僕の忘れ物<お仕事小説>
仕事は順調だ。
何となくでも、巧くゆく。寸手の所でどうにかなって、巧い具合に進んでくれる。結果我が社に利益を、それも純益を持たせ掛ける。
経理から前年比八〇パーセントの報告を受けた時には、めちゃくちゃに嬉しかった。
雰囲気からして、太陽が昇る。
「社長のお人柄ですよ、お・ひ・ど・が・ら!」経理もニコニコ。
「いやぁ~、今回もやりましたね」「流石は社長、社長ですな」
60人程いる社員も、口々に賞賛。
「ありがとう」。
ヨイショであっても、やはり嬉しい。立てている髭がちょいと痛いが、いいだろう。
「笑顔の社長」「笑窪の社長」
「笑顔の、笑窪の我が社の社長」
更に賞賛してくる声には、大統領にでもなった気分だ。
亡父が創業(はじ)めた会社。
小さな木工会社の事を、真面目に考えるようになったのは、二代目となって二年後ぐらい。十七歳前後であった。
頭になかった。関係ないと思っていた。不器用(ぶきっちょ)だったし、年の離れた兄がどの道、継ぐだろう。
(別の道がいい)幼稚園の頃から、考えた。
(農業はどうかな?中村ンとこで後継者がどうのこうのって、おじさんが言ってたし)小学3年生時の、思い出だ。
けど直ぐに(取りあえずは高校へ行って、その間に考えりゃあ)
瞬時に改心(?)したのである。
ところが自体が、一変した。高1の秋だ。
急に兄が亡くなり、ショックで父も又、他界。
兄の通夜が終了したと同時に、しゃがみ込んでそのまんま。一同の驚きったらない。
連続して葬儀が弔われ、父の際には急遽、僕が喪主を務めた。
「で、どうするの?会社は?畳むの?」
離婚したとは言え、気に掛かるのであろう。参列していた母と、久々に再会。せっつかれて来た。
「どうするって、畳むわけないだろ。俺がどうにかする」
3年振りの再会の、これが最初に交わした母と子の会話だ。僕の背丈は、母より高かった。
「どうにかするって、あんた、、、。学校は?学校はどうするの?」
「退学する。入る学校、間違えたかな。勉強が難しくて」
嘘ではなかった。かくて高校一年の秋を以(も)ち、僕は学校とオサラバをしたのである。
それからが地獄の始まりだったのだ。全然知らなかったけど、真面目な顔して、兄は女を孕(はら)ませていたし、父には借金があった。
「社長」
呼ばれ、日常の全て、生活の中心が会社となった。僕よりずっと年上、おじじやおじさん連中を食わせてゆかねばならない、立場となったのである。
「坊や社長」「坊や」
取引先で揶揄(からか)われるのは、しょっ中だ。出勤途中で、制服姿の同世代を見る度に、遠廻りをした。
兄と父が遺した大問題と、二代目社長としての舵取り。
「会社第一、社員第二」
如何に、安定した経営を築くか?如何に、社員に喜んで貰える会社にするか?を旨に、僕は生きるようになっていた。
10数人雇うのが精いっぱいだったけど、徐々に増加。
会社の知名度もあがり、安売りのバーゲンでしか買えなかった僕のスーツも、時に仕立てられるようになった。
月初めに発表する〈努力賞〉や、〈功労賞〉。
〈取引先からの評判がいいです賞〉や、〈社内での評判が向上中賞〉等々。社員の士気を高める為ならどんな事事でも、僕はした。
大袈裟と言われようが、集会で褒め、百均で買ってきた表彰状に名前を書き、ポチ袋にそれなりに入れる。
予算足りないと知れば、僕のポケット・マネーから出していた。
アッという間の二十年。
僕も不惑が近い。九月で三十九歳だ。
社員の喜ぶ顔が見たい。忙しいけど、充実している。輝やかしい。
けど、何か忘れている。何だろう、何だろう、何だろう。
ずっとずっと気になっていたものが、ある日。突然吹き出し、声に出た。
かなり大きな声だ。
「あっ!」
「どうされました?社長」
役員達が、一斉に驚く。目を真んにして、僕を見る。
重要な会議中だった。
「あっ、いや、その、、、。何でもない」
恋。僕の忘れ物は、恋だ。
〈了〉
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