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宇宙に想いを馳せる、宇宙から地球を見る

 今から10年ほど前であろうか、大学生だった私は学内で写真サークルを設立した。そのサークルは、そのユルさゆえに、なんだかんだ今も存続しており、現役の学生たちとも(迷惑がられているのだろうなと自覚を持った上で)未だに交流を続けている。
 その中の一人に、面白い男が1人おり、動物や生態のこと、科学、宇宙、写真、様々のことに豊富な知識と独自の視座を持っており、真剣に意見をぶつけ合うことができる。豪速球を投げても必ずキャッチボールが成立するような相手なので、私自身の考えを整理するための話し相手になってもらっている。ここでは、この男をAと呼ぶことにしよう。

 今、私の住んでいる地域の美術館では、星野道夫の作品が展示されているのだが、その展示を見てきたAが言った感想が面白かった。

「フイルムカメラしかない時代に、あれを撮っているのはすごいですけど、アラスカより日本の方が、植生は豊かで面白いですよね。」

 非常に的確に事実を捉えた感想である。
 実際にアラスカは、主にツンドラ気候であり、緯度によっては針葉樹が少々ある地域もあるが、草本は非常に少ないのだ。手付かずの大自然が残ると言われてはいるが、実際には「機械化した文明が熱心になって手をつける価値に乏しかった。」とも言い換えられる。殆どの地域で生態系を支えるを植物ではなく、地衣類など菌類である。これはこれで非常に面白い事ではあるが、複雑さにはやや欠けるのだ。

カラマツに絡まる地衣類

 星野道夫の名言に、こんなものがある。

 きっと人間には、二つの大切な自然がある。日々の暮らしの中でかかわる身近な自然、(中略)そしてもう一つは、訪れることのない遠い自然である。ただそこに在るという意識を持てるだけで、私たちに想像力という豊かさを与えてくれる。そんな遠い自然の大切さがきっとあるように思う

星野道夫

 きっと、どちらが優れているとかといった安易な比較をすべきではない。遠くにも美しい自然が、身近な場所にもまた違った素晴らしい光景がある。そして、それぞれに違う時間が流れていて、それぞれに物語がある。
 時間軸の中で、同時並行的に様々の場所で、生命を包含する全ての現象が存在している。これは当たり前のことであり、単なる事実に過ぎないのだが、これを意識して生活することは容易ではないと思う。
 ただ、こうやって今ここにないものに思いを馳せ、想像力を巡らせることは、きっと豊かなことなのだと思う。

 2024年5月11日、世界中でオーロラが観測された。本州以南でも、低緯度オーロラが観測された。
 我々が観測した低緯度オーロラは、強い太陽風を浴び、極北の地で乱舞するオーロラのうち、非常に高い高度で光る赤い部分のみを、地球の丸さを利用して、はるか遠くから掠め取るようなものだ。言い換えれば、我々が低緯度オーロラを眺めたことは、2500km北方では、色鮮やかなオーロラが空を乱舞していることを証明だ。
 遠く離れた場所にある自然と、今自分がいるこの場所が繋がるようなこの感動は味わえることは、今までに拾い集めてきた知識と、それが生み出した経験の賜物だと思う。

 そもそも、「地表からオーロラを見上げた」と言うことは、奇跡だ。
 オーロラは、地球のような「磁場と大気を持った惑星」と、太陽のような「適度に他所で磁場を乱すような活動をする恒星」が適度なエネルギーの規模感を保つ距離で回転し続ければならない。そんな条件を満たす組み合わせは、この宇宙にいくつあるのだろうか?そして、その惑星に空を見上げてオーロラを感じられる文明が、現存する可能性はどのくらいだろうか?宇宙の長い歴史の中で、もしかしたらいくつもの文明が生まれていたかもしれない。だが、今現在、観測可能な宇宙の中で文明は発見されていない。そして、もしそんな文明が発見されたからといって、彼らがオーロラを見上げているかは、わからないのだ。

室蘭から観測された低緯度オーロラ

 あらゆる科学を駆使して捉えられたこの日を奇跡だと感じられるのもまた、感情や知識、学び、人との会話など結果である。

 誰かに教えを乞うことも、自ら何かを学ぼうとすることも、決して簡単なことではなく、それを実現する中で生まれるストレスは大いにあると思う。
 何か得ようとする中で、思い通りにいかないことは山ほどある。

 ノイズは人生の旨みであると私は思う。
 生きていく上で、思い通りにいかないことは山ほどあるが、それでも、生きていくのだ。
 私の最も尊敬するギタリストの一人であるhideは、こういった。

思い通りに行く人生ほど、つまらないものはない。

hide

 hideは、思い通りにいかなかったことを、「思いがけないこと」と称して、ポジティブに受け入れようとしたのだ。
 思いがけないノイズのような音が、少人数編成のバンドで、旨味を放つことは「人の感覚は、情報量が多いことを快く感じる」という事実に基づいて説明できる。
 私が大事にしている人たちに「思いがけないこと」が起こってしまった時にでも、笑って過ごしてもらえるように、このnoteを託す。


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