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星は光る

迷いに迷って、真顔で、行ったりきたりしながら、A駅の改札を抜けた。
そうかあ、こんなんだったんだ。
好きな感じの空気感だ。
しばらくあたりをながめて見渡して僕はゆっくり歩き出した。
改札を過ぎれば想像していた、見たような街並みは広がっておらず、今時にしては古風、とまでは言えないものの、駅前の小さなアーケードには昭和の薫風が穏やかに、たおやかに、ちらほら見え隠れしていた。
久しぶりに小さな書店を見かけた。
大型書店は急かされるみたいにつかれるから、こういう小さな世界が好きだ。
いつだったか、大きすぎる書店に一冊の本を探しに行って、いざ店のなかに入れば、びっしりの棚棚に目酔いして、探し物のことなんか忘れてしまって、しばらくして、あ、そうだと思い出して顔を上げて見たら、棚のど真ん前にその本がこっちを見ていてびっくりしたことがあった。
こういう偶然は必然的とも言えなくもないから、この本は特別に大事にしなくちゃと思った。
小さな書店を覗きこむと、こわもての寝ずの番みたいな門番が待ち伏せでもしているのか、店内には誰もいなかった。
土曜日の昼下がり。
外のベンチに腰かけ、缶ビール片手にたこ焼きを食べている人もいる。
煙たそうな純喫茶も年配の人で賑わっている。
みんな楽しそうに笑っている。
可能性たちはいそいそ急ぎ足だ。
未来の居場所へと準備に向かっている。

A駅は偶然にも僕が昔々に通学していた頃の乗り継ぎの駅であった。
当然に数えきれないほどにホームには降りたが、改札を出ることはなぜだか一回もなかった。
ホーム上から見え隠れする何となくの景観のイメージが響かなかったからかもしれない。

その後僕の運命線とこの駅は交差することなく、しかし時間だけは容赦なく経過した。
もはや忘れ去っていた。

時は就職の氷河で意欲はあれども、やる気を見せても、丁寧に書こうとも、経験の少ない者は無視をされ続け、僕の存在はこの世の中から氷漬けにされていた。
どこにも僕はいなかった。
今のように共感を求めて発信し共有できるツールもほとんど普及はしていなかった。
どのような自分であっても自分の心一心で「生きる」「死にたくない」を乗り越えるしかなかった。
だけど時間の流れや長さはやっぱり残酷で、何だろう、大事な核のねじのような部分がそれらと並んで緩んで錆びて、そして滲んで溶けてきた。
もうほんの少しで全臓器が炸裂し、点と影になってしまうその寸前に僕は奇跡的に必要とされた。
日経平均株価が過去最低を記録した翌日であった。
一生分通った退屈な図書館へやっとこれでもう行かなくてもよいのだと思うと胸のなかの窒息はようやくほどかれた。

僕が入社したとき、H君はすでに入社していた。
入社した会社は大半が女性で男性は僅かだった。
僕が配属された部署に同じ立場の男性は一人もおらず、知り合いには羨ましがられたものの、なんだか気が張り快い心地ではなかった。
怒られるかも知れないけれど、もしも女尊という言葉があるならぴったりな女性世界だった。
けれど僕にはここが全てだった。
詳しくは言えないけれど、大事を初めから与えられなかった僕の存在を必要とされたことが何よりも嬉しかった。
もう後戻りの道線は消えて見えなかった。
もっと楽しく暮らしたい、生きたいと強く思った。

H君の部署は僕の部署と同じ階の同じフロアにあって、扉をまたいでお互いの姿形は直ぐに分かるほど近かった。
H君の部署にはもう一人、僕と同年代のAさんという男性がいて、H君は僕よりほんの少しだけ若く見えた。
少しの時間が経って、いつかは思い出せないけれど、H君とロッカーで一緒になり、それから一言二言と雑談するようになった。
かと言ってそれ以上も以下もなく、ふたりで呑みに行ったり語ったり、遊びに行くほどにも親密にはならなかった。
又そうこうしているうちに僕の部署に新卒のT君が入ってきて、H君と関わる時間は少なくなった。
同じ会社で同じ階、同じフロアで働いているといってもH君とは仕事の内容は全く異なって(H君の業務はかなり専門的なものだった)、接点もそれほどはなく、僕の部署の方が当時はかなり忙しく残業も多かった。
僕の部署は定時に帰れることは稀だったけれど、H君の部署はその真逆だった。
僕はそのことをあまりとやかくは思わなかったつもりだけど、専門的な才能のあるH君を羨ましくも妬ましくも感じていた。
けれど何からも歓迎されていない、上手くできないあの日々に比べれば、何だって我慢できそうだった。
車輪の一部になれていることが嬉しかった。
そしてH君と話す機会は次第に減っていった。

そんなある日たまたまH君と更衣室で出会した。
「お金たまった?」
「いやあ、あんまり」
「H君は?」
「お金は貯まったら使った方がいいよ」
「そうなん」
「僕は300万貯まったら使っていくよ」
「そうなんや」
たしかにお金はお金を上手く使う旬みたいなものがあって、大好きなラーメンを定年したらたらふく食べると節約した結果、いざその時には若い頃ほど美味しく食べれなかった話しは聞いたことがあった。
だからH君の考えは正論かもしれないとそう思った。

入社して2年半くらい経った頃からH君の様子が少し変わってきた。
ときおり見れば、仕事中、眠そうにうつらうつらになっている。
その頻度も頻繁になっていた。
みんなの噂にもなっていた。
僕もあまり良い感情をもてなかった。
もともと溌剌という性格ではなかったけれど明らかに元気がなくなって表情も陰っていた。
僕は当番で真夜中に呼ばれることもあって、毎日をせわしくこなしていた。
H君に大丈夫かと声をかけることはなかった。

月末の木曜日だったか金曜日だったか、久しぶりにロッカーでH君と同じになった。
何かを話したのか、何も話さなかったのか、よく思い出せないけれど、何も言わずはなかったはずだ。
「おつかれ〜」
「おつかれ〜」
とお互いを労い合ってそれぞれ帰路についたと思う。
いつもと変わらなかった。
体調は聞かなかった。

週が明けてまた月初めの月曜日がやってきた。
いつだって憂鬱はやっぱりたしかにあるけれど、こうして働けることのうれしさは変わらずに真ん中にあった。
月初めの月曜日は僕が所属する部署とH君の所属する部署とで合同のミーティングがある。
この日も夕方からミーティングがあってみんなが集まっていた。
開口一番に誰かが黙祷しましょうと言っていきなり皆が目を瞑った。
僕は誰かの親が亡くなったんだと思って、けれどミーティングで黙祷なんてするのは初めてだったので隣の先輩に「なんの黙祷ですか?」と尋ねた。
彼女は僕の顔を見て、えっ知らなかったの?とでも言うように「H君が亡くなった」と小さく控えた声で言った。
僕は本当の無意識で皆が黙祷している静寂を忘れてかなりの声で「え」と言った。
そう思う。
そのあとのミーティングは何も覚えていない。

干支は一回りした。
僕は今もここに縁を持たせてもらっている。
初めに抱いた性別の勘違いはとうに消え、不器用な僕が続けてこられたのは、過去現在、皆のおかげが全てだ。

職場でH君を知る者はもうほとんどいない。
けれど仕事場の一角に当時の集合写真が一枚貼ってあっていつだって皆を見守ってくれているのだ。

通勤時にはたびたび彼を思い出す。
心のなかであいさつをする。
けれどそれ以上の行動は何一つ出来なかった。
H君の故郷は離れた場所にあることはH君から聞いていたけれど住所まではもちろん聞かなかった。

職場のパソコンで彼の名前を検索した。
まだデータは残っていて通っていた住所が目に入った。
年齢と誕生日が目に入った。
僕より1歳半ほど若かった。
彼の通っていた地域と彼の故郷の地名の漢字までが全く同じであることの偶然は当然に偶然ではないだろう。
故郷を想う気持ちが真実だったのだろう。
寂しかったのだろう。

迷いに迷って足踏みして僕はA駅の改札を抜けた。
一瞬だけ目に入った彼の住所は頭の中から離れずに僕の足は歩をそこに進めた。
彼が通勤したであろう道を見たかった。
土曜日の昼下がりということもあって、明るい顔と目がいくつもあって、外は澄んだ青空が広がっていた。
決して広くない車道の端端には、まるでおもちゃ箱のようにこぢんまりとしたレトロな雑貨屋や古本屋が仲良くひっ付いていて気分が和んだ。
左右上下ごちゃ混ぜに積まれた本が価値のないような扱いを受けて、タダみたいに売られていた。
短い高架下を過ぎればお寺があった。
途中でみちを逸れると、急に狭くて短い路地が網目状に広がって、まるで地元という言葉がぴったりな飾らない家々が並んでいた。
どこかの窓からどこかで聴いた90年代の音楽が流されていて、過去に還った僕は、胸のなかで口ずさんで、うれしい気分になった。
集中していたのだろう、方向音痴な僕が一度も迷うことなくA駅から10分ほどで着いた。

ここかあ。
彼の住んでいたアパートは今もあって、所々に誰かが住んでいる様子であった。
勝手に想像していた悲壮感は眩しい光に消されてなのか、不思議なほどに何も感じなかった。
行き交う人もいるのでアパートに向かって手を合わせるのも違う気がした。
そもそも彼はもうここにはいないし訪ねるのも違うのかもしれない。
分かっているけれど、入り口を見てしまう。
心の中で話しかける。
彼の声はやっぱりどこからも聞こえてはこなかった。
彼の声が上手く心の中で再現できない自分に気が付いてとてもかなしくなった。

先日、フジコ・ヘミングさんが亡くなった。
晩年、全身から醸し出されていたオーラは類を見なかった。

ピアノの詩人と言われるショパンの曲が好きだ。
彼女の奏でるショパンが好きだった。
「別れの曲」が好きだった。
「ノクターン」が好きだった。
彼女の話しと話し方の気取らなさが好きだった。
コンサートにも行った。

「完成なんて人間にはありえないですね、どんな人も、どんな芸術家も」
「これでいいのかなあなんて、天国に行ったら聞けばいいんだ」
「天国に行ったらショパンやモーツァルトに会ってあれでよかったかと聞いてみますよ」
「絶対あれで良かったです、すばらしいですと言うだろうと思うよ、ふふっ」

「ショパンは決して幸せな人間ではなかったから、なんか悲しみが私に伝わってくるような・・・」

「天国も神様もありえないと言う人がいるけれどもさ、そんなことはないですよ」
「何万何億と星があるじゃない、あの中に、どこかにいるに違いないからね」

少しまえに物理学者の戸塚洋二さんのドキュメンタリーを見た。
宇宙の起源、さらに消滅の謎を読みとく鍵である「ニュートリノ」を研究された第一人者だ。
ノーベル物理学賞の一番の候補者でありながら、残念にも待たずに亡くなった。
もちろん僕は物理学に長けていないので詳しいことなんて全く分からないけれど、宇宙についての不思議興味関心はかなりある。
宇宙なんて分かりっこないよ、分からなくていいよって思う時期もあったけれど、簡単なことでよいからやっぱり知りたい思いは素直に深い。

宇宙とはいったい何なのか?
私たちはなぜこの世界に存在するのか?

宇宙は138億年前に誕生したそうだ。
何でそんなことがわかるのだろう?
それ(宇宙が誕生する)以前は「時間」も「空間」も存在しない完全な「無」であった。
ちょっともう想像できないな。
何もないってどういうこと?

ニュートリノとは宇宙がなんらかの運命か拍子なのか、なぜだか誕生したときに生まれた素粒子の一つで原子の10億分の一の大きさだそうだ。
と言われても日常には無縁の大きさで、あまりピンとこない。
これ以上は分解できないとされている粒子だ。
すべての物質は素粒子から出来ている。
光に近い速度で宇宙のあらゆる場所をとび回っている。
今この瞬間も宇宙から地球に降り注いでいて、どしゃ降りの雨のように大量のニュートリノが私たちに降りかかっている。
けれどあらゆる物質を通り抜けてしまう性質だから、当たっていても当然に気がつかない。

物理学の基本理論は長くニュートリノには質量、いわゆる重さはゼロだと誰もが疑わなかった。
ニュートリノには質量がないから、宇宙は永遠に膨張し続けているのだと考えられていた。 
戸塚さんら研究者はさまざまな実験をし実験データをまとめて「ニュートリノには質量がある」ことを突き詰めた。
前例を覆す事実も当然に世界中の物理学者からは理解されず、認められることはなかった。
さらに手塚さんらグループは実験データを集め続け、世界的な場で確信を持って論文を発表した。
発表後、拍手が鳴り止まなかったそうだ。
認められた。
世界中の天文物理学者をも納得させるだけのデータの蓄積、説得力があった。

その後世界中が関心をよせたT2Kという実験プロジェクトでニュートリノを人工的に作り出すことにも成功した。

宇宙を構成するニュートリノに質量があると言うことはつまり今までの宇宙は永遠に膨張し続けるという定説の真逆の現象が起こる可能性があるという。
質量があることによる引力が一定以上であればその空間は収縮をはじめる。
もし宇宙空間の膨張が止まって縮み始めたら、その先にはあらゆるものが「一点」に収縮し、時間も空間もない「無」の世界に戻っていく。
どんなに大きくても小さなものでも、重さ質量があるものは必ず消滅し無、ゼロになるのだ。

宇宙の終焉は膨大な時間を経て、すべての物質が一点に集中収縮し、最期は時間も空間も存在しない元の無に還るそうだ。 

本当にそうなるのか、ならないのか、もちろん神すらも分からないだろう。
やっぱり宇宙は摩訶不思議だ。
蟻がもしも人間の存在を認識できたなら、発狂して死ぬと聞いたことがあって、たぶん人間も宇宙の全貌を認識してしまったら同じことが起こるかも知れないなと考える。
だからそんなこと、分からなくて良いのだという気もする。
なぜだか分からないけれど、今僕はここにいるということはたしかだ。
嘘みたいな宇宙の写真をぼんやり眺めて、簡単なことを知るだけで、さびしい濃度は薄まった。

♾️の宇宙は今は休みなく膨張し続けているはずだから、消えていく数だけ、あたらしい星がまたどこかで生まれてくるような気がする。
そう思う。

彼の下の名には星の字が付く。
本当の星になってこの宇宙のどこかで今も光っているのだ。
そう信じている。

追伸:
H君、書くか書かないか悩みました。
あれから時間は一回り流れました。
職場で君のことを話す人はいません。
けれど心のなかでは違うと思います。
よく耳にする風化ではなくて、あなたの痕跡を残したいと思いました。

余計なこと書くなと言ってるかも知れません。
今のところ彼からの声は聞こえてきません。
ですからそうではないのだと勝手にそう思っています。
H君、またどこかの星で語りましょう。
またの日までお元気で。
僕はもう少しこの星にいます。
あれから行けていないけれど、静かな図書館が大好きだからです。
やさしい人と話しをしたいからです。

読んでくださりありがとうございました。



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