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短編小説 『駆け抜けろ悪路』

 私に全てを与えてくれたのは、アディダスのジャージだった。
 中学に上がったあたりから、完全に周りの女の子について行けなくなった。太い眉毛、一重の瞼、丸い鼻、分厚い唇。ろくでなしブルースの千秋だって眉毛が太いし、スラムダンクの彩子さんだって唇がぶ厚いのに、私の前には根の優しいヤンキーなんて現れなかった。なで肩でくびれも無いし、かと言って出っ張っているものも何もない貧相な体。可愛い女の子が履いている様な短いパンツも、肩の出たシャツも私には似合わないから、いつもバスケのパンツと無地のシャツを着てた。冬はいつも同じパーカーの上に、学校指定のジャージ。私は、神様が冷蔵庫の余り物で作った休日の昼飯みたいなものだった。
 おしゃれなんか無縁で、男の子も話しかけてこなかった。かと言って、グレることができるほど学校は嫌いじゃなかった。とりあえずダサい友達はいたし、勉強も運動もできないけど、給食は美味しかった。
 高校に上がってからが本当の地獄だった。バイトを始めたクラスメイトたちの服装は、一見シンプルで、なのに値段は高い体のラインに沿った大人っぽい服に変わっていった。そしてくだらない女性誌を読み始めた。
「邦子も、アニメイト行くど?」
「行かんて。ウチはアニメ興味無かけん」
 友達の誘いを断って、私は学校の帰り道に本屋に立ち寄り、クラスメイトたちが学校に持ってきていた雑誌を立ち読みした。最悪だった。
 
  SEXでキレイになるということ

 その号の特集記事の見出しに書いてあったそのフレーズに中指を立てたくなった。そんな話があってたまるかタコスケ。どうせこの記事を書いたのはブスなババアか、おへその出たピチピチのウェアを着てジムに通う様な小癪な女だろう。そういう女はジムに通うことを、健康に気をつけてるだの、スタイルを維持するためだのと言い張るが、階段を登ることや徒歩で移動することなどと言った、生活する上での、基礎的な筋肉を維持するために有効な運動をとことん嫌う。こんなにフリとオチのきいた話に笑いをこらえる事なんて私には出来ない。
 私はその雑誌を元の場所に戻し、男性誌を手に取った。大枠は女性誌となんら変わらなかった。どいつもこいつも、春物だのパステルカラーだのモノトーンコーデだのカナディアンキスだのスローSEXだの、
 本当に羨ましくて仕方がなかった。
 一つため息をついてから雑誌を元に戻し、隣にあった訳の分からないカルチャー誌を手に取り、適当にページを開いた。
 その瞬間、足元から湯気が立ち込めた気がした。それはニューヨークの道路から沸き立つ湯気。下水の匂い。人々が発する香水と皮膚の匂いが混ざった異臭。浮浪者から漂うような塩辛い激臭。
 そのページの中の男たちは、私に向かって中指を立てていた。あぁ、これだ。ストリート。ヒップホップ。ギラギラの目に、笑っちゃうくらいドヤ顔なカメラ目線。太い眉毛、丸い鼻、分厚い唇。
 そして真っ黒な肌に、ダボダボのアディダスのジャージ。
 私はそのカルチャー誌をなけなしのお小遣いで購入して本屋を出た。私は走り出した。アーケードの人はそんな私を気にも留めない。私は家まで走った。走らずにはいいられなかった。
 自分の太い眉毛も丸い鼻も分厚い唇も、もう気にはならなかった。自信を持てなかった体型は、ダボダボな服を着てしまえば目立たなくなる。クラスの子達が買う様なオシャレで高い服は買えないけど、アディダスのジャージなら簡単に買える。
 家に着くなり私はお母さんに土下座してお小遣いを前借りした。制服の上に、学校指定の、謎の二本線が入った紫のジャージを羽織って、シャツの第一ボタンを外してネクタイを緩めた。ローファーじゃなくてどこのメーカーかも分からないスニーカーを履いて、私はもう一度アーケードに向かった。服を一人で買ったこともなかった私はドキドキしながら古着屋に入った。古着屋には、英語のラップが流れていた。早口言葉にしか聞こえなかった。

 前言を撤回させて欲しい。アディダスのジャージは、私から多くのものを奪っていった。
「これ、ライムスターっちゅうアーティストばってん、流してくれん?」
 夏になろうとしていた時期、私は最大の勇気を振り絞って、放送委員の男子に話しかけた。飛龍革命の時の、師匠である猪木にビンタするドラゴン藤波の如く勇気を振り絞った。
「なんね?ライムスターて」
 歩きながら焼きそばパンを食べてる放送委員の男子は、初めて話しかけてきた私の顔をまじまじと見た。
「ヒップホップたい。知らんと?」
「ヨーチェケラッチョーやろ?リップスライムとかケツメイシとか」
「まぁ、そんな感じたい。ヒップホップ、好いとーと?」
「いや知らん。そんでなんね?」
「だけん、これ昼休みに流して欲しか、って」
「嫌や」
「え〜?じゃあなん流すと?」
「ワニマとキートーク。お前、こんなん聞かんやろて」
 放送委員の男子は私を見下した様に笑いながら放送室に向かった。
 昼休みは彼の言っていた通り、ワニマとキートークが流れた。ほとんどのクラスメイトは昼休みの放送なんてちゃんと聞いていないし、放送委員の彼の友達もみんな、「お、ワニマ」と一言漏らすぐらいで特に盛り上がっていなかった。こんなところで私が日本語のラップを流してもらったところで、誰も反応しなかっただろうし、ましてや、同じ様にヒップホップを好きなクラスメイトが見つかるはずもなかった。そもそも私はまだ、ライムスターとソールドアウトしか知らなかった。
 ただでさえ狭かった教室での私の居場所はどんどん狭くなっていき、もう壇蜜が着てる様な紐みたいな水着ほどの面積しか残されていなかった。中学からの付き合いだった、アニメや漫画が好きだった友達は、私がストリートファッションやラップの話をする様になるにつれて、話しかけてくる回数が減っていった。少し化粧を濃くしたりスカートを短くしたくらいでイケてる女の子たちが弄ってきて、その度にいじられキャラに甘んじてやるのが面倒臭かった。昼休みあけの五時限目の授業中、さっき話しかけた放送委員の男子が、仲間内でコソコソ私の話をして嫌な笑い方をしていた。
 窮屈だった。ダサいやつはやっぱり、イケてる奴らに合わせてコソコソ生きていくしかないのだろうか。そして何よりヒップホップは反社会的な側面が目立っていて、結局マジョリティに押しつぶされてしまうことに抗えない私は、全然ヒップホップじゃなかったのかもしれない。
 
 そんな風に退屈な毎日を送っていると、気がつけば秋も半ばになっていた。あんなにヒップホップに憧れたのに、やっぱり私には合わなかったんだなと、少しづつ聴かなくなっていった。
 バイトに行かなきゃ。着替えて玄関のドアを開けると、パーカー1枚では少し寒いかもしれないと思った。1度自分の部屋に戻ってクローゼットを開ける。暑すぎず、簡単に羽織れるもの。ちょうどいいのは、今年の春に浮かれて買った、エンジ色のアディダスのジャージだった。それを軽く羽織って自転車に乗った。
 ダサいうどん屋のバイトを終えて、アーケードを自転車でブラブラと走った。夜10時過ぎのアーケードは人で溢れていた。大通りはチェーンのお店が多くて安全だけど、少し抜けると危ない店がいっぱいあると噂が立っていたので、私は普段は大通りしか通らなかった。クラスの女子が、真夜中のシャッターが降りた質屋の前で、フルフェイスのヘルメットをかぶった男たちがアイスピックでシャッターをこじ開けようとしている現場を見たことがあるといっていた。クラスの男子が、大学生のギャング集団の喧嘩を目撃したと言っていた。一人のギャングの首がバイオハザードに出てくるボスキャラみたいに球体状に膨れ上がって、そこに血が溜まって赤黒くなっていたと言っていた。
 私がアーケードを自転車で走っていると、ストリート系の、ダボダボの服を着た集団が目の前を通った。過去の恋愛を引きずる山崎まさよしの曲のごとくジーンズの裾を引きずっていた。ふと私は風になびく自分のジャージを見た。ワンチャン今の私は、ヒップホップなのではないだろうか?このアーケードの裏路地の居酒屋やバーがある通りに、クラブがあることは以前ネットで調べたことがあったので知っていた。
 私はアーケードの駐輪場に自転車を止めてクラブに向かった。イメージでしかないけどそこは、セックスとドラッグが蔓延するカオスなのだろう。
 古いアーケードにしては綺麗な雑居ビルだった。同じビル内にはリラクゼーションマッサージのお店とキャバクラと、エロそうなバーが入っていた。その最上階の1つ下のフロアにクラブはあった。青とピンクの照明。四角いカウンターの中には上品なバーテンダー。まだ音楽はうっすらとしか流れていなかった。私の想像とは全然違った。清楚っぽい大学生とか、スーツを着たハゲたおっさんとか、もちろん、タイの野良犬が如く、めっちゃ細いけど見るからに危なそうな奴もいるけど、なんだか思っていたよりも清潔で健全だった。
「身分を証明できるものをお持ちでしょうか」
 お店のドアを開けて店内の光景に見ほれていると、シュッとしたお兄さんにそう言われた。やばい。
「あ、ちょっと待ってください」
 私は慌ててポケットをまさぐるふりをした。当然身分を証明するものなんて持っていなかったし、持っていたとしても私は未成年だった。
「こちらの店は、未成年の23時以降の出入りを固く禁止させていただいておりますので、悪しからず」
「あ、はい。わかりました」
 お兄さんはそう言ってから私の元を離れた。今は10時半くらい。あと30分ほどで私はここを出て行かなくてはいけない。
 私は何もすることがなく、ただただバーカウンターに座っていた。周りから聞こえてくる、私のいる世界のものとは思えない会話もちっとも耳に入っていなかった。何もかもがキラキラと光っていた。強い憧れと、それと同じくらいの劣等感が胸を満たした。私の居場所はどこにあるんだろう。
「何も飲まんと?」
 隣に腰掛けた男がそう言った。無数の、バームロールほどの太さに絡み合った髪の毛の束。それと反して、気弱な顔をしていた。薄い肌に細い目。細い体に、アディダスの黒いジャージ。
「未成年なもので」
「俺も」
「え?」
 彼はずっとモジモジしていた。
「それ、何飲んどると?」
 私は彼の手に持っている透明の炭酸を指差した。
「ジントニックたい」
「なんねそれ、かっこ良か名前。ジョーイ・スロトニックみたい」
「誰ねそれ」
「『インビジブル』って映画の監督たい」
「飲む?」
「うん」
 彼は目をキョロキョロさせながら私にグラスを渡した。恐る恐る一口その液体を飲んだ。甘さの中に、喉にまとわりつくような苦味があった。
「ジュースみたい」
「だろ?」
 こういう場合は私が照れる番なのに、彼は顔を赤くして照れていた。
「何歳?」
 私は彼に聞いた。
「16」
「え、タメね」
「え、ほんなこて?」
「本当たい。どこ高?」
「あんま学校の話ばせん方が良か」
 彼は小声でそう言った。そうか、年齢はバレない方がいいのか。
「そのドレッド頭、いつからやっとーと?」
「中2の時に先輩の知り合いにやってもらったったい」
「よう親が許してくれたね。ボブ・マーリーが親やったとしても『やめとけ』言うレベルとよ」
「ブァワハハ!なんねその言い回し!」
 もしかしたら、男の子が私の話で笑ってくれたのは初めてかもしれない。
「酒、何か飲みごたるもんあっと?俺に言うてくれれば貰って来ちゃるけん。こんな髪型の高校生おらんけんね」
「あはは。確かに。じゃあ、ウィスキーが飲みたか」
「そんなん飲めっと?バリ度数高かよ?」
「え?まだウチには早かね?」
「うん。じゃあハイボール貰って来ちゃるけん」
 彼はそう言って席を立った。落ち着かない所作。浮ついた歩き方。周りをキョロキョロと見る輝いた目。変な髪型の彼は、やっぱり私と同い年のようだった。
「はい。ハイボール」
 私はハイボールを一口飲んだ。
「なんか、味がせん」
「うん。俺も、お酒の味は分からん」
「それは何貰ってきたと?」
「ウィスキー」
「なんね、ウチには早かって言うとったんに」
「だけん、カッコつけてみたかったんよ」
 彼はそう言いながら金色の綺麗な液体をチビっと飲んだ。そしてその後を追うように透明な液体をチビっと飲んだ。
「その透明のは?」
「水たい。チェイサーって言うとよ」
 人と一緒にいてこんなに胸が弾むのは生まれて初めてだった。
「飲んでみてもよか?」
「うん。気をつけて」
 私は金色の液体を少しだけ口に含んだ。その瞬間、舌の上がビリビリした。びっくりしてその液体を飲み込むと、喉の周りが燃えるように熱くなった。
「ビャ〜!喉が燃える!体が熱い!アラスカでかき氷が食べたい!」
「これ飲め!」
 彼は私に透明の液体を渡した。私がそれを飲むと、また喉に熱が襲ってきた。
「うわ!これは何ね!?」
「ラム酒たい」
「酒かい!『死亡遊戯』かってくらい次から次に危機が迫ってきちょるやん!こりゃブルース・リーも死ぬわ!」
 彼は私に正真正銘の水を渡しながら笑っていた。「お前、面白か。『死亡遊戯』なんて知っとーJKどけおっとよ」と言いながら肩をヒクヒクさせていた。グラスの水を一気に飲み干し、私は深呼吸をした。なんだか男の子と、いや、人とこんなにワイワイ騒ぐのは初めてな気がした。ずっと一人頭の中で、物事に対する文句を言っては、それにまた自分で返して、それにまたまた自分で返して、って言う具合に、私にはちゃんとした話し相手が私しかいなかった。
「ねぇ、名前は?」
「恭平。お前は?」
「邦子。ダサかやろ?」
「別に、名前なんてただの記号じゃて。それにダサくなんて無かて」
「ねぇ、恭平くんは、タバコとか吸わん?」
「なんね、吸ってみとーと?」
 彼はそう言いながらポケットから黄色いパッケージのタバコを取り出した。
「その箱、かっこ良かね」
「いやこれ、タールもニコチンも少にゃーけん、ビビリが吸うタバコて言われとーよ」
 彼はそう言いながらタバコを咥え、タコみたいに口を尖らせたまま、なんとも間抜けな顔でタバコに火をつけた。きっと彼も、いろんなものに憧れてるんだ。
「吸うてみ?」
 彼は紫の煙を吐きながら、私にタバコを持たせた。私は人差し指と親指でそれをつまんで、恐る恐る咥えた。きっととてつもなくブサイクだろう。
 煙は、思っていたよりもすんなりと私の肺を満たした。そして私も紫の煙を吐いた。
「案外、吸える」
「でも、金かかったい」
「そうね。それにやっぱウチは、タバコはよか。何にも満たされん」
 それから私たちはお酒をもう一杯飲んだ。11時を過ぎていたけど、恭平と一緒にいると、不思議と何も言われなかった。
「今日はヒップホップのイベントなんばい」
 彼は言った。顔をよくみると、頬骨のあたりにポツポツとそばかすがあった。
「知っとる。ヒップホップ、好いとーと?」
「うん。俺を救ってくれた音楽だけん。邦子のそのジャージ、RunDMCみたいでイケてっとよ」
 それからイベントが始まるまでは、私たちはお互いのことを話した。私は初めてのお酒に、なんだか頭がふわふわしていた。
「さっきから気になっちょったけんね、恭平くんは、なんか悪っぽく無かね」
「…実はな、あんま女の子と喋ったこと無かったけん」
「なんで?」
「俺の学校、男子校やけん」
 彼は恥ずかしそうにドレッドの頭をぽりぽりと掻いた。
「ダサかやろ?だけん話すこと無かて困っとる。学校の連中は下ネタでしか会話せんけん、女の子に何聞いたら良かか分からんたい。そんで、『髪の毛良か匂いすんね』とか言ってしもうて、バリ引かれる」
 私は笑った。なんだか人の話でこんなに笑ったのは初めてな気がした。
「学校の奴らな、もうAVじゃ虚しくなるけんね、女性誌とか読んでみんなしよるんよ。マジもんのセックスを想像するたい」
「あはは!なんねそれ!バリ気持ち悪か!ちなみにな、ああいう雑誌のSEX特集、あてにしたらいかんよ?」
「え?女は浅く遅くが良かとやないと?」
「なんねそれ、そんなアホなこと書いとったと?多分その記事はマザー・テレサ並みの処女が書いたとよ。まぁ、ウチもまだ分からんけん何も言えんけど」
「今の言い回しは少しズレとったね。テレビ熊本のゴールデン番組の開始時間ぐらい微妙にズレとった」
「その例えも合っとるか微妙やって。まぁ確かにがっつり8時より早う始まるもんな。油断してトイレば行っとーとアンビリーバボーの導入部分見逃しちょる時ある」
 私がそう言うと彼は、「邦子には勝てん」と言って笑った。
 イベントが始まった。いつの間にか店内は人で溢れかえり、一箇所にみんな集まっていく。大きなスピーカーから重低音が内臓を揺らす。
「邦子、俺らも行こう」
 恭平は椅子から立ち上がり、私の手を引っ張った。
 急に立ち上がったからか、それとも重低音のせいか、私は急に視界が不安定になった。どこに向かっているかも自分でわからない。どこに自分の体があるかさえもわからなくなってる。
「恭平くん!なんかウチやばいかも!」
 彼は「え?気持ち悪い?」と言いながら私の手を引いて早歩きしだした。私は真っ白な視界で、ただただ彼についていった。そしてどこかに叩き込まれた。ひざまづいた場所に便器があり、映画『おとなのけんか』のケイト・ウィンスレットが如く唐突に胃の中のものを全て吐いた。何回か吐いてから、深呼吸しながら徐々に冷静さを取り戻していく。あ、まかないで食べたうどんだ、などと自分の吐瀉物を無心で眺められるほどに冷静さを取り戻してから、私はトイレを出た。
「目がめちゃくちゃ泳ぎよるね。ウリナリのドーバー海峡横断部ぐらい泳いどるよ?」
 恭平は笑ってた。「ごめん。今それに返す余裕無か」と私は胃をさすった。
「帰ろか。送っていくけん」
 私は遠慮できるほど余裕がなかった。
 私の分のお金も恭平が出してくれて、私たちはクラブを後にした。駐輪場まで二人で歩いた。よたよたと歩く私の歩幅に恭平は合わせてくれた。
「恭平くん。ごめんね、お金、必ず返すけん」
「うん。それは返してくれんと困る」
「並んで立つと、背高いんやね。安心感がある。黒人の吹き替え当てる時の山寺宏一ぐらい安心感がある」
「ほんとよーそんなポンポン出てきなすな。練習すればラッパーになれったい」
「無理に決まっちょるて」
「今日一曲も聴けんかったけんね、邦子に聴かせたいのがあるんよ」
 そう言って彼はスマホにイヤホンを挿入して私に渡した。
「俺は、この人たちに救われた」
 恭平は曲をスタートさせた。
 ヘンテコだけどキャッチーなトラックに、キレのあるラップ。共感性羞恥を煽る過去の黒歴史をただただ並べて、その無駄に思える日々を肯定するようなリリックだった。
「ダサくても良かって。ダサくても、不良じゃ無くても、ヒップホップ好きで良かって。学校も楽しく無か、全然モテんし、なんもうまくいかんばってん、『だがそれでいい』って」
「そんなドレッド頭で言われてもなんも響かん」
 私もずっと居場所がなかった。顔もスタイルもイケてない、勉強もスポーツもできない、男の子と喋れない。だがそれでいい。あれがあって今があるってことに感謝。
 駐輪場から自転車を取り出して、恭平はそれに跨った。私はその後ろに座った。
「恭平くんのドレッド、バリえぐい匂いする」
「ドレッドは洗えんけん、ケアが大変なんよ」
「やめたら良かやん。普通の髪型にしたら少しはモテっと思うとよ?」
「やめん。これはザック・デ・ラ・ロッチャだけん」
「なんねそれ」
「レイジのボーカルたい。世界一のラッパーやと思っちょる」
 不器用で、男子校生で、あんまりイケてなくて、でもそんな彼でよかった。そんな彼が良かった。
「恭平くんは、どんな子がタイプ?」
「ん〜、女の子はみんな可愛く見えるけん、よう分からん」
「ストライクゾーンが広かね。バッターボックスに立った時のマイケル・ジョーダンのストライクゾーン並みに広か」
「確かにジョーダンはデカかもんね。でもシャックの方がデカかよ?」
「バスケはジョーダンしか分からんもん」
 下品な笑い声をあげるダサい二人を、アーケードで夜遊びするイケてる奴らが一瞥する。
「邦子、俺腹減ったけん、なんか食べていかん?」
「良かよ。うちも全部ゲーして胃の中すっからかんやけん。何が食べたい?」
「う〜ん…うどん。締めにちょうど良かけん」
 うどん。まかないで食べたうどん。さっきトイレでも見たな。
「オロロロロロ」
 私はさっきトイレで吐いたものの残像によって、自らもらいゲロした。恭平の背中にかかった。
「うわ!お前ふざけんなや!」
「だって!あんたがうどんの話なんてするけん!」
「ちょ、おま、まじか〜」
 恭平は自転車を止めてジャージを脱いだ。「うわぁぁぁ!」と言いながらそれを丸めてアーケードのゴミ置場に投げ捨てた。
「ごめん。弁償するけん」
「約束やけんな。じゃあ、今度一緒に見にいくか」
 やっぱり、アディダスのジャージは私に全てを与えてくれた。そして私は恭平のアディダスのジャージを台無しにした。私が帰り道なんども謝ると、彼は最後に、「もう良かて。どんだけ過去振り返ると?牽制するピッチャーぐらい振り返っとるよ?」とちょっとしたり顔で言ってた。
「それ、つまんらんたい」と正直に返してやった。
 


 
 
 

 

 

 
 
 

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