なんでもあそびになる魔法 (地球体験記12)
高校は芸術系に行きたくて、美術の先生にデッサンを見てもらったり、芸術学部がある私立高校を見学したりした。
オープンスクールに一人で行って、初めて油絵具を使わせてもらった。思ったような色が出なかった。でも油絵具のフニフニした感触が氣に入った。
芸術に集まる人間は見てるだけで面白い。好きを全面に押し出した髪色、服装、確固たる個性。色とりどりの魂が教室の中でカオスを生んでいる。私がはじめに想像していた「集団」と解釈が一致していた。きっと将来こういう空氣感のなかで働くんだろう。今の集団の解釈がイレギュラーなだけだと思えた。
持ち帰ったパンフレットを母に見てもらったら、学費がヤバいらしい。学費のことを考えていなかった。
公立の進学校に行く事にした。
おかげさまで、設定次第でどんな舞台にもなると知ったのでね。まずは一般教養とされているやつを広く学んでみて、楽しめる方向を広げていくのもいいじゃない。
どこを通っても辿り着くところは一緒だ。私はきっと芸術をやる。
中学卒業と同時に、お世話になった自我視点とお別れした。
三人称と一人称を自由に行き来できる設定に戻す。
身体が軽い。オーラ、テレパシー、つぶつぶで創る宇宙のしくみも棚から下ろしてきた。おかえり。軽いカラフルな世界。
頭頂部もフサフサだ。心なしか、五感が前より綺麗にくっきりしていた。
元の感覚を余す所なく堪能すべく、色の波動、チャクラ、オーラソーマ関連の本を熟読した。シュタイナー先輩に出会ったのもこの時だ。
知っている内容なので、読んだことで新鮮な感動は無い。でも黙々と読んだ。完全に元に戻るには頭にも納得させてやらなきゃいけなかった。なぜかって思考を始めたのがデフォルトを棚に上げた後だったからだ。
思考からしたら「なんやこの新入りは!全部波動とか初耳やぞ!」と戸惑うばかりだろう。そいつは君が入る前に居た古参だよ、仲良くしてやってくれ。3年間活躍しすぎた思考君には少し休んでいてもらおう。
ということで高校生活はドラマチックにしなかった。今だけに集中して楽しもう。繋げる癖も忘れよう。壮大なやつはもういいや。
高校の勉強はとても面白かった。
特に化学と物理。今まで注目してなかったところにめっちゃいい喜びがあった。
「まず何もないところに基準点と方向をつくります。これが物理です」
物質世界ってコレかーー!!!!
安心に包まれた。全てが繋がった。
私の知ってる宇宙の波動のしくみがシンプルに説明されていく。嬉しくてたまらなかった。
数くん…!長年知らないふりしてきてすまんかった!3ってなんてシンプルでスタイリッシュなの!4のじんわり感と自然調和な感じラブ。28とか41とかやばくない?なんでそんな奇跡みたいなことしてんの?
しかし肝心の数学はデッサンの時間になった。
最初のうちこそ運命とか星の軌跡と無理やり関連付けて遊んだけれど、サインコサインあたりで意味づけがめんどくさくなって飽きたからだ。眼中から消えてしまったらもう絵を描くしかない。
国語も大好きだった。好きすぎて語れない。
古文を品詞から訳し、それと別にカタカムナから訳し、書かれた当時の雰囲氣を思い浮かべながら原文を読んだ。恍惚。
漢文を現代語訳して漫画を描いた。漢文はボケ要素が多くて面白い。友達はテスト前に回し読みしてくれた。楽しかった。
ただ月に2度の集会とは格闘した。
体育館に体育座りで敷き詰まり、ありがたい話を聞く会。
同じ人では飽きるだろうという遊び心か、毎回違う先生が手を変え品を変え同じことを言う会。
「将来の幸せのために日々努力を積み重ねなさい。塵を積もれば山となります。0.1でもいいからプラスを続けること。その頑張りは他の人にも伝わり、やがて団体として受験を制す」
自然に暗記できるぐらい繰り返された。
この設定を固めて教室に持ち帰り、勉学に励みなさいという。
そんなときは! テーッテレレッテッテー♫
私は「魔法アイテム☆紫のハンカチーフ 」を召喚する。
中学では、紫は甘えとして禁じていた。紫パワーで無敵になったりしたらそれこそ部活なんてやってられねーからね。しかし高校生の私には紫が解放されている。ふふふ、おもちゃたちよかかってきなさい!分別してあげるワ!
集会がある日はあらかじめ紫のハンカチをポケットに入れて行く。集会中、いそいそとポケットに手を突っ込んでハンカチを握る。
「将来の幸(中略)受験を制す」
が来たら耳から瞬時に手に流し、ハンカチの中で燃やす。サラサラ〜と金色の粉になるイメージだ。
その際、喉のところで好きな言葉をキャッチしておくのがポイントだ。喉は濾過装置なので、心地いい響きだけ残すように設定しておく。
そうすると耳に残るのは「幸せ」だけで、何の話を聞いたか忘れたけどなんか氣分よく教室に戻ることができる。
で、心ゆくまでお勉強を楽しむ。
よし、天才。
地球の遊び方を身体で覚えてきた。
しかして都合よく努力をなくした結果、お勉強だいすき人間になってしまった。
「試験のために勉強しないこと」
「直感を開いて氣もちいいやつだけ取り入れること」
が信条だった。
ある程度教科書の言っていることが分かると、高校生で研究できるのはここまで!って線引きがされてるように思える。
理系分野では、全てが波動なこと…みんなクルクルしながらグルグルしていること…は分かったけれど、波形の心と魂への作用や地球における楽しい使い方は習わなかった。クルクルの速さを求めただけ。
社会分野では、空間と時間軸で人や物を繋げて自分のルーツも分かったけれど、DNAに刻まれた記憶の活かし方は習わなかった。短期記憶を試しただけ。
めちゃくちゃいいところで寸止めされる氣分だ。
大学は研究機関だと聞く。きっとこの先の面白いところをやるのだろう。
ところがどっこい、大学の研究は専門的すぎて細分化しすぎなため、人生に活かせるカタチに統合されてエンタメにまで出てきづらいらしい。
本末転倒ではないか。
極限まで地球を楽しむコツを教えてくれると思って。実際ギリギリのところまで遠回しに教えてくれて。
そこで終わるんだ。
そうかぁ…
勉強…さみしいじゃん…
ということで芸大を受験してみようと思い立ったわけです。
有名な大学を勧めてくれた先生には芸大受けますとだけ伝えた。爆笑していた。変な人だ。
【当時の仮説】
知識の活かし方(地球の遊び方)はリアルで真面目な話だから、日常ではあんまり触れちゃいけないんだろう。
ゲーム内でリアルを透かすと冷めるように、わざわざスピリットを持ち出すなんざぁ野暮なんだ。だからあえて核心の前で止めるんだ。個人で面白がれる余地を残すために。
と思うことにして、飽きた授業はお絵描きの時間にした。当分は、絵と音楽を実践の場にすることにした。
デッサンの日々が始まったが想像通りに大変面白かったので語ることがないな。
ありがとう。続く
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