だったら「思考力」は、必要なかろう


対話式AI?
名前を忘れちゃったけど、要するに「完璧なお答え」。
AIが人間の代わりに、文章で完璧に答えてくれる機能ができた。
ニュースで良く撮り上げられている。
「おおっ!」
30年ぐらい前のパソコン初期、
20年ぐらい前の携帯電話初期を彷彿させる。
「新時代」
「これからの」
コピーライターなんて、要らないじゃん!
何とかに詳しい専門家も、需要がグッと減るわなァ。
誰もが使う時代が来るだろう。
問題はあるけども、肯定する人が多くなる。

(あ~あ)
こうして自ら退化させるのよ。
自分で考え、まとめ、文章にする能力(根本的に誰にでもあり、必要なチカラ)すら退化させるんだわ。
アナログがダサいと冷笑されるようにね。
(はぁ~っ)
脱力あるのみだ。

だったら「思考力の深さ・独自さを云々」
言い始められている教育改革何ぞ、必要はないのではあるまいか?

子供時代に養われたそういうものが、AI対話何とかで拒絶される。
機械が考え、導き出した回答が素晴らしく、下手に人間が手を加えたりするのは無駄。
時間・手間において最大限のロスとの見方が、増えるだろう。
ならば、下手に思考力などつけない方が小利口だ。
「あの子ねェ、やたら考えたがるんだよ。AIがやってくれるっていうのに」
「ダメじゃん!」「使えない」 
「変わっているよ。ひょっとして発達障害社員?」
噂も立てられかねない。

もっと実践的な教育。
社会に出た時を踏まえた教育。
小学校も4年生ぐらいから、選択授業のある教育。
より専門的に学びたいと思えば、中学・高校あたりで深く学べる教育。
そういう観念が、これからは望まれよう。

自分で考える事ですら、奪っていいのだろうか?

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?