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わたしがSNSをがんばる理由。

きのう、さいごの一息で「ほら、笑え」という記事を投稿しました。

6年前に事故死した弟のことを、書きました。

びっくりするくらい反響があった。
増え続けるいいね、RT、コメント。
そのすべてが、彼の生きた証になるようで、とてもうれしい。

昨日は書きながら泣きっぱなしだったけど、
今日もずっと、とまらない通知に、なみだを流してしまった。

届けたい、届けたい、と思って6年間あがいてきたけど、
続けていれば叶う日がくるんだなって思ったよ。

読んでくれて、ありがとう。


ここ一年くらいかけて、ツイッターやnoteを中心に、SNSをがんばってきました。といっても、くだらない日常のことや、勉強の報告がほとんどなんだけど。

さいきんは「ツイッターみたよ!」「note読んだよ!」って声をかけてくれる人も増えてきて。

そんな中、

「出会い系アプリ使って感想レポート書いたら?」とか
「ツイッターで彼氏募集してみたら?」とか

しんみはるながバズるための提案をしてくれる人がチラホラでてきたんです。

わたしが少しでも注目されるように!って、応援の意味で言ってくれてるのは、わかる。その気持ちはありがたい。

でもねわたしは、バズるために、インフルエンサーになるためにSNSをやっているわけじゃないの。

そりゃ、フォロワーが多いほうが書いた記事は読まれるだろうし、大事にしてもらえる。結果論として、そこにたどり着ければいいなとは思ってる。

だけど、自分の気持ちに反することをしてまで注目されたいとは思わないんだ。わたしは、わたしの心が動くことをやりたい。


わたしがSNSをがんばるのはね、

どんなに素晴らしい人間でも、何も創作しなければ、死んでしまったとき何も残らないんだってことを痛感したからなんです。

弟が事故にあった翌日、地方新聞の片隅に彼のことが載っていた。
「大学生 新見友真さん(19)意識不明の重体」
たった、この一文だけ。

ひと一人の命、新聞の片隅で終わらされてたまるかよって思った。
悔しくて、たまらなかった。

芸能人だったらこうはならないよね。

訃報があればワイドショーで取り上げられ、俳優なら過去の出演作、歌手なら代表曲、芸人ならお茶の間を賑わしたネタ。彼らの創作が、本人の亡き後にも、さまざまなメディアを通して語り継がれていく。それをみて、元気になれる人がいる。彼らの生きた証は、偉大だ。

じゃあ、芸能人になりたいの?って聞かれると、そういうわけじゃないんだよ。

わたしはもっと、ささやかでいい。

お父さんやお母さんが、はるな元気にしとるかな?って思ったときにSNS見て笑ってくれたりとか、こんなことあったよーって過去の投稿みせながら話したりとか、それくらいでいいの。

わたしの大切な人たちにむけて、わたしが生きた証を残すためのSNS。

でも、弟のことになると、ちょっとささやかではいられないかも。
わたしは彼のこと、すばらしい人間だと思ってる。身内だけど、憧れてる。
だから、彼が生きた証を、残したくて。
わたしが書いて、残したくて。

友真の生きた証を書き記すために、SNSをがんばりたいの。

きのう言った「すずらんを贈るよ。」もそうだね。
弟の生きた証になるはずだから、たくさんの人にみてほしいって思う。

そのために、さいきんはほぼ毎日、何かしらのSNSを更新しています。

もともとスマホあんまり触るほうじゃないし、自分が話すよりも聞くことのほうが多いし、ニガテといえばニガテなんだけどね。だから、たまにサボったりするけど。

ツイッターは、今日も元気でしたの記録をつけるつもりで。
noteは胸にしまっている想いを聞いてもらいたくて、書いています。

今日はほんとに、たくさん読んでもらえてうれしかった。
感謝の気持ちを伝えたくて書きはじめたら、こんなに長くなっちゃった。

読んでくれて、ありがとう。
また、書きにくるね。

いつか振り返ったとき、思い出して笑えるように。
これからもSNSを続けていきます。


さいごまで読んでくれてありがとう!うれしいです!🌷