瞬時に理解した味
令和5年(2023年)
また夏が来る。戦後が1年、遠ざかってゆくのである。
戦後の、様々が語られる時「脱脂粉乳」。学校給食の開始と以上に、伝説の不味さ。未だ信じられぬ味として語られるのが、脱脂粉乳だ。
生前、わたしの両親は、この話をする度に、文句をブーブー言っていた。トラウマとなり以後、どうしても牛乳が、、、の同世代は多い。
トラウマになる程ではなかったのか、父も母も牛乳好きであったゾ。
高度経済成長期のとば口(?)生まれ。
脱脂粉乳。脂を脱した粉末の乳に苦しめられた、両親の味に接した記憶がわたしには全くない。
(どれくらいの世代の人までが、飲んでいたんだろう?どれぐらいまであったのかな?どんな味がするんだろう?)
想像しにくかったけど、某日。阿川佐和子さんのエッセイ集を読んでいたら、小学校1年生の時の脱脂粉乳の思い出が書かれてあった。
(えっ?)
阿川さんとわたしは、大方ひと廻りの違いがある。(阿川さんの方が上)
(へぇ~っ、そうなんだ)
察するに昭和30年代、まだ脱脂氏(?)は、現役であったらしい。
瞬時に理解。味を理解してしまった体験が起こった。「エンシア」だ。
正式には「エンシア・H」。経腸栄養材である。亡父が残した1本を、飲んだ途端、ドンピシャとなった。病院でお馴染みである。
転院する前であったか、いつものようにお見舞に。暫し歓談。
(ん?)
備えつけ棚を見ると、大量にエンシアが残されている。栄養補助剤として当時、毎食出されていた。口に合わぬか?それとも病の進行故(ゆえ)か?
喉が渇いていた。
「飲んでいい?」「うん」棚に手を伸ばし、1本を取る。味はコーヒー。蓋を開け、一口。
と、(!!)。
余りにもの不味さ、ゲロ不味さに、(脱脂粉乳じゃん!)
ピッタリカンカン。ドンピシャリ。瞬時に悟った。経験はないが、理解が出来た。
ゲロ不味・第2の脱脂粉乳(?)
エンシアに改め思う。幾ら患者の栄養、経腸とあっても、あんなにゲロでは飲む気も失せる。もう少し普通のゼリーやヨーグルトみたいにならないものだろうか?
父が他界してからかなり経つので、今は違うのかも知れないが。
どうもいまいち、イメージがねぇ。思う御仁は、ドラッグストアでご確認を。「メイバランス」。明治が出してるものの親戚版(?)です。
<了>
兎にも角にも、時代を超えて瞬時に理解した味・脱脂粉乳。エンシアを通じてでございます。
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