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フラワーヒル・ショートストーリー:6『凧をあげる』

フラワーヒル・ショートストーリー:6
『凧をあげる』

1月3日正月休みの最終日は、眩しいくらいに太陽が照り付ける快晴になった。
例年なら天気が良いからと初詣にでも行くところだが、今年は新型コロナウイルスの影響で控えるように呼びかけられている。
ゴロゴロと寝ころびながら見ていた箱根駅伝は、最終十区の大逆転で幕を閉じた。
そんな時にスマートフォンへLINEが入ってきた。
「暇なら河原で凧をあげよう」
彼女からの誘いだった。
外は快晴、暇を持て余している。
断る理由はなかったので、クマが頭を下げるスタンプを返信する。
了解と言う意味は伝わったようで、女の子がジャンプしているスタンプが返ってきた。

河原に着いたら、彼女が凧を持って僕を待っていた。
彼女の凧は父親が子供の頃に買った“ゲイラカイト”という凧らしい。
一度しか使わなかったので、新品のようなピカピカな状態だった。
彼女が凧糸を持ち、僕が凧を持つ事になった。
僕が凧を持ち上げると、彼女は凧糸を持って、ゆっくりと走り始めた。
風はそれなりに吹いている。
「そろそろ離すよ」と言うと同時に、僕は凧を離した。
凧は一瞬だけ舞いあがったが、すぐ地面に落ちた。
それから何度も繰り返したが、凧は空へあがる事はなかった。
もっと凧糸を伸ばした方が良いのかも?
もっと風が必要なのかも?
「ちょっと凧のあげ方を検索してみる」
彼女がおもむろにスマートフォンを取り出して調べ始めた。
「色々と書いてあるけど、どれも似たような感じ。特別な攻略法とかはないみたい」
そして彼女が唐突に言った。
「凧あげって、“凧上げ”と“凧揚げ”どっちが正しいのかな?」

「それも検索すれば」と僕は返した。
「何度検索しても“上げる”と“揚げる”両方が出てくるよ。このサイトなんて両方を使っている。本当にどっちなんだろう」
「だからLINEでは、凧をあげようって平仮名で書いたんだよ」
「あれ、また違う漢字が出てきた。今度は“昂げる”と出てきたよ」
「これで本当にあげると読めるのかな。適当な当て字なんじゃない」
僕は昴という漢字で、昴げる(あげる)と読めるとは思えなかった。
「昴って星団の名前だ。谷村新司の有名な歌だよ。父親がカラオケでいつも歌うから覚えている。昴を歌いながら凧をあげれば、空にあがるのかもね」
彼女は無邪気に笑いながら、昴の歌を口ずさんだ。
彼女はスマートフォンで昴の歌詞を検索して、本格的に歌い始めた。
そして、僕にも歌うように強要してきた。
周りの親子連れの視線が気になったので、僕は照れながら小声で歌い始めた。
彼女は歌いながら凧糸を持って走り始めた。僕も凧を持って走り始めた。
河原には、彼女の澄んだ歌声が響き渡る。
「我は行く さらば昴よ」
「我は行く さらば昴よ」
彼女の歌声は、熱唱と言うのに相応しいものだ。
さっきまで変な物を見るような視線だった親子連れも、今は彼女の凧あげを応援している。
熱唱する彼女のためにも、僕は今度こそ失敗しないようにと、少しでも高い所で凧を離そうと思って空に向かってジャンプした。
しかし、僕が手を離す前に、凧は空にあがり始めた。
それだけじゃない、僕も凧と一緒に空にあがっている。
さっきまで青空だったのに、当たりは一面の星空になっている。
僕は無数の星々に包まれていた。

僕を包む星々から、不思議な声が聞えてきた。
「…あなたを迎えに来ました」
「お待たせしました。我々は昴星団から、あなたを迎えに来ました」
「遥か昔。あなたはこの地球という星に遭難しました。何回も魂を転生させて、地球人として暮らしながら、我々の迎えを待っていました」
昴星団?地球に遭難?魂を転生?意味不明な情報ばかりが頭に入ってくる。
今度は僕の体中が黄緑色に光りだした。
マスカットグリーンの光が僕を包んだ。
その時、凄い勢いで長年の記憶が蘇ってきた。
昴星団の宇宙戦士として銀河を飛び回っていた記憶。
宇宙船(地球人が想像している物とは全く違う形状)が壊れて絶望した記憶。
魂の転生を繰り返しながら、地球人として何度も生きた記憶。
今は日本という国で、男性として生きている記憶。
これが全て本当に僕の記憶なのか?信じる事ができなかった。
「我々はすぐにでも迎えに行きたかったのですが、あなたからのSOS信号がなかったので迎えに来られませんでした」
「それが、さっきいきなり、あなたからSOS信号がありました」
SOS信号?僕のSOS信号とは?
~昴星団の歌を歌いながら、空に向かってジャンプする~
それが僕のSOS信号だったらしい。
全くの偶然だったが、彼女と凧あげをしている時に、僕は昴星団の歌を歌いながら、空に向かってジャンプしていた。

僕は昴星団に帰るのかどうか迷っていた。
魂の転生を繰り返すと、それまでの記憶はどんどん忘れていくらしい。
昴星団にいた頃の記憶は、全く思い出せない。
地球人として生きてきた記憶も、ほとんど思い出せない。
思い出せるのは、日本という国で男性として生きている今の記憶だ。
昴星団では、銀河にその名が轟く英雄だったらしい。昴星団に戻れば王様のような暮らしが待っている……昴星団からの救助隊が僕に話してくれた。
今の日本という国で暮らすよりも、ずっと幸せな生活が待っているのは間違いないようだ。
最近嫌な事が続いているから…。
この先の人生に良い事なんてないだろうから…。
僕は良くわからなかったが、王様のような暮らしが待っている(…らしい)昴星団に帰ろうかな~と思い、手に持っている凧を離そうとした。
その時強烈な力で、凧が引っ張られた。
何か強烈な力で、凧が引っ張られている。
僕は凧と一緒に、地上へ引っ張られていく。
気がつくと、僕は河原に寝転がっていた。
「大丈夫。急にジャンプして変な感じに落ちて…ずっと倒れたままだったから」
目の前に心配そうな表情で、僕を見ている彼女がいた。
僕はゆっくり体を起こした。
当たりは一面の星空ではなく、眩しいくらいの夕焼け空が広がっていた。

日が暮れる前に彼女と僕は、もう一度だけ凧をあげる事にした。
今度は僕が凧糸を持とうとしたが、彼女が譲らなかったので、また僕が凧を持つ事になった。
彼女が凧糸を持って、ゆっくり走り始めた。
僕は昴星団の歌は歌わずに、空に向かってジャンプせずに、でも出来るだけ高い所で凧を離した。
凧は風を良く受けて、空へあがる。
「凧をあげるの漢字だけど、“上げる”は物を上に上げるとか言う時に使うんだよ」
「“揚げる”は国旗を揚げるとか言う時に使うから、凧あげは凧を空に揚げるから“凧揚げ”が正しいらしいよ」彼女は得意気な表情で、僕に言ってきた。
「昴げるは、間違っているよね」
「嫌な事が続いているから…この先の人生に良い事なんてないだろうから…昴星団に帰るなんて間違っているよね」
彼女は、きょとんした顔で僕を見ている。
「我は行く さらば昴よ」
昴星団が迎えに来たなんて夢だったのかもしれない。今年最初の夢だから、初夢なのかな。
それにしても、随分すっとんきょうな初夢だったな。
「私をおいて昴星団に帰るなんて、絶対に間違っているよ」
夕暮れの空を舞う凧を見ながら、彼女が言った。
雲まで、天まで、凧はあがっていった。

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