自分について、20個述べよ
『自分について、20個考えてください』
ジョハリの窓の講義中に
"私は〜"の文を書いていく。
20個くらい、あっという間に書けた。
私は女である
私は母である
私はお菓子が好きだ
私はコーヒーはブラックが好きだ
私は本を読むのが好きだ
私は愚痴が嫌いだ
私は泣き虫だ
私は愛する人がいる
私はいつ死んでも後悔しない
私は無鉄砲である
私は手話とスペイン語を勉強している
私は口が悪い
私は酒が飲めない
私は世界中に友達がいる
私はパニック障害だ
私は面倒くさい事が嫌いだ
私は起きる時に目覚まし時計が要らない
私は運動神経がすこぶる悪い
私はサプライズが好きだ
時間はまだあるし、
まだまだ幾らでも書けるなぁと
斜め前の人を見ると
渡された紙は真っ新なままだった。
『え?●●さん、1つも出ない?』
そう聞くと
『どう書いて良いか、何を書いたら良いかサッパリ分かりません…』
先日、私の仕事中のヒトコマ。
私は障害者就労支援で支援員として働いている。
利用者さん達は、知的障害から、身体、精神、発達、難病と、19歳から50歳、就労経験の有無など年齢も経歴もバラバラ。
言葉一つにしても
それぞれの理解度が違うので
時には言葉を変えたり、補足説明をしたり、
言葉で理解が難しい時は写真や絵を用いて話をする。
違いは沢山あれど
一般就労をしたいと言う思いは同じ。
それぞれに面談を重ねながら
毎日が試行錯誤の手探り状態で2年目が過ぎた。
24歳で
あれ程死にたかった私が
未だにパニック障害を抱えながら
まさか福祉の世界で働くとは思ってなかった。
支援する側
支援される側
そのボーダーは凄く薄くって
お互い持ちつ持たれつ、的な
そんな今の職場が好きだ。
他の福祉施設や事業所をあまり知らない事もあるが、ニュースなんかで、支援員が利用者に暴言を吐いたり、酷い扱いをしているのを見ると、同じ仕事をしてるのかと理解出来ない。
福祉もボランティアでは無いのだから
それなりに実績は必要であるし
それに伴う国からの加算で収益が違って来る。
だけれど、
私の職場の法人は
もともとが教会からスタートしていて
法人の理事長は実はかなり凄い人らしくて
海外にも視察なんか行っちゃう人みたいなんだけど、凄く気さくで
ペーペーの私なんかにも
『どう?就労支援で英会話とかやってみたら?』なんて声をかけてくれる。
英語を使う仕事なんか、そーそー無いから
必要もない位の田舎なんだけど笑笑
そんな、飄々としたとこも偉ぶってるじじいとはまるで違って好感だ。
利用者、つまり障害者の歴史をよく知ると
福祉の制度がここ最近でバタバタと整備された感があり、入所施設の方たちと話していても
"学校にすら通っていない"とか
"未だに家族の葬式、結婚式にも呼ばれない"とか
今って令和の時代よね?…と
2度聴きする様な事ばかりだ。
ぶっちゃけ座敷牢的な生き方をして来て
施設に通うようになって
自分の名前を書ける様になった人もいる。
悪いのは家族じゃない。
悪者探しは今更である。
敢えて言うなら社会が悪い。
なんなら、2年前まで、障害者福祉に全く興味がなく、知的障害と発達障害の区別さえ付かなかった無知で無関心だった私は悪い。
障害がある、と言うだけで
溝を作り
高い壁を作り
遮断してしまう。
そんな社会は悲しいし
その背景にある考え方や思い込みも悲しい。
私も正直、2年前に面接を受けた時
小学生の頃に受けた事がフラッシュバックして
面接を辞退するか否か考えた事がある。
職場内では明かしていない。
noteだから言える(書ける)事だ。
私は12歳くらいだったと思う。
小さい頃から背が高く
いつも実年齢より上に見られていた。
その時既に私は父子家庭内で家事全般を引き受けていて、その日も近くのスーパーに買い物に行くために必死で自転車を漕いでいた。
友達と遊んでいたけど、田舎のスーパーは閉まるのが早い。
18時前には閉まってしまうので、早々に切り上げ自転車すっ飛ばして来たものの
気まぐれ店長の計らいか、その日は17時閉店しますと張り紙がシャッターに貼られていた。
昭和はそんな事が罷り通る時代だった。
私は急いで、違うスーパーへと自転車を走らせた。
友達と遊ぶ時間を確保したい。
どうしてもその日に買い物を済ませておきたかった。
校区外の、少し大きなスーパーは夜遅くまで開いているのを知っていた。
頻繁に来る事はないが、スーパーである事には大差ない。
私は広い店内を、天井から吊り下がっている
売り場案内を見ながらウロウロと買い物をしていた。
と、ふと誰かに見られてる視線を感じて振り返ると、明らかにおかしい男性が立っていた。
シャツはだらりと半分がズボンから出ていて、そのズボンも腰パン以上に下がっている。
目線だけはギラギラとしていて
私をじっと見つめていた。
私は怖くなって、隣の売り場へ急いで移った。
と、その男性もヘラヘラとした笑みを浮かべ付いてくる。
18時以降のスーパーは人もまばらで
今ならレジ近くに行く考えも浮かぶのだが
その時の、12歳の私は
ひたすら隣、隣の売り場へ小走りで逃げていくしか無かった。
パン売り場まで来て
私はもう隣がない事を知った。
男性は変わらずヘラヘラと笑いながら
しかもこちらへ近づいて来る。
よく見ると、男性の手はズボンの中に突っ込まれて、上下に激しく動いている。
『怖い!誰か来て!』
知らずに私は大きな声で叫んだらしい。
カートを自分の前に出して防御したつもりの私の前に、少し小太りの男性が割り入って来た。
その人は、ヘラヘラ笑う男性に
『勝手にウロウロしたらいかんって言ったやろ』みたいに怒ると、私をちらっと見て
『すいません』とだけ言い、男性の腕を掴んで目の前から居なくなってしまった。
私は買い物カートを握りしめたまま、
しばらく動けずにいた。
レジのおばちゃんが『大丈夫ね?』と声をかけて、カートを一緒に押してくれるまで、ぼんやりしていたらしい。
レジで、おばちゃんは、ある施設から買い物に来てる人だよと教えてくれた。
『ほら、頭が少し足らんの』
初めて私が、知的障害の人を知ったのはその時だ。
初めてが余りに強烈で恐怖でしかなく、それから私が障害者と関わる事は一切なかった。
祖母が脳梗塞で倒れ、半身不随になり介助が必要になったが、高齢でもあったし身内だったからか、障害者とは思わなかった。
就職して、銀行に少し足を引きずる人が居たが、業務には全く支障がなく、その時もまた意識する事はなかった。
白杖を持った人
車椅子の人
すれ違う人は居た。
けれど12歳の私が味わった恐怖を思い出させる要素は全くなかった。
しかし2年前、今の法人施設で面接を受ける際、あのギラギラとした視線を至る箇所で見た。
私は一気にあの日を思い出してしまい
ここでは働けないと半ば諦めていた。
そんな私が、ん?と思ったのが
施設で働く職員さん達を見た時だ。
ある人は金髪にピアスがザザザザっとある
チャラチャラの男性。
ある人は髪がオレンジの女性。
そんな自由な見た目の人が車椅子を押し、
食事介助をし、笑っている。
彼らを見る私の目が、胸の内を話していたか、
施設長が説明してくれた。
「ここにはいろんな障害の人がいる。
30年前までは障害者は人として扱われていなかった。
今の様なヘルパーサービスなども無く、福祉サービスも貧相でね、家族からは疎まれ山奥の隔離された様な施設に入ったら、そこで一生を過ごし、死んでからも尊厳はなくて。
そんな方が多かった。
この施設も、10年くらい前までは、消灯時間があったり、外泊や外出には規制があったりと、自由はなかった。でも本来なら好きな時間に寝て、時には外出して酒も飲みたいし、給食以外のものも食べたい。
自分のことは自分で決める、決めたことには責任が伴う。当たり前だけど、最近やっと我々の施設でもそうなって来たんだよ』と。
人を見た目で決めつけない、判断しないと言う事で職員も自由なんだとか。
たしかにチャラチャラしたイメージを勝手に持ってしまったけれど、車椅子を押す手はゆっくりで優しい。
食事介助も、次に食べたいのはどれ?と時間を気にすることなく進んでいる。
正直、ギラギラする視線は恐怖だった。
でも、それでも毎日毎日関わっていくうちに
恐怖は苦手に変わっていった。
さらにその方その方の生い立ちや家族関係、背景などを知ると、苦手が興味へと変わっていった。
誰かを知ろう、理解しようと思うなら
まずは興味を持たなければ始まらない。
知的障害とは
発達障害とは、
身体障害とは、
そんな事を調べていくうちに
私の12歳の記憶は少し変わっていった。
あのヘラヘラとした男性が問題じゃなかったんだ。
公共の場で性的欲求のまま行動しない様な声かけや働きかけをしていない支援者側に課題があったのではないか。
今の私はその時の恐怖記憶は全くない。
逆に支援者としての問題提起となっている。
自分について、20個が書けない人へ
こう話してみた。
『鏡に自分を映して見て、見える事から書いていきましょう』
そうすると
男だ
背が高い
黒い上着を着ている
視覚からぽつぽつと出て来始めた。
『黒の上着ですけど、黒は好きですか』
そう尋ねると、
青とか黒とかが好きです。赤とかは嫌いですと答えが返って来たので、
なら、それも書けますね、と少しずつ少しずつ
枝葉を伸ばしながら話していく。
結果として10くらいは書けただろうか。
『●●さん、仕事を探す時に、自分は何が好きかな、とか苦手かなとか考える時が沢山出てきます。
今から少しずつ自分ってどんな人なのかなーって興味を持ってみるといいですね』と話した。
『はぁ…』と中度の知的障害で発達傾向もある方はイマイチ理解してない返事だったが、
それでも自分について10個も見つけた事は嬉しかった様子だった。
私は自分のことを、リストカットも含めて
利用者さん達には開示している。
隠す必要も無いし、
私と言う人間を晒すお陰で
利用者さん達も話しやすいと言う事があります。
こんな私でさえ働けてます、って言う、一つの事例でもあるし。
私がいつも利用者さん達に言うのは
他人の気持ちに寄り添う共感性、
自分の事は自分で決める自己選択決定と
生きててよかった
私が私で良かったと思える自尊心を持って欲しいと言う事。
また皆さんの存在がないと
私は仕事が無いのですって事。
支援者だからといって一段高い場所にいるのではなく、お互いが必要な存在なんだと言う事。
どこまで理解して貰えているか、
そんな事より
自分の気持ちや想いを発信し続けることを大切にしたい。
まだまだ発展途上の私。
がむしゃらだからこそ沢山の間違いと失敗を繰り返して前に進みたいな。
こんな私が福祉の世界で働くのも
きっと意味があるのよね。
自己肯定感が無駄に高い私は
そう信じてる。
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