10月1日、わたしの言葉~父の日に~

後、数日後。
来週の初っ端。6月16日(日)は、父の日。
出来れば近所に住む妹達に、お線香の1本でも挙げに来て貰いたいな、
未だ連絡はしていないけど。
翌、月曜日。17日に妹が来るので、最悪、その時でもいいか。
孫、義理息子(妹の夫)に挙げてもらえないのは、残念だけどー。

余り喜ばしくはないけど、他界する少し前。
何で出たのか分からない、我ながら謎。けど、どこかで話さなくちゃの思いがあったのか?10月1日、わたしの言葉、の巻き。

腹が空いては、太刀打ちできぬ(?)とばかりに、まず食事。
父の入院先に向かう前に食事。美味しいものを食べよう、が、知らずとできた我々姉妹。わたしと妹と暗黙の了解ルールであった。
大方はわたし一人で対応していたけど、
「先生から、説明が」「ご家族で」看護師から言われる回数が多くなり、何となくのものを察しつつあった。
(ああ、ダメなんだ。見放されているんだ)
だから余計に、美味しいもの。お洒落な食事に拘っていた。
大宮ルミネに入っている、老舗の洋食屋さんは、ぴったりとジャストフィットし、何回か使っていた。
転院する少し前だったろうか?
10月1日であったのを今でも憶えている。

肉のプレート料理を食べていた。
父の病状を中心に雑談を交わす。と、不意にわたしの口から言葉が出た。

「いつまで続くか分からないけど、多分、お父さんは長くない。だから後悔しないように、最後迄ちゃんとしっかり、面倒を看てやろうね」
「うん」
反射的に妹も頷いて来れた。が、心なしか声に力がない。

それから約1ケ月一寸の11月9日、父は他界。
最後の数時間。手術してからの数時間が、一番重かった。

けど、有言実行。
言葉通りに、最後までちゃんと看てやれた。
良かったんだ、思い出す度、納得だ。

<了>



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