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医療・福祉カンファレンスの重要性について家族が考えること

みなさんは、カンファレンスと言う言葉を聞いたことはあるでしょうか?
会議や協議会と言った意味があるようですが、私の身近では母の介護の関係で病院での医療カンファレンスと福祉サービスのケアカンファレンスがあります。どちらも患者本人やその家族が出席するため私も出席します。
病院での治療後の生活の不安だったり、福祉のケアが必要な方にとても重要な会議ですが、なぜか形だけになってしまっているように思えてしまう。


カンファレンスの目的

医療カンファレンスは病院での入院治療から日常へバトンを渡すために行われるので病院側の主導で行われます。本人の現在の状況と今後の生活の留意点りゅういてんなどを整理して関係者に理解や協力をうながすのに役立つのです。

場所は病院内で出席者は主治医、看護師や理学療法士、ソーシャルワーカーなどの患者の治療にかかわった病院関係者、そして退院後の生活のケア計画のためケアマネージャー、介護サービス関係者。
(ソーシャルワーカー:社会福祉相談員 |ケアマネージャー:介護支援専門員)

福祉のケアカンファレンスはケアマネージャー主体で自宅で行われます。医療から引継いだ病状や留意点りゅういてんを考慮して、本人が家に戻り実際に日常生活を過ごすためのフォローが中心なります。

出席者はケアに必要な介護施設や在宅でのヘルパー関係や介護品レンタル業者などで、病院側の担当者は病状からの生活上の注意などアドバイスの必要に応じて出席を頂きます。

そしてどちらも本人と家族は出席します。出席することで不安に思っていることや、助けてほしいことをカバーできているかなどを確認することができます。

本人からの意見を聞いたり直接動作を確認することで、改めて必要なことを確認できますし不安を解消することもできます。家族も、どこまでフォローすればいいかや自分たちで難しいことを利用できるサービスはないかなどチェックできます。

必要なことは、本人達が日常で生活していくなかで、動きや考えをイメージすることです。当然、できないことを再認識することになったり、できると思ったことができないと感じることになり、辛い気持ちになることにもなるかもしれません。

でも少し手伝ってもらえたり、道具や工夫で諦めないで生活を続けることができたりもするのです。状況によってはリハビリを維持し続けることで体調に余裕ができて、よくない部分の改善につながるかもしれません。

そして福祉関係者は引継いだ本人の現状を理解して日常生活のフォローをする。本人がどう生活したいのか、日常生活のクオリティも意識して取り組んでいく。

本人も家族も、カンファレンスで相談できることを知り、新たな生活に希望がもてたり、安心感をもてたりする。そうあるべきだと私は思うのですが・・・・。

カンファレンスは誰が進めているの?

私がこれまでで思うのはカンファレンスを呼びかけても目的を宣言したり、進行を調整したりまとめたりする人がいないと感じます。

医療カンファレンスなら病院のソーシャルワーカーが主導になるのでしょう。はじまりこそ患者さんの退院後のケアについて、とお話をされますがそれぞれの担当者に意見をうながすだけなのです。

ソーシャルワーカーから担当医師へ
「〇〇先生お願いします。」

「はい。患者の〇〇さんは、年齢は〇〇才で退院後は自宅での生活を希望されています。」症状はと続き~以下医学用語マシマシでデータ中心のオブラートにくるまない、身内にはきつい表現で状況説明。

それでは〇〇担当の〇〇さんそれについて意見は?質問は?ご家族はどう思われますか?と続けて聞いていきますが、思い思いに意見を言ってひととおり終わると・・。

ソーシャルワーカー
「どうでした?よろしいでしょうか?ではご退院は何日にしましょうか?」

一同、「・・・・・・・・・・。」

「ご家族はどうされますか?」

「えっ?私ですか?・・・・」

私(突然聞かれて???)
「あの、皆さんお互いに疑問に思っていることを、聞きたい人に聞いて納得されていますけど、病院で治療していたことを家ではどのよにできるとか、お薬の処方とか解決していないので回答のしようがないのですが・・」

「あとで介護施設の所長さんと全体を確認させていただいてから、私から病院へ連絡します。それでよろしいでしょうか・・・。」

ソーシャルワーカー
「そうですか、では、そのように決りましたのでよろしくお願いし
ます。」

解散・・・・・????。

このような感じが最近ありましたが、これまでもあまり変わらないです。
お互いが思うところを相手に聞いただけで、聞かれた方も現状を話すだけの学校の教室スタイル。

質問・・・よろしいですか?・・・ハイ次・・・。みたいなことをつづけるだで方向性や留意りゅういするところなどは聞かなければ話さないし、意味がわからないところを言い直させる人も、要約してくれる人もいない。

そして福祉のケアカンファレンスは場所が変わり、進行役がケアマネージャーということや、呼ばれる人が違うだけで集まって意見交換をするだけです。

はっきりしないことを家族の私から質問をすると、全担当者が私に質問してきてケアマネージャーまでどうしましょうか?・・・。

私が思ったのは、みなさんカンファレンスするのに関係者への根回しが不十分だということ。かつ、カンファレンスのひな形もないでしょう?

仕切っている人のスタンスがあいまいなうえに全員が担当者意識から抜けていない。何をすればいいかを聞きに来るだけの人達になってしまている。

何で集まっているんでしょうか・・・・?


誰も考えていない・・・。

カンファレンスを行うのに各担当者を集めますが、日常の業務が当然あるので時間を作ってくれる。人によっては1時間以内でとか条件がある人もいます。

他に日常業務を持っていて時間を作ってくれている人に、もっと集中してくれとか言いづらいですし、質問に関して真摯しんしに説明をしてくれる人達を悪く思うつもりはありません。

ですが患者(利用者)に対しての今後を考えていなくて、集められる日時に予定を組んだら良いというのでは意味がありません。集まった専門家の技能や知識を見せてほしいのではないからです。

麻痺まひなので脚が動きませんではなくて、動かない脚のケアを自宅でどうすれば良いのか?拘縮こうしゅくの可能性や時間の経過によるリスクに備えるケアはないのでしょうか?
 (拘縮こうしゅく:動かせないところの関節が硬くなり動きが制限される)

すべてのケースを網羅もうらすることはできませんし、生活をスタートして始めてうまく行かない事に気が付くこともありますから、完璧な計画を望もうとは思いません。

でもそれぞれの担当者が対象である本人の病状や回復状況を把握したうえで
、今後の生活のためにできることを事前に考えてくるような気持ちでないと、当日聞かれた事を答えるスタンスでは建設的な意見などとうてい出るわけもないです。

福祉のケアカンファレンスはとくにです。医療カンファレンスは入院した原因である治療対象に対しての説明や提案が中心になります。でもケアカンファレンスは本人がもともと持っていた障害や、持病なども考慮したうえで日常生活を一連の流れとして考える必要があるからです。

改善するには目的の共有と情報、それを事前に考えてもらうようカンファレンスの進行役しんこうやくであるケアマネージャーが根回しをして、同じ方向を向くようまとめて頂くことが大切だと思います。

専門用語をなんでそんなに使うのか?

当たり前のように専門用語を使っているのですが、誰に話をしているつもりなのでしょうか?

 例えば・・・
・今日、カンファレンスに立ち会うSTさんが遅れていましてあと15分くらいで準備できますから・・・とか。
   (ST=言語聴覚士:言葉や嚥下機能の専門家)

老健でもそういったサービスをしているところもありますが・・・。
    (老健=介護老人保健施設:リハビリも兼ねた老人施設)

・入院中にPTさんを介入させることはできますよ・・。
  (PT=理学療法士:日常生活の基本動作の向上)

・今はPTさんがリハビリしていますがOTさんも並行して対応します・・・。
  (OT=作業療法士:生活に合わせた応用的作業能力、自立視点で見る)

こう言ったことを当たり前のように使い、かつ医療機関の確認書類などにも書いてあります。これを初めてリハビリ施設に入ったり、福祉を利用するひとにも当たりまえのように話す。よくわからないのでもう一度というと、ゆっくりと話す。そっちのわからないではないです。(笑)

本人や家族のサインする書類に専門用語を入れるのはよくわかります。関係者が共有して回覧するような書類なら専門用語の方が早く伝わるし組織的にはそのほうがわかりすいからです。

でもそれなら欄外らんがい注釈ちゅうしゃくぐらい入れてほしいし、そうすれば言葉で言ったときも書類を見返せば専門用語の意味もわかるのにと思います。

得意げに説明している人にかぎって専門用語を多用するので、始めの頃は何言ってるかわかりませんでした。

モニターでカンファレンス

医療カンファレンスで集まる日に、どうしても介護関係のみなさんの都合がつかないのでモニターを使ってカンファレンスをしましょう・・。そんな提案をいいですよといったものの、当日は病院の担当者以外、全員モニター出席。

世の中はデジタル通信時代で在宅ワークや在宅勤務でモニターを使うのが珍しくなくなりました。コロナの時は特に面会も遮断されるなか、タブレットで面会をしてくれる病院もありました。

けれど時間が無ければなんでもモニターで良いとは思いません。特に参加者がほとんど初対面であり、内容が固定的ではない案件であること、一番の問題は信頼関係が構築されていない相手と当日画面だけで話し合うということです。

本人を見て対応を考える内容が多いのに、進行役がモニターをあっちに向けこっちに向けしながらで、なにに集中しているのかわからなくなります。

時代の変化もありますし、モニターを使うことを否定するつもりはありません。でもお互い知った者どうしや同じ世界感、業界間をもったものどうしが話すのならわかりますが、当日、初対面でモニターで見て何がわかるのでしょうか?

事前に情報も準備もない中、当日モニターを通して短時間で対応するってすごいことだと思いませんか?

もう少し深掘ふかぼりりしてみませんか?

福祉のケアカンファレンスの他に似ていることで「サービス関係者会議」というものがあります。これは退院時の臨時のケアカンファレンスとは違い、ケアマネージャーの作成するケアプランについて関係者と確認し合いながらケア内容を共有、再構築するための会議です。

これはこれまでのカンファレンスとは違い法律で実施しなければならないこととなっています。始めて福祉サービスを利用することになった場合や、本人の状況がこれまでと変わってしまったとき等にも、ケアマネージャー主導で実施しなければならないとされています。

でも実際は、退院時のケアカンファレンスと混同される担当者が多いようです。ようは、もう終わったという解釈になるのです。今後の計画の再構成を一時的な打ち合わせと同じレベルで扱われる。

継続して利用していた福祉サービスについても新たな体調の変化についてこれまでと同じで良いかを通達したり、他の担当者からみた多面的な評価を確認しなければならないはずです。

となれば、通常のケアカンファレンスで決められることよりも深く考えられた内容にしなければならないのではないでしょうか?

在宅でのケアプランについて、定期的に利用者に渡す在宅サービス計画書というものがあります。通常は3ヶ月に一度ぐらいは家に訪問して渡すのが普通です。

その際、日頃からモニタリングやアセスメントの習慣がないと、ケアカンファレンスやサービス担当者会議などまとめれるわけがないと思います。私が浅い内容が多いと思う原因の一つです。
(モニタリング:ケアマネージャーが福祉サービスの実施状況や効果を評価検証する)
(アセスメント:利用者の状況の把握、要望を阻害している問題点を探す)

モニター会議も良いですが、まずは信頼関係の構築が必要。私の身近ではコロナ過で行政が感染予防のため訪問を中止にした臨時措置を、いつまでも訪問しない理由にするような空気がありますが必要なことはほかの手段で対応頂きたいです。


終わりに・・。

医療、福祉のカンファレンスは大きな病気や障害をおってしまった場合、 とても重要な会議なのですが、本人にも家族にも敷居しきいの高いものであってはならないと思います。

担当される皆様の協力なしで私たちは生きていけないほどのことなのです。
理想どおりに行かない事も、人が少なく時間をさいてはいられない。ひとつの案件ばかりに関われないのもわかっています。

でも、利用者や家族は自分たちの権利も、病院や福祉の方の義務もわからないんです。利用することだけを教えられてもわからない。平気ですよといいながら誰も来ない部屋で紙オムツをつかんだまましゃがみ込む家族だっているんです。

私はもう充分です。これまで関係者の方に助けて頂いてここまでこれましたが、それでもひとりだったという気持ちは残っています。ですが今も苦しい方やこれからどうしようと思っている方がおられると思います。

ケアマネージャーには特に、利用者や家族にはひとりではない、自分たちだけじゃないと思えるケアをしてあげてほしいのです。コロナで訪問が制限されているではなく、月に一度ぐらい電話で状況を聞いてくれたり、メールを使える方にはメールでとか・・。それでも性格的に受け付けない方もいるかも知れません。

でも、かかわることで叶うことも叶わないことも聞いてもらえることや、他の方はこうしていますよって聞くだけでも心が楽になる。

私は今の医療や福祉は日本文化が育てたもの。人に対する思いやりに基づいた機能であると思っています。ただのルールではない。本質さえブレなければこの国のシステムは最高なのだと思いたいのです。

〔関係者の方へ〕
もし関係者の方が読んで頂いたのなら、私個人の意見、解釈です。
知識や解釈に違和感を感じてしまいましたらまことに申し訳ありません。
一介護者の考えです。こういう考え方もあると思っていただければ幸いです。

〔参考までに読んでいたたいた方へ〕
母の介護をしながら、経験の中で気になる福祉の事などをその都度つど、学習した解釈で書かせて頂きました。マイナスな事を多く書いていますが、全てが良くないということではありません。

こう言った考え方や考察については日頃業務に邁進まいしんしている誠実な看護、介護の現場におられる病院や福祉の方々の考え方、その意見や表現の発信を参考に私の経験をもとに書きました。

ほとんどの関係者の方は業務に誠実であり、うまく立ち回れないときがあっても、ほんとうはそうしたい、そうでありたいと日々努力して協力いただいている方ばかりです。

最後までお読み頂き、ほんとうにありがとうございました。













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