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中編「他人の膿」⑻

夢を見た。それは過去の夢。鮮明に覚えている出来事。私が過去に一度だけ母親以外の人間に声を出して悪意を剥き出した記憶である。
高校生になってからの話だ。少しはクラスで喋るようになったが、高校に入っても基本的には図書室にいるような私だった。或る日、お昼休みに図書室の前の木の下で一人寂しく購買のパンを食べていると、とある別クラスの男子生徒に声をかけられた。
「ねぇ、君、B組の中村さんだよね」
私は、びっくりしてとりあえずコクンと首を縦に振った。
「僕、小説凄く好きで、良かったら友達になってほしいんだ」
そんなことを言われたのは生まれて初めてだったから正直嬉しかった。でも捻くれていた私は咄嗟に言った。
「友達って、なろうと思ってなれるものじゃないと思います」
彼はそれを聞いたら、ニコッと笑って「やっぱり!僕の思い描いていた人だ!」と言って、私に小説を一冊渡してきた。
「これ、僕のおすすめだから。読んで、感想聞かせて!」
それから、私は彼から渡された小説を読んだ。正直、全然面白くなかった。次の日に感想を聞かれて私は「面白かった」と答えた。
彼は自分をハイセンスの塊だと信じていたから、毎日毎日、昼休みになると図書室の前の木の下で私に明日には忘れてしまうであろうウンチク話を聞かせてきた。私はいつも無言でその話を聞いていた。正直面倒くさかったけれど、彼のせいでいつもの定位置に行けなくなることが、なんだか癪だった。だから私は彼の話を興味のないラジオのような感じで、ただ聞いて、購買のパンを食べていた。

或る日のこと、彼が私に言ってきた。
「僕には0か1しかないんだ」
またしょうもない話が始まると思ったが、次の言葉を聞いて私は目が点になった。
「だからもう本当は死にたいんだ」
「は?」心からの声が出てしまった。
「僕は一生かかっても1にはなれない。普通の家に生まれて、普通に育って、特別じゃないんだ。中途半端に生きているくらいなら死にたいんだよ」
当時毎日殴られていた私にとっては、ヘラヘラしながら言っている彼の言葉はあまりにも軽くて浅はかで勝手すぎて、素通りできなかった。
「じゃあ、今死んで」
「ん?」
「今私の目の前で死んでよ。それが出来ないなら適当なこと言わないでもらえる」
彼は、今までのように私がただ無言で話を聞いてくれると思っていたみたいで、びっくりしていた。私は続けた。
「大体、十七歳まで飯食って服着て、のうのうと我が物顔で生きているくせに何が死にたいだよ。そんなこと私に言って何を伝えたいの?本当に死にたいなら私に言わずとも死ねば良いじゃん?」
「1になれない悲しみ、中村さんならわかってくれるかなって」
彼は少し声を荒げた。私は淡々と、でも鋭利な悪意をしっかり向けて言った。
「あなた私の何を知ってるの?ていうかさ、1になれないって何?0か1が良いって何?生まれて誰かとかかわった時点であなたは死んでも0にはなれないと思うけど」
彼は口調が強くなって言い返した。
「僕の中の世界は0になるんだ」
「なにそれ。結局、自分じゃない。私にしょうもないオナニー見せないでもらえる」
「オナニーって」
「一緒でしょ?」
「違う!オナニーじゃない!本当に死にたいんだ!」
「じゃあ今死んでよ。ほら見ていてあげるから、ほら」
「……」
「ほら、死になさいよ。ほらほら!」
「……」
「ほら、死ねよ!」
彼は、その場から逃げだした。
それから彼は私に話しかけてこなかったし、二度と会うことはなかった。今、彼はどうしているんだろうか。死んでしまったかな。でも高校に通っていても同級生から死んだなんて話は聞いたことはなかったし、今もきっと生きているだろう。

なんでそんなことが突然夢に出てきたのかわからない。一つわかることは、私達の悪意は突然訪れる。どこが沸点かもわからない。私達はとても繊細な生き物なんだ。

少年の指定された時間になった。夜八時。今日は一日中ずっと家から出なかった。寒かったのと、本当に何にもする気が起きなかったからだ。ずっと布団に入って、お昼には家にあったカップスープだけを飲んで、また布団に潜った。夜に全てを出しきらなければいけないと無意識に思ったからかもしれない。正直、怖かった。別に誰を殺すわけでもない。ただのお呪い。思い出。だとしても手が震える。私は、台所の包丁を手に取り、強く握りしめた。そして目を瞑る。今まで言われてきたこと、憎いこと、その人達に対しての悪意、殺意を真剣に考えて、感じた。
秋間、プロデューサー、監督、母……色々な人の言葉が頭の中から流れてくる。「お前は才能ないな。チャンスはあるのにな」「つまらない人間だな」「言われたことしかやれない」「言われたこと以外すんな」「どうしようもないな」「枕営業でもしろよ」「お前に先はないな」「もう無理だよ」「辞めろ」「いつまで続ける?」「意味ある?」「そんな教育した覚えはない」「良くしてやるから今夜どうよ」「お前ウザいな」「調子に乗るな」「ブス」「淫乱」「気取るな」「プライド高過ぎ」「もっと金稼げる方法教えてやるよ」「は?なに拒否ってんの?」「どの立場でモノ言ってんの」「お前の事なんて誰も見てない」「一生売れない」「くだらない芝居」「ヘドが出る芝居」「つまらない芝居」「くだらない女」「ヘドが出る女」「つまらない女」「下手くそ」「つまんない」「才能ない」「価値がない」「死ね」「あんたなんか生まれてこなければ良かったのに」「つまんない」「つまんない」「つまんない」「才能ない」「才能ない」「才能ない」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」
「あんたなんか」
「生まれてこなければ」
「良かったのに」
うるさい!黙れ黙れ黙れ!
握っている物を思いっきり振った。何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。何度も何度も何度も嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼何度も何度も何度も嗚呼嗚呼死ね!お前が死ね!いなくなれ!死ね死ね、私のこと何も知らない癖に、死ね死ね、勝手なことばかり言いやがって、ハァハァ、望んで産まれたわけじゃない、死ね!ノストラダムスってなんだよ、死ね死ね、そんなじじぃの予言のせいで、死ね、私は産まれた?死ね死ね死ね死ね!消えろ嗚呼!頼んでない!ふざけやがって!消えてなくなれ!嗚呼!嫌だ嗚呼嫌だ嫌だ嫌だ。私はこんな所にいたくない、こんな世界壊れればいい。嗚呼嗚呼報われない。嗚呼報われない報われない。酸素を!もっと酸素死しろ!全員酸素吸って死ね!消えろ!嗚呼ねぇ!私は私であなたはあなたでしょ無責任なことばかり言いやがってあんたら自分の言葉に責任もてる?自分のことどれだけ知ってる?ねぇ?どんだけ知ってる?死ね死ね皆死ね!ねぇSNSで批判家気取ってるあんたらはさ、一体誰と戦ってんの?お前が言うなみたいなツッコミ入れたくなるようなことばっかりで!オナニーばっかり!馬鹿馬鹿!批評家気取って私にいらない論をぶつけて罵って、お前らは何がそんなに偉いんだよ!嗚呼嗚呼嗚呼死ね!お前の正解と私の正解は違う!お前の物差しだけで私を測るな誰も救ってくれない誰も救ってくれない誰も救ってくれないんだろハァハァハァ、なんで!なんで!私ばっかり!なんでだよ!なんなんだよ!なんなんだよ!なんなんだよ!嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼もっともっと感触を‼ハァハァハァ!何度も何度も!私は何度も何度も何度も!なぁ!産まれてこなければ良かったってなに!なにそれ!勝手すぎる!勝手でしょ!勝手に産嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼‼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚ぜんぶ呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼おまえたち嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼が嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼わるい嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼死ね嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚許さない呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼たすけて嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚誰か呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚たすけて呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼売れたかった嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼勝ちたかった嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼報われたかった嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼こんな人間に嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼なるつもり嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚無かった呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼人間失格嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚死ね呼嗚死ね呼嗚死ね呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚ハァ呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚あああ、嗚呼、嗚呼、、嗚呼嗚呼、嗚呼嗚呼嗚呼

嗚呼嗚呼嗚呼

嗚呼嗚呼

嗚呼

ハァ、ハァ…。

それから、何時間経ったんだろう。私はずっと、感触をつかめないまま、包丁を振り続けていた。そして我に戻ると、握っていた手がとても痛くて、急にその行動や自分の殺意に恐怖を抱いた。私は包丁をとっさに放した。身体が震えている。
私はスマートフォンで少年に……、いやそうだ、もう彼とは話せない。でも一人じゃどうしようもないくらい不安でスマートフォンを握った。
『もしもし』
「……きて」
『どうした?中村?』
「お願い、早く来て。お願い」
『大丈夫?わかった!えっと……家?』
「うん」

一時間後、滝本くんが来た。彼は年賀状のハガキの住所を頼りに来てくれたらしい。私は滝本くんの顔を見たら急に安心して、彼は私のそんな表情を見て、思いっきり抱きしめてくれた。私は滝本くんを強引に家に入れて、彼にキスをした。もうどうしようもなく誰かと繋がりたかった。

そして私はその日、滝本くんとセックスをした。
唇と唇、そして肌と肌を重ね合わせて、私と滝本くんは必死にそこに何かがあるのかと信じるように身体を動かした。お互いの汗を感じ、お互いの形を感じ、生きていることを必死に感じようとした。そして私達は、身体を動かし続け、いつの間にか人間であるということを完全に忘れていた。言語も忘れて、ただの動物になって、何かを求めていた。

終わったら、安心と罪悪感が混じり合った変な気持ちになり、私は滝本くんの寝息を聞きながら眠りについた。

頭痛で目が覚めた。そしてとても寒い。滝本くんは先に起きて、テレビを観ていた。
「滝本くん、おはよう」
「あ、起きたんだ。おはよう」
「ごめんね、ここ寒いよね。今、温かいコーヒーでも入れるから」
「ありがと~」
私は二人分のコーヒーを入れる。滝本くんはブラックかな?それとも砂糖とミルク入れるかな。ブラックだったらいいな。少しでも彼のことを考えてみよう。その努力をしてみよう。愛する努力、してみよう。
「滝本くん、コーヒーは砂糖とミルク入れる派?私はブラック派なんだけど、滝本くんも同じ気がしてるんだぁ~、どっち?」
「あ、砂糖とミルク二つずつ欲しいです」
「あら」
はずれた。けどまぁ、少しずつ理解していけばいい。少しずつ。
ブラックコーヒーと砂糖ミルクを二つずつ入れたコーヒーを机の上に置いた。
テレビでは朝のニュースがやっていた。滝本くんはそれを賢そうに眺めていて、私もそれを真似して眺める。付き合ったら、きっとこういう光景が広がるんだろうな。

『続いてのニュースです。昨夜八時頃に北海道札幌市中央区の路上におきまして、中学三年生の十五歳の少年が包丁を振り回して無差別に付近の人々を切りつけるという事件が起きました』

その瞬間、視界が真っ暗になった。

『現在入ってきている情報によりますと、三人が死亡。五人が重軽傷を負い病院に搬送されているということです。少年はその場で警察官に取り押さえられました。現在も取り調べが続いていて、少年は黙秘を続けているということです。亡くなったのは北海道会社員の……、また詳しいことがわかり次第、お伝え致します』

「あぁ、物騒だなぁ、こういうちゃんとしてない奴がいるから世の中ダメなんだよな」
「……」
「中村?」
「……なんで」
「ん?」
「なんでそんな簡単に片付けられるの?もしかしたら滝本くんがこうなっちゃうかもしれないよ」
「こうなっちゃうって?」
「殺されたり、殺したり」
「……殺すわけないじゃん」
「なんで?だ、だってわからないよ。もしかしたらこの先、殺したいほど憎い人が現れて、たまたまその時に手元に包丁があって、そしたら、そしたらわからないじゃん!誰にもわからないじゃん!なんでダメなことをダメって一言で終わらせるの?なんで?」
滝本くんの動揺した目がわかる。でも、もうどうしようもなかった。
「確かに人を殺すことはいけないことだよ!私だってわかるよ!でも!でもさ!誰もなんでそれがいけないかなんてさ、ちっとも教えてくれない!」
「……それは、普通の人はわかってるから」
「あぁ……“普通”……。またそうやって……、あぁ‼」私は頭を無造作に掻き毟る。血管が脈打つのと一緒に頭痛が私を内側から襲う。
「……」
「ねぇ‼普通って⁈普通って何さ!ちゃんとしてるって何さ!」
「ちょっと、いきなりどうしたんだよ」
滝本くんは、私をこの世の物とは思えないような眼差しで見ていた。
でも私には止められないし、わからない。ねぇ、誰でもいいから教えてよ。ねぇ、あなたは知ってる?ねぇ?なんで人は人を殺しちゃいけないの!なんで!なんで!なんでよ!普通ってなに!ちゃんとするってなに!大人になればわかるって!成長すればわかるって!大人になってもわからない人達がいるから殺人は減らないし!自殺は減らないんじゃないの!普通ってなによ!じゃあ母親に殴られても母親のことが忘れられない私は普通?自分がレズビアンって自覚した星野は普通?誰かを目のかたきにして快楽を得る秋間は普通?私の事が好きな滝本くんは普通?学校でいじめられてる少年は普通?山本さんは?アジェイは?私の周りのギャル達は?私のお婆ちゃんは?0にも1にもなれないあの学生は?就活で出会った面接官は?就活生は?政治家は?役者は?バンドマンは?あなたは?ねぇ!あなたはどうなの?
教えてよ!
教えてよ!教えてよ教えてよ!なんでよ、なんでなのよ!
教えてよ‼

……私は、……彼は、殺したの?……だとしたら、私は死んでしまった三人の人達の為に何ができる?彼の為に私には何ができる?人も殺さない、自殺もしない人間になればいい?頑張ればいい?立派な大人になるように努力すればいい?自分らしく生きる?……もう……わからないよ。

ねぇ、これが君の言っていた復讐なの?

気付いた時には滝本くんの姿は無くて、そこには冷えたブラックコーヒーと砂糖ミルクを二つずつ入れたコーヒーが机の上にあるだけだった。

それからの私は、アルバイトをし、大学の授業を受け、部室に行き、映画を観て、星野とボーっとし、いつの間にか、今年も終わっていて、大学最後の授業も終わっていた。滝本くんからはあれから一切連絡はない。星野の言った通り、あの会社からは内定を頂き、それでも何の感情も動かず、気付いた時には私の大学生活は一段落していた。
私はあの事件から特に落ち込みもせずに、かといって元気があるわけでもなく、抜け殻のように過ごしていた。そしてあれから三か月ちょっと経ったある日、私は生理が随分前から来ていないことに気が付いた。そして婦人科の病院に行き、そこでは当然のように、
「おめでとうございます」
一体、何がめでたいのだろう。
私は自分のお腹にもう一つ生命があることを知った時、心の底から、いつか関東を襲うと言われている大地震が今来てほしいと、強く願った。全てを滅茶苦茶にしてほしい。そしたらきっと今のこのモヤモヤする気持ちも考えなくてよくなるんだろうな、と。
そして、そんなことを考えてしまった瞬間に生きていることが急に恥ずかしくなって、何もかもが嫌になって、すべてに興味が無くなった。これからの未来も、内定したことも、滝本くんのことも、お腹の子のことも、何もかも。そしてとても疲れた。あぁ、私、疲れてる……疲れてるなぁ。
……そうだ、そうだな、もう死のう、それが良い。それが良いんだ。そう思った。
明日は星野に部室に来てって言われているから、明後日、死のう、うん、そうしよう、と頭でぼーっと、ただぼーっと考えていた。私は今の今まで「死」とは強烈な苦痛だったり、強い悲しみからやってくるものなんだろうと思っていた。でも現実は、疲労からやってくるものなんだなぁ……と私は本当に冷静に自分を客観視できた。

(続く)

イラスト:亜珠チアキ//AZLL
https://note.com/azllcc

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