えっ?~超スーパー心のショック<1>~

心に残る<いい話>ではない。
超スーパー心のショック。心に残る<トラウマ話>なんである。
残る所か、響きまくる。驚きましたな、あん時にゃあ。

今(令和5年・2023年)から、丁度50年前。
昭和48年(1973年)は、様々な意味で物事のピーク。
高度経済成長期の花盛りであった。
東京オリンピック(昭和39年・1964年)も大成功。大阪万博(昭和45年。1970年)も人気を博し、閉幕。
上野動物園にパンダが初お目見え、目出度い。悲惨なのは、あさま山荘事件ぐらいだ。
が、それ以上に長い間、世間を震撼させていたのが、石油ショックである。
後に「第一次」と名付けられるこれは、何時頃から始まったのか?
「紙がなくなる!」「トイレットペーパーが!!」
てんやわんやの大騒ぎ。今でも時折、ニュースで映像が流れる。
けど、(ふふん。紙?なくなればいいじゃん)
クソ小生意気な事を考えている、6歳児。
4月に小学校に入学するのに、あまり喜びがない子がいた。
わたしだ。

学習机やランドセルも届き、卒園も近い12月辺りからの思った。
(学校にゆかなくたって、いいんじゃないか?)
知らない大人(先生達)がいっぱいいるし、学校の雰囲気がイヤ(入学予定の小学校は、旧(ふる)かった)。
怖い。そこで目をつけたのが(?)、石油ショックだ。
学校→教科書+ノート。それらは紙で作られていて、紙を作る為には石油が必要なのは知っていた。
石油ショックが続けば、教科書やノートが作れない。
だから学校に行っても何も出来ない。
「学校に、ゆかなくてもいい!通うの中止!行っても何もできませんからみなさん、ゆくのを止めましょう!」
テレビで発表されるんじゃないか、と真剣に考えていた。
淡い期待を寄せていたのだ。    

揉めてた時間が長がった。
おじさん達が、ああだ、こうだと揉めている。
(しめしめいひひ、わたしの勝ちね。完全勝ちだわ、勝ったんだわ)
勝利のポーズを決める寸前。   
丁度、3月の中旬ぐらいに、(えっ?)
夢は脆くも砕け散り、予定通りに4月から小学校入学。
小学校に通うハメになったとさ。目出度し、目出度し。
わたしが受けた衝撃。スーパー心のショックです。

    
○ゲンナリす 願い虚しき 暗澹の
     門を潜(くぐ)ると 入学式まで
   
           <短歌 なかむら>
                    <了>

#創作大賞2023

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