見出し画像

なんで絵?(地球体験記14)

18歳で高校を卒業して、叶えたい夢があるんだけど修行する場所が見つからず、とりあえずお家で修行することにしてからのお話。

時間軸をそこまで信じていないわりによく日記とか物語を書くね私。
前提としてモノガタリって今面白いように繋ぎ合わせた記憶に意味で味をつけたものだし、この経験があったから今があるって訳じゃない。事件はそれついて考えるたびに生んでいくものだ。という安心をしっかりと肌に落としこむ過程で、やっぱり物語はとてもいい。

2020年3月、藝大の合格発表の次の週、色鉛筆と画用紙とポストカード用水彩紙を買った。
その次の週にTwitterのアカウントを開設した。
芸術と哲学を語り合うディスコードに入ったり出たりした。
初めて手にしたSNSはとても面白かった。自分の周波数がびっくりするくらい瞬時に反映される。ジュールをもたない情報は速く、思い込みの矢は気付くよりも早く主観を貫いた。なるほどインターネットは良いぞ。分かりやすい鏡を持った。溢れる情報を自分好みにフィルタリングすべく、常に心地がよくてワクワクする設定を課す癖がついた。

5月、私は愛を色に映す魔法を使える宇宙人になった。
ちなみにここに転生する前は「慣らし」でアルクトゥルスにいました。私が今回死ぬ予定の時代の地球とテンションが似てるから。初期はベガ。長かった。アンドロメダの方でもよく遊んだ。アンドロメダ銀河は叡知の図書館だ。シリウスには見学って感じでちょっとだけ。シリウス星人の極端な合理主義の考え方は刺激的でした。

宇宙人になった経緯は非常にシンプルだ。
小学生のときのあだ名は不思議ちゃんだったし、家族には座敷童子など妖怪呼ばわりされてきたし、自分のことは魔女だと思って育ったので、やっぱり宇宙人だったんだとホッとした。
宇宙人なら次元のレイヤーがちょっとばかしズレていても、オーラの瞳が閉じなくても、おかしくないだろう。私が生きたいように生きる理由を正当化したくて名乗っているとしてもいい。私のわくわくと安心感こそ私の創る宇宙の正義なので。むしろ設定が本質に追いついてきたと言うべきね。

宇宙人だよ。みんなの魂の色を見るよ。といって描き始めた。音楽は一旦やめた。
音より絵のほうが販売するイメージがつきやすかったのもある。スマートフォンとパソコンを買ったばかりで、配信とか分かんなかったし。

🌸

本質をシンプルに持ちたかった。

絵が描きたいわけじゃない。色や音楽や文章はただ道具で、結局私はどんな愛を感じたくて地球にこの感性を持ってきたのか知りたかった。なんで18年も帰ることに失敗しつづけている(毎朝起きることに成功し続けている)のか理解したかった。

私は人間がとても好きだ。愛らしいという点でとても好きだ。これは宇宙が好きなのと同じ理由だ。
ひとつだった宇宙からちいさい主観に入って、「個人」からはこう感じますわよ‼︎を投げ交わす。分断、送受信、統合の営みの火中で、それでも穏やかに、ハートチャクラから頭のてっぺんを抜けてゆくやわらかな宇宙の臍の緒の、コントラストを見ることが何よりも好きなのだ。

個と全体は交互にやってくる。

現と夢と呼んだり、生と死と呼んだり、眠りと覚醒とか、呼吸と言う。
私が私を死なせて全体としてコンタクトを取るときに見るみんなの魂が嬉しそうで楽しそうでね。その状態が全であれ個であれ、本来エネルギーを持つものはみな喜びたがっているんだと氣づいた。その喜びと愛おしさを表現したいというのが「答え」のひとつだろう。

8月、波動絵っていう名前をつけた。
たくさんの人と繋がった。一人ひとり可愛すぎたし鏡だった。相手の美しいところ、カッコいいところは自分にあるから見つけられる。

10月、発見した素敵さを書き留めたくて、自分の糧にしたくて、星詠みを勉強したりした。星占術は言葉が分厚い。感覚的な星と人のキャラエネルギーを時代に寄り添って共感しやすい文章で伝えてきた叡智が詰まっているから、とても参考になった。感覚を単語に換える辞典として重宝したけど、私は太陽系の惑星の影響を受けたことがあんまりないから、隅々まで学ぼうとは思わなかった。

私を死なせて全体になり、個をやってるぼくらの信号を流し込む。
たぶんこの感覚がチャネリングアートなんだろうね。誰でも息をするようにやっていると思う。
だからチャネリングアートやりますって珍しいことやってるみたいに言いたくない。私はただのメッセンジャーRNAだ。転写するおしごと。

2021年。音楽と絵を組み合わせてもっとダイレクトにしたくなって、アニメーションを作り始めた。曲も作ってMVを作ろうとした。でも独学でソフトを動かすのが難しかったから誰かに教わりたいと思った。で、せっかくだったらアニメーションも絵画も音楽も演出も学べる学校に行けばいいと思い立って、夏からデッサンしまくり、お受験し、学校に通い始めて1年経ちました。
なんか今映画音楽とか作ってるね。グループ展をしたり。なんで?

なんかすっごい忙しくコトを起こし続けたような、たくさんのひとと語り合ったような、何かものを生み出したような。

だけど起こることに「私」が関与していたことは一度もないし、語り合ったと思ってるのは宇宙で僕の脳みその端っこだけだし、私が0から生み出したモノなんて生活の解釈だけだし。
私視点があったとて、眺めることしかできない。全力で愛しむことしかできない。


や、解釈がダメなんじゃなくてね。そこに体験はないと知っておきたいよねってこと。
感じているのは意味ではなく、揺らぐケルビン、呼吸の間合い、発せられる音色。
感覚にすごく敏感になってみると、
「私が創りました!ドヤァ」が許せるのってたぶん食べ物だけだ。それも調理だけ。調理だけは、やろうとしないとできないと思っている。なんでやろ?生活だからかな?今のところ食事については人生のおまけくらいに思っていて、ちょっと勿体無いかもしれん。

私が描きました!すごいでしょ!をやってしまって悲しむのは自分なのよ。
ゆだねることはできないの?全て把握しようと無謀な旋しをして、次の瞬間組み上げた関係性をリセットしたいのは分かっているのに!って悲しくなっちゃうからね。

無いものを無いものとして無視できたらどんなにリアルか。

そうしたら描きたくなくなるだろうね。それでも勝手に描いているくらいが、私の理想とするホンモノのアーティストです。


新しいステージに愛を込めて

2023.3.1 ZEN

ここから先は

0字
宇宙人のまま生きるに至るまでをすなおに振り返ってみました。今と切り離し忘れるための備忘録。平均3000字の記事が15こ入ってます。

地球体験記

2,220円

地球でやったことを記録しています。 ZEN 2001.10.26 愛知生まれ。ベガ、シリウス、アルクトゥルスをまわったのち平安時代以来の地…

サポート、お願いします!アトリエでできることをもっと増やしたいな。