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東京で世帯主になる。安堵と恐怖に挟まれて。

23年間生まれ育った町に転出届を出して、世帯主というものになった。

今まで、住民票は実家へ残したままだったので、一人暮らしとは言えど、どこか守られた感覚を持って生きていた。税金も、保険料も、負わずに生きることができていた。

そんな期間を経て、私は東京の一単身世帯になった。

今感じていることは、やっと親元を離れることができた安堵。それは解放感というよりも、親にとって考えるべきことから、私の割合が減ったことの嬉しさというか、喜びというか。

そしてもう一つ、東京で生きる一人の女性になることへの恐怖。私はこの先、何かに困ることなく生きていけるのだろうか。そんな怖さが、振り向くと私のすぐ後ろに待ち構えている。

巷で描かれる、東京の女性像を見ると

『東京貧困女子。』という本がある。

本屋さんで何度も見かけ、その度にいつか買おうと思いながら、まだ手に取れていない。

自分が東京に住む一女性になる(正確に言えば、経済的に自立しなければならない立場になる)ことを目前にして、ふとこの本が頭に浮かんだ。

レビューを見ると、とあるサイトには、全部で412件もの言葉が寄せられていた。

ネタバレを含んだものから、そうでないものまで、長さも内容も全く違う言葉が並んでいたけれど、ざっと見た印象は、ずしんと重い雰囲気の言葉が多く並んでいること。

「これは現実なのかと、疑ってしまう内容だった」
「コメントすることさえ、非常に難しい
「現実を知っておかなければならない」

中には、女子と貧困というキーワードにあまりにもフォーカスしすぎているのでは?というコメントもあって、なるほどそういうフィルターがかかって、全体的にヘビーな言葉が多くなっているのかもしれないと思ったりもした。

ただ、412件のコメントを読むと、この本が伝えていることが少なからず現実で起きている一部始終なのは事実だろうと、私は読み取った。

そして、本が発売された2019年4月からつい数日前に寄せられたコメントまで、大きく言葉たちの雰囲気が変わることなくレビューが重ねられていることも、この本が伝えたいことの普遍性を表しているような気もする。

とはいえ、私はこの本を、まだ読んでいない。だから、今こうして感じていることは、読んだらすっかり違う気持ちにすり替わっているかもしれない。

東京で単身世帯の主として生きていくことに、そんな気を負わなくてもいいと、むしろ気付かされる可能性だってある。

すでに社会人として何歩も先を進んでいる知人を見渡しても、そこまで苦しい生活をしている様子は見受けられない。

ただ、本当に苦しい時、それを誰かに伝えるとか助けを求めることは、かなり難しいのではないだろうか。少なくとも私は、その当事者になったら相談できる人の顔が、パッと思い浮かばない。

そして、冷静に考える。もらえるお金から毎月生きていくために必要なお金を差し引くと、そんなに大金が残るわけじゃないことを。

むしろ、今の日本において、大金が残る人は本当に一握りしかいないとも思う。生活に苦しむほどではないという基準で、日本は豊かであると断言するのは、少し怖い。

もちろん、普段からお金のことばかり心配して生きているわけじゃない。でも、経済的に自立するというライフステージの変化で、今までより確実に、経済的に困窮する恐怖に近づいた感覚がひしひしとあるのだ。

そう、今までも遠くはなかった

経済的に自立する、という責任を感じていなかった頃にも、すでにそれができない怖さを感じたことがある。

『純猥談』というYouTubeチャンネルで発信された、とある映像。

これを見た時に、私は思った。

「この子と同じ立場に、いつなってもおかしくない」

実は以前、一度だけ、近い種類のバイトに足を踏み入れそうになったことがある。

半分好奇心で話を聞きに行ったのだけど、その2時間で手に入れた5000円は、人生で一番嬉しくないお小遣いだった。

間違えて欲しくないのは、私にとって、その仕事が嫌な気持ちになるものだっただけで、他の人にとってはそうでもない場合もあり得ること。むしろ、そこにやりがいを感じる人もいる。

でも大切なのは、この短編映画の主人公のように、生きていくためにどうしてもお金が必要だという場合に、私たちが手を伸ばせる選択肢は必ずしも安全ではないということだろう。

そして、このような場合に何か起こったときの責任は、たいてい本人にのしかかる。自己責任論でなんとかされてしまう

自分事でも、他人事でも、これは本当に苦しくて見たくない現実だ。

だけど、経済的に自立するというステージの変化にあたって、こうした現実が今までより近いものになることは、社会構造の支配者でない限り、受け入れなければならない事実のようにも感じる。

性別も場所も関係なく、誰もが格差社会の中にいる

今までの話に沿うと、東京に住む女性は貧困に陥りやすいという部分を、強く言いたいように聞こえるかもしれない。

でも、私が一番言いたいのは、そこではない。経済的な自立ができるかどうかの恐怖は、この日本に住む誰もが、もしくは地球に住む誰もが、背中合わせな感情だということだ。

むしろ、その恐怖がない人は、ほんの数パーセントの人たちかもしれない(その人たちはその人たちで、別の恐怖と背中合わせである可能性は大いにある)

私はたまたま、東京に住んでいて、女性で、一つの世帯を持つきっかけがあった。そして、同じようなラベリングをされた人の話が、本や映像になっている記憶と結びついた。だから、こうして自立の恐怖にヒリヒリしている。

けれど、別に何かしらのコンテンツになっていなくたって、同じような恐怖を抱えている人はいるはずだ。

ひとり立ちというのは、子どもの頃思い描いていたより、はるかに怖い変化である。これが、今の私の正直な気持ちだ。

やい、社会構造のせいだ、政治家のせいだ。そんなことはいくらだって言える。でも、そんなことを言ったって、私たちの恐怖は、誰も振り払ってくれない。

これが、ひとり立ちなのだ。そう言い聞かせながら、私たちは生きていくしかない。

10年後、同じようにひとり立ちのステージを踏む人たちが、少しでもこの怖さを感じないように、今の私たちが、できることをできる限りやるしかないのだ。


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