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ソウゾウ
嘘をついていい日から始まる新年度がスタートしました。
今年度は他人に左右されない生き方ができるようになりたい。
また、タイトルにもある通り、
『ソウゾウ』を大切にしたい。
敢えて片仮名表記をしている理由はその方がカッコよさそうなのと
”想像”と”創造”二つの意味を含んでいるからである。
果たしてソウゾウを大切にするとは一体何ぞやというところであるが、
まずは想像
簡単に言うと相手の気持ちを考えられる人でありたい。
人って本当に何を考えているか分からない。
いつも笑顔で明るくて一見、何の悩みもなさそうなあの人だって
実は死にたくなる程大きな悩みを抱えているかもしれない。
先入観という色眼鏡を一度外してみる。
固定概念を一度壊してみる。
様々なものを自分事として一度捉えてみる。
相手が何を以ってその言動をとったのか考えてみる。
逆に自分の言動によって相手がどんな感情を抱くか考えてみる。
自分が無意識に言った一言が相手を深く傷つけてしまう可能性だってある。
言葉選びは慎重に、大切に。
今一度自戒の念を込めて。
なんか疲れてしまいそうだけど、考えることを辞めたくない。
今、自分は障がいのある方と仕事をしている。
知的障害に加え、耳が聞こえない人や自分の気持ちを言葉にして喋ることができない人、常に奇声をあげてしまう人がいる。
彼らは何を伝えたいのか。
耳が聞こえない方は、喋ることもできないし知的障害があるため手話を理解することも難しい。
基本的には簡単な筆談かジェスチャーでコミュニケーションをとっているが、彼はとても人懐っこい性格で積極的にスキンシップを図る。
一つ仕事を終えると毎回一緒に拍手をしてグータッチをする。
唯一、彼と繋がれる瞬間な気がしている。
自分の気持ちを声に出すことができない方は、
殆ど喋ることはなく、こちらから喋りかけてみても顔を赤らめて中々言葉を発することができない。
奇声を発してしまう方は、周りの利用者さんとの関係もあるため別室で隔離的に仕事をしている。
それでも、何かを叫ぶ声が常に聞こえてくる。
彼らはそれぞれ何を考え、何を訴えているのだろうか。
知りたい。
正直、
想像をして簡単に分かるようなことではないけれど、
理解しようと想像する努力はしたい。
もしかしたらめちゃくちゃセンスボケを仕掛けてきている可能性だってなくはないし、本当に心から悲痛な叫びを訴えているかもしれない。
彼らが訴えたいことが分かればしてあげられることも増えるのだが、
それがわからないから難しい。
手足のない 人や
目と耳が 動かない人は
どんな風に 踊ればいいの
声のない 人や
目と耳が 聴こえない人は
どんな風に 歌えばいいの
ラララ ラララ ラララララララ
わからない ごめん
ぼくらは インストバンドさ
どんな風に うたえばいいの
どんな風に うたえばいいの
ラララ ラララ ラララララララ
僕の尊敬する星野源はインストバンドの唄という曲で
「わからないごめん」
とうたっている。
わからないことをわからないと言うことってとても勇気がいることで、
どうしても人って安心したいから答えを出そうと焦って、わかったフリをしてしまう気がする。
時には白旗を掲げる潔さも大切。
ただ、わからないからといって考えることを辞めてはいけない。
わからないからこそ苦悩しながらも考え続ける必要があるし、意味がある。
想像し続けることで、何かを創造したい。
この文章を書いていることも些細なものではあるけど、
創造と言えるだろう。
幸せなことに僕らには表現の自由、言論の自由がある。
また幸せなことに僕にはそれらを実行できる声があり、耳があり、手があり、脳がある。
何かを形として残し、伝えることができる。
そんな可能性を棄ててしまうことは勿体ない。
最近は、将来的に文章が仕事に繋がらないかなと夢見ている。
だから、今は何でもいいから何かを創造したい、表現したい。
ただ、発信をするということは自分の言葉に責任を持つべきであるしリスクも伴うこともある。
そんな中でもなるべく周りの目や評価なんか気にせず、
自分のやりたいことに正直になりたい。
自分の立っている場所を他者との比較で測るのではなく、自分の中の信念と照らし合わせて省察し行動したい。
自分の中の劣等感を原動力に昇華させたい。
昨年度は自分にとって本当に転機の一年となった。
たぶん、著しく人間的に変化した。
今年度は一体どんな変化をするだろうか。
わからない。
おわり
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