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地球体験記

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地球でやったことを記録しています。 ZEN 2001.10.26 愛知生まれ。ベガ、シリウス、アルクトゥルスをまわったのち平安時代以来の地球へ。三次元への憧れが強いが当事者意識が…
宇宙人のまま生きるに至るまでをすなおに振り返ってみました。今と切り離し忘れるための備忘録。平均30…
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ツッパリは学校を建てた (地球体験記13)

(地球体験記12のつづきです) 高校はね、宇宙視点を上手に使えた。 地球っぽい体験といえば、何にもこだわりがないから執着もなくて、恋愛がちょっと難しいと感じたくらいかな。恋愛のことはとっても面白くて、それだけでひとつ記事を書いちゃった♡よかったら読んでみてね。 高校3年。ようやく迎えた思春期はあらぬ方向に発露した。 なかなか本質を取り込ませてくれない授業と、教科書がちらつかせる愛と安心をこっちのものにできないまま迎えるであろう大学受験に嫌氣が差し、逆張りするようになった

きみが観測しなかった世界に

うにょうにょん𓂃 シャインマスカットから毛生えてていいね!って思ったくら寿司のパフェ。 先月、思わぬご縁があってしっかりディベートらしいディベートを繰り広げてしまった。 ふうふう。ぜいぜい。 おそらく運動の人が運動したあとに感じてるだろう疲労と爽快感を、私は言葉のドッヂボールで感じてる。いや、八割がたボール返せてない。中当てかもしんない。言葉の中当て、一生外野に出られない。 出来ればやりたくないこと第三位:活発な議論。 (一位は球技、二位は車の運転) その中でハッ

こっち側の夢の夢の話をしよう

あなたの幻想とわたしの幻想の間にある温かいやりとりという狭間を愛してたい。 私らしい静寂の安心を保ちながら。 10月。私が生まれ育ったコミュニケーションと少し違う世界だけど、何だかここなら「浮く」こと無さそうだと思った 個性の頂上決戦みたいな職場で 何やら分かりにくい新人が入ってきたと戸惑いつつも、分からないなりに、どういう時にどう感じるのか知ろうとしてくれている皆様と。 ありがとう。今ね、 どう言えばどう伝わるのか、怖がりながら少しずつ言葉の定義を定めていて 飛び交

奇跡を飲み込んで (5月の記録)

・お前に続くみちしるべ ノリの分からない人生だった。 流行りの番組がわからない パロディがわからない 元ネタがわからない 複数のグループで面白がられるパロディから、この年代の子どもに流行るフレーズを推測して元ネタを想像し、あたかも見たことがあるかのように自慢げに母親に説明する人生だった。 「俺は高校生探偵 工藤新一」からはじまる冒頭部分を注意深く聞いて要点を押さえ、インターネットで得た情報を組み合わせてあたかもアニメを見たことがあるかのように腕を組み、コナン映画を嗜む

意識をなぞればやわらかな9次元多様体(地球体験記15)

・5年前に読み始めた小林秀雄さんの本「Xへの手紙/私小説論」をかなりの積み期間を経て完読した。ふうーーー。 瑞々しきJKの私は「理解には及ばないが引っかかった」箇所に蛍光ペンで線を引いていたようで、今の感性では取るに足らなくて読み飛ばすはずの社会風刺や一般化の表現が時を超えてピカピカと迫ってきた。 逆に今は5年前に読み飛ばしたむつかしい話が刺さった。 例えば 「普遍などという本来芸術家が狙うことのないつまらぬものを語りたいなら、自分がそれをつまらせる程のニッチな個性を持ち

なんで絵?(地球体験記14)

18歳で高校を卒業して、叶えたい夢があるんだけど修行する場所が見つからず、とりあえずお家で修行することにしてからのお話。 時間軸をそこまで信じていないわりによく日記とか物語を書くね私。 前提としてモノガタリって今面白いように繋ぎ合わせた記憶に意味で味をつけたものだし、この経験があったから今があるって訳じゃない。事件はそれついて考えるたびに生んでいくものだ。という安心をしっかりと肌に落としこむ過程で、やっぱり物語はとてもいい。 2020年3月、藝大の合格発表の次の週、色鉛筆

地球デビュー~俺の叡智は視覚から~ (地球体験記1)

地球でやったことを今のノリで物語にして、片っ端から忘れていこうと思う。 当事者としてやってなかったからか何ひとつ臨場感がなく、私でさえ見返した時に他人事としてパッパと繋げられるのが面白い。 読んでくれるみなさんにおかれましても深刻な顔で共感するべきところが見つからず適当に薄ら笑いながら読み流していただけるようないい軽さのエッセイになったと思う。 時間軸なんてないってのはホントその通りで、意味なんて愛しかなくて、愛は今のもので、繋がってない。一瞬一瞬が別のワールド。 宇

星空お取り次ぎセンター (地球体験記2)

宇宙と地球の狭間ネタ2連発。

自意識はあぶら粘土のにおい (地球体験記3)

3歳〜5歳ぐらい 幼稚園にいる間はからだ遊びがブームだったけど、まだ完全に五感に収まっていなかった。 まぶたの裏に遠のいて行くぐるぐる模様を、思い通りに描こうと頑張る。だんだん自由に形を出せるようになる。一度目を開けちゃったら初めからやり直し。 たまに頭の中で鳴るキーーーンとかピーーーーって音に同じ音で返して話す。うまく返せるともう呼びかけてこなくなる。 出かけた先で人におでこからグーっと圧を送って反応を見る。ニコ!ってする人もいるし真顔で見つめ返す人もいて面白かったな。

あのころのズッ友 (地球体験記4)

自我が発達しないまま小学校に上がった。変わらず平穏な日々だった。 小学校は幼稚園と比べて「他人」と関わりやすい。自意識を育てるにはぴったりだ。 だけどねぇ?なかなかモノゴコロがつかないの。 のんびりモードと戦闘モードを行ったり来たりで、どちらの遊びもあんまり進化しなかった。 脳の発達的に1歳から3歳くらいで満足するはずの【すべて自分だから自分とか無い漠然】フェーズを、急かされないのを良いことに10年近く満喫している。 親が夢を追いかけるのについて行ったら小学生の間だけ

ショコラウサギの視点とその多次元性 (地球体験記5)

小学中学年までに、ときどき三人称だった視点がほぼ一人称に固定され、目のところから見るようになった。 でも背後のでっかい私はそのままだから、正確に言うと身体に入ったんじゃなくて目の位置だけスライドしている。あれから今(21)まで多分ずっとこのポジションである。氣に入っている。 シルバニアファミリーで例えるとわかりやすい。 ショコラウサギを知っていますか。 つぶらな瞳の可愛い子。ショコラウサギの一家があって、それぞれ公式に名前と生月日と性格があるらしい。へえー。 https

寸劇とユーレイが形をくれた (地球体験記6)

周りに集まった自由人が、無意識遊びを意識に、さらに形に行動に押し上げてくれた。

娯楽を知らない (地球体験記7)

小学生の時に熱中したものって、ずっとだよね。 小学一年生の夏、テレビが消えた。 テレビを買い替えねば映らなくなるという噂が、幼稚園のころからまことしやかに囁かれた。祖母や母によって囁かれた。 うちは買い替える氣配がなかったし、友達だってそんな話はしていなかったから、よく把握しないまま聞き流していた。 ある夏の日、家族とバライティー番組を見ていた。 季節外れの大晦日みたいだった。春菜愛さんが画面の真ん中にいて、元氣よくカウントダウンを始めた。周りの大勢のタレントの人たちも

入ってみますか!三次元 (地球体験記8)

頭を使わないテレパシーライフを貫き、小学校生活が終わった。 文学少女のSちゃんは私立の中学校を受験した。 私の学校では、お受験はとても珍しかった。皆と同じ中学に進学しなかったのはSちゃんを含む数人だけだった。 Sちゃんが私立の中学に行くことは母から聞いた。六年生になっても物語で遊んでばっかりで将来の話をほとんどしなかったから知らなかった。 校区の中学校のちょっと古い教育方針が好きではないからだと。親が行かせたくなくて、Sちゃんも同意したらしい。Sちゃんらしいなと納得し