わたしがゆきたい、理想の学校

「学校にゆきたくない」
「学校なんて、つなんない」
不登校、とまではゆかないまでも、多くの子供が、実は思っているのではなかろうか?
だって、お勉強する所なんだよ、学校って!
「社会生活を学ぶ」とか「友達と遊ぶ」とか。<お勉強以外に云々>説を唱える人が多いけど、結局「お勉強」。
お勉強が出来ない子は、評価されない。
&今や「学習塾にゆくのが、当たり前」
学習熟に行っていない=経済的に苦しいから、とのアタマが政府からして出来ている。塾にゆこうがゆくまいが、出来る子は出来、ダメな子はダメ、そういうのがない。
勿論、お勉強が出来ても、学校自体が嫌い派もいよう。
とっくの昔、昭和が終わる少し前に、わたしの学生生活も無事(?)終了したけども、考えて見れば苦しい事のみ多かりき、でしたなぁ。

なので、独りよがりな教育改革(?)。学校を想像しよう。
一応、公立小学校を視点に置く。

所謂(いわゆる)お勉強。
国語・算数・理科・社会の「4教科」、あっ、今は「英語」もやるらしいから、小学校から「5教科」か。最低限で宜しい。
どうしてものもの。生活する上で必要最低限を、徹底的に憶えさせる。
後は本人の興味や方向性、将来望む道を、より深く広く、専門的に学ばせる。

例えば将来、プログラミングの専門家を望むのであれば、簡単な入門書から学ばせ、ちょっとしたゲームを作らせる。
小学3年、4年生頃からが、年齢的にも丁度いい。
才能のある子、目がイキイキとし、自ら楽しそうに行う子がいれば、更に段階を挙げ、その道の著名人に会わせる。自信に繋がるし、子供自身の大きな喜びになる。
午前4教科、午後2教科の1日6時間教科があるとすれば、午後のオール。
午後の2時間は、全てそういう時間に充てても良かろう。
代わり、午前4時間はガマンの時間。
チョイとばかりにガマンをして貰い、先に書いた、どうしてものもの。
生活する上で必要最低限を、徹底的に憶えさせる。

国語で言えば「漢字の読み、書き」、算数で言えば「四測計算」、
社会で言えば「日本の都道府県及び県庁所在地、名産物」、理科で言えば忘れたけれど、大人になっても必要だけなのは、どうしても憶えて貰うが、後は「好き」を自由に学ばせる。

曰くが様々を育み、「楽しい」学校、と子供が思えるのではなかろうか?

あれば、わたしがゆきたいぐらいだ。学び直し、という奴ね。
                            <了>

#創作大賞2023

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