
もちろん、本人たちも自力で頑張ることも必要ですが、モチベーションのサポートや学び方、実質的な知識面をサポートしなければなりません。そこで私が教育に対して持っているポリシーを伝えていき、これから教育をしていく人の一助となれば幸いです。また苦悩している人にこんなやつもいるからもう少し頑張って見ようかなと思ってもらいたいとそう願います。

1.なぜ教育するのか

効率がいいから

一つは効率がいいことが挙げられると思います。自分が成長することで得られるメリットは組織全体のメリットとしては少ないと思います。すでにある程度の年数になっていくと、成長は頭打ちになってしまうと考えます。自分が成長するとすでに年数を重ねていると能力が5⇨6くらいになったところで組織は1しかメリットを受けられないですよね。
しかし、初学者、まだまだ伸びしろのある研修医たちを教育することで、組織全体としてのメリットは自分個人が成長したことよりも大きなメリットを受けます。もし研修医が10人いたとして能力が1⇨3くらいになったとしたら、組織としては20のメリットを受けられるわけです。(数は便宜上です。自分がより優れているというわけではなく、年次として近似しました)

outputの機会になる

もちろん自分の勉強もしなくてはなりません。自学だけでは先述の通り1しか成長しなかったとして、outputによってより記憶に定着するのであれば、それは2の成長になるかもしれません。受講者にうまく伝えて、うまく教えるためには、こちらは教えることの、2倍、3倍のことをinputしたり、準備したりしなければなりません。それにより、記憶は定着しやすいのではないかなと思っています。

しなければならないから

そもそも、部門上。しなければならないというのが最も大きなモチベーションかもしれません。教育者として、自分で知識を吸収できるようになるまで、ある程度のbaseの知識をつけるまでは教えないといけません。雛鳥も、最初は食料を与えられる必要がありますよね。それ以降は食料を自分で取る方法を教えてもらいながら独り立ちしていく。そんな過程が教育には必要なのではないかなと思っています。

自分の子供にも応用できる

教育方法や、理念など勉強していくことで、自分の子供にも使えると思います。怒らずに、また、餌で釣ることもせずにモチベーションをつけてあげること。また、言葉では説明できない年齢では他の手段ではないか、伝わらなくてもできるだけ言葉で説明してあげることなどを意識しています。理由を説明してあげるんですね。ただ、頭ごなしに怒る、餌で釣るよりも、少しでも雰囲気で理解してくれるのではないかなと思います。(また別の機会にかければと思っています。)

2.デメリット

時間がとられる

どうしても準備に時間がかかってしまいますし、実際の勉強会にかかる時間もかかってしまいます。それでお金がもらえるわけではありません。自分でもこんなに時間をかけて、他人のためにこれだけやるのはお人好しか?と疑念が湧くこともあります。

教育による苦悩も増える

・周りはなんでもっとやってくれないのかな?と苦悩する
自分は教えることが好きだからやっている。
そうは言いつつ、自分に負荷が溜まっていくと、そう思うことも少なくありません。
もっと組織だって、周りを巻き込んでやっていきたいと思いながら、徐々に教育者を増やしていきたいと思います。

・全員参加してくれないという苦悩
勉強会は自由参加で行っています。勤務外でやることですので、強制はできません。その勉強会では、参加してくれる子は毎回のように参加してくれて、参加してくれない子は、全然参加してくれません。
「おいおい、勉強会参加しなくて、できるんでしょうね?」
と、思うことも多々あります。
なぜなんでしょう。人によって価値観は様々ですし、
「絶対ためになると思うんだけどな、、アンケートをとってニーズを確認してみよう。もしくは、勉強会が面白くないのかも、、」
そんな苦悩は教育をしていなければ思い浮かびもしないでしょう。
強制的に参加させられた側は、学びのマインドセットもできていないですし、参加したとしても定着率はすくないでしょうね。
徐々にモチベーション高い人、参加者を増やしつつ、勉強会に参加するのがあたりまえという、雰囲気、文化ができてきてくれるといいなと思っています。

・バーンアウトしてしまう?

経験という要因はその一つです。コーデスとドハティ(1993)は未経験な人ほど、達成への期待、職務それ自体への期待、そして、職務の遂行をサポートする組織への期待が高いことを指摘しています。(中略)相手のことを真剣に考えるあまり、消耗のサイクルに踏み込んでしまうことが予想されます。

バーンアウトの心理学 久保真人

このような苦悩から、私はバーンアウトハイリスクだなと自覚しています。自覚しており、危ない時は少し引こうと思っているので、コントロールは良好だと思います。楽観的すぎるでしょうか。
バーンアウトは引用にある通り、未経験な人ほど陥りやすいと書かれています。逆に言ったら若手の特権とも取れます。一緒に仕事する人もバーンアウトならぬ、燃えている情熱的な人と仕事したいなと思います。しかし、本当に燃え尽きてしまう人もいます。お近くに危ない人、リスク高そうな人がいたら、救いの手を差し伸べていただきたいと思います。なかなか自分では言えないんですよね。周りの期待も感じることですし。こんなキャラクターの人は、サボるのは悪いことにも思えてしまいますからね。バーンアウトについてはまた別の機会に書きたいと思います。

3.教育に対するポリシー

あくまでサポート

これから研修医の子たちは自分で勉強していかなければなりません。専門の科に進んで、必要に迫られたら自分でモチベーションをもってやり始めるかもしれません。その時の練習として、研修医のときから学び方を身に着けていってほしいなと思います。
論文の調べ方、日本語ではどう調べるか?先輩にはどう聞くか。
また、勉強法だけでなく、勉強と臨床と、家庭とをうまく回していく、仕事術、ライフハックも時折教えています。
これも効率の話になりますが、知識ももちろん教えますが、それよりも知識を自分で吸収する術を学んだほうが、さらに効率がよいですよね。勉強会で1⇨3、自学で3⇨7にみんなが自学で上げてくれるようになると、さらなる伸びが期待できます。

「青は藍より出でて藍より青し」
みんなには、僕なんか軽く超えていってほしいと思います。

だめなことはだめと言ってあげる

bedsideや実臨床ではしっかり「だめ」と言ってあげることが必要だと思います。オンラインや勉強会では、全く言いません。すごく優しいと自負しています。どんなに的の外れた質問でも、肯定してあげてから回答するようにしています。
実臨床では患者に不利益も被りますし、研修医であろうと給料をもらっている時点でプロです。それが果たせていないのであれば「だめ」と言ってあげないと、本人のためにならないと思います。もちろん伝え方は気をつけますよ。他の同期がいないところで、理由をつけて言ってあげるとか。サンドイッチ法とか言われますが、救急の場で、ほめて⇨叱って⇨ほめて。というのはやってられません。直球勝負です。
その代わりといってはなんですが、勉強会では全く言いません。そもそも参加してくれている時点で、私は嬉しいです。さほど真剣に聞いていなかろうが、強制でない勉強会に参加してくれている時点で、感謝しかありません。本人のためですが、自分の時間を使って参加してくれているのですからね。嬉しいものです。そのような子たちには、どれだけ時間を使ってあげても惜しくないと思います。どんな質問も受けて、答えられる範囲では答えて、わからない所ははっきりわからないと答えて、後で調べて共有します。適当に答えるより、正しい知識を伝えるのが、義務ですよね。

失敗したことを主に伝える

失敗したことを多めに伝えるようにします。
成功して
「こんなことできたんだぜ」
と、自慢しているよりも。
「こんな、患者さんが来て、こんな失敗をした」
といったほうが、身近に感じて、より吸収してくれると思うんですよね。
個人的意見かもしれませんが。
救急では、失敗は繰り返されると言われています。
失敗は全国のどこかで、以前されている失敗であることが多いです。そのための本も数多く出版されていますし、そこから「はっ」と、気付かされ、自分を鑑みることがおおいです。
先輩から教えてもらったことも、成功よりも、失敗の体験談のほうが、記憶として残っているものです。

自分も人間として成長する

「教育者は人格者であれ」
そう自分に言い聞かせて、教育に関わっています。
尊敬する人に言われたことは、すっと心の中に入ってきます。
ここまでの人生を変えてくれた先生は、小中高大学の先生、部活の先輩、職場の先輩と多くいました。その先生方は厳しくも、人格者でありました。(当時は微塵も感じませんでしたが、親の心子しらずというやつですかね)自分たちのことを真に考えて、結果厳しかったのだと思います。その先生方に鍛えられて今の人生がありませす。そんな先生に、またそんな人になりたい。その先生方への恩返しとして、自分が後輩たちを育成していきたいと使命のように感じています。

自分は出会う人に恵まれているかもしれません。また、そう思うようにしています。
懸命に生きて、懸命に仕事をしていれば、そんな出会が巡ってくると信じています。
私は完全努力型です。いい人になりたいと努力しています。だから、同じ嗜好(and/or思考)の人が類は友を呼んでくると、思いながらまた更に励みます。

自己分析として、私はすごく優れいてるとは思いません。
「そんなやつに教えられたくないわ」
という意見もあるかもしれません。
もっと優秀な人は大勢いますが、そのような人が皆、教育をしているわけではありません。
専門的な知識よりも研修医は基礎的で、すぐに使える知識を教えて欲しいというのが現実ではないでしょうか。そんな中では、私のような平凡で教育にやる気がある人がやればいいのではないかなと思うわけです。

苦悩は多くありますが、誰かしらやらなければならないこと。
そこを突き動かしているのは情熱でしょうか?楽しいからでしょうか?時々感謝を伝えてくれることに至上の喜びを感じているからでしょうか?
はっきりとした答えは見つかりませんが、これからも続けていきます。

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