見出し画像

はじめて、文章で出会った人たちに会った日のこと

先日、オフ会と称して、noteのお友達と会ってきた。

考えてみると、インターネットで出会った、顔も知らない方々(知っている人もいる)とお会いするのは、人生ではじめてのことだ。

2019年11月17日、大阪・難波にて。不思議な気持ちでみんなに「こんにちは」をした。

いや、正しく記述すると落ち着いて「こんにちは」していない。

私は難波の人ごみのなかで、道に迷っていた。

スマホの時刻は、待ち合わせ時間の11時30分を1分ほど過ぎている。行くべき場所はわかるが、足を進める方向がわからない。Google Mapのぐるぐる回る矢印が、普段、道案内を必要としない海外の田舎に住んでいる私を混乱させている。

「迷いながら行きます」と遅れる一報をいれる。

困惑の矢印を頼りに進み、「たぶんこのビルだな」と見上げたところで、入り口から見覚えのある顔が飛び出してきた。

マリーナこと、マリナ(敬称略)だ。

マリーナの顔は、第2回note酒場で写真をもらったから覚えている。いきなりにご対面したものだから、不意打ちすぎて、出会いのハグをし損ねた。

マリーナの後ろには、クニ∞ミユキさん。ミユキさんのことは、一瞬ルミ姉さんと勘違いしました。ごめんなさい。

二人に先導されてエレベーターでビルの8階へ。お店にはいり、細い廊下を進むとその先の個室にアイコンの向こう側の人たちがいた。

フクロウの仲さん、パンダのハネサエ.さん、目線を下に笑うゆみっぺさん、にやりと不敵にほほ笑むillyさん、ネズミちゃんのマリーナ、「ぽ」っという顔のぽこねんさん、穏やかに上をむく嘉晶さん、麦わら帽子をかぶった後ろ姿のルミさん、実はビール飲んでいる風アイコンのミユキさん。

わあ、すごい。みんな、ほんとうに、ここにいる。

文字にするとなんとも間抜けな感動が、私の脳内を通過していく。

お土産を渡したつもりが、怒涛のお土産をもらい、乾杯してご飯を食べて、2軒目でお茶して。気づいたら、さよならする時間だった。

楽しいって、なんでこんなに過ぎ去るのが早いのだろう。

おおざっぱなくくりで話すと、文章で出会った人たちは、2種類いる。「文章のイメージそのままの人」と、「文章のイメージと違う人」だ。

きっぱりと断言するわけではなく、なんとなーく、そうかなーぐらいの感じ。

何人かの感想から推測すると、私自身はなんだか後者に近いらしい。やさしげな文章の雰囲気とほんわかアイコンに対して、実写版はパキパキしているそうだ。

よいとか悪いとかではなく、こうした誰かのイメージ上の私を聞くと、へえと思う。面白いので。

ちょっと釣り目のフクロウアイコンの仲さんは、想像した30倍ぐらい、やさしい雰囲気だった。ちなみに、あのアイコンのフクロウは自作の木彫りだそう(ずっと、本物のフクロウの写真かと思っていた)。

仲さんのレポにあるように、「カバの話」とか「あきないの話」に、仲さんっぽさを感じてしまう。仲さんご本人なんだから、当たり前なのだけど。

ぽこねんさんがカバの話に食いついていて、その語り口と選ぶ単語がぽこねんさんだなあと思った。小柄な背中のリュックサックが、福岡からはるばるいらした旅感を醸し出していて、はっきり言って似合っていた。

ハネサエ.さんは、想像より声が高い。そしてパンダじゃない(当たり前だ)。免許更新の難易度とか、参観日の多さとか、この嘆きがあの文章に変わるのか……と思いながら聞く。今回は、娘ちゃんおひとりとのご参加だったけれど、3人そろったらダンレボを踊るのかしら。一緒に踊ろうね。

初対面なのに、すでに3回くらい会っている気がするillyさん。感謝とお祝いの気持ちを込めて選んだワイン、割れずに持ってこれてほっとした。illyさんは、サマトレやらタイトルコンペやら、私のnoteライフを楽しくしてくれたひとりなので、ほんと、会えてよかったという気持ち。

ゆみっぺさんの関西弁の語り口は、noteの文章みたいで、ほんわかした。うっかり者、みたいなことを書いているけれど、実はしっかりさんなのでは……幹事ありがとう。それから、結婚記念日おめでとうございます、って言い忘れちゃったから、ここに書いておくね。

ミユキさんは、文章の茶目っ気を凝縮したような雰囲気だった。今度からミユキさんのnoteに「うふふ」って書いてあったら、あの笑顔で再生される。アイコンと似ていますよ。

ルミさんは、安定。私、みんなと初めて会うから緊張しちゃうのに。ルミさん、ずっと楽しそうに話していてうれしかった。最初に乾杯したとき、グラスを合わせた瞬間の写真を収める姿をみて、ルミさんだ!と強く思ったり。

嘉晶さんは、すごく、嘉晶さんで。ツイッターやnoteの語り口と、実際の声のトーンや話し方がぴったりと、私の頭のなかでリンクする。静かにオオサンショウウオのぬいぐるみに手を出す姿がツボでした。頂いたお土産、後生大事に読みます。

たぶん、文章の印象と一番違いを感じるのがマリーナで。他の人のレポにも出てくるように、「つよつよ」よりも、聞き上手だった。東京から&病み上がりでの参加ありがとう。いろいろと、嬉しかったです。

1000字をつかって、お会いしたみんなのことを書いたけれど、これはほんとに本当の一部。実際に会うって、ものすごく膨大な「情報」を共有するのだなと思う。到底、書ききれない。

文章のイメージと一緒か違うかどちらにせよ、そこにあるのは新鮮な驚きだ。

やっと会えたという高揚感と、夢見心地と、少しの緊張と。ふわふわとした、幸せな時間だった。

海外に移住してからの10年間、友人との別れ際、「次に会う日」を考えるようになった。9000キロも離れた場所に住んでいる。「じゃあ来月」というわけにはいかない。

次のチャンスは、来年かもしれない、5年後かもしれない。もしかしたら、ずっとやってこないかも。海を越えて行ったり来たりする人生なぶん、なんとなく「最後」を意識する。

すべては移り変わっていく。書き続けていればまた会える、なんて、やさしい保証はどこにもない。

でも。

もし、次の機会がなかったとしても、楽しい記憶は残る。

仮にいまと同じ熱量や、共有する目的がない未来で会ったとしても、穏やかに近況を報告し合い、元気でね、と手を振る友達がいたら、それはとても幸せなこと。

ぽこねんさんが、「会いたい人に、会ってみようと思って」と、明石に行く話をしていた。そうだな、と思った。

日々の暮らしは、すごい速さで流れていく。人生が短いと思ってしまうのは、あまりにも変わるものが多いからだ。関係性も、想いも、目標も。目には見えない激流みたいななかで、「会いたい」が互いに重なるのは、きっとちょっとした奇跡なんだろう。

変わることは寂しいけれど、変化はいつだって新しいものを連れてくる。秋に葉を落とし、冬を耐え、春にふたたび花を咲かせる木のように。

最後に。以前、こんな記事を書いたからか、お別れのときに、ひとり一人、ハグできてうれしかった。

会えてよかった。ありがとう。元気で。

そういえば、仲さんだけ握手で別れた。「なんで?」と聞かれてもちょっと困る。なんとなく、としか言いようがない。

みんなとさよならして、お腹の辺りがほわほわと暖かい気持ちを抱えながら電車にゆられていると、「今日のマリーナ、あきらとさんのイラストそっくりだな」と、ふと思った。


会ってみたから、気づくことがある。楽しかったな。

また、いつか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?