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中編「他人の膿」(最終章)

死んだ後のことを考える。
死んだら「無」になるという認識が私の環境下では一般常識であるし、私もその考えは濃厚だと思う。でも「無」になるということは一体どういうことなのだろうか。眠っている状態?でも眠っている状態が「無」であるならば、「無」であるという意識が途切れずに存在し続けることになってしまわないだろうか。そもそも死んだ人に話を聞いたこともないのに、どうして「無」であると言い切れるのだろうか。
酸素を吸って生きるのは人間の常識だ。海の中で生きるのは魚の常識だ。きっと地球外生命体には人間の常識を遥かに超えている生き物が存在しているはずだ。逆に酸素を吸うと即死する生き物がいても不思議じゃないし、炭素を吸って生きている生き物がいても良い。
そういったことだって起こり得るかもしれない。それなのに何故死んだら「無」であると人間の常識だけで言い切れるのだろうか。そもそも死んでしまったら人間では無くなるのだから人間の常識なんてものは関係が無い。

例えば、死んだと思ったら、実は死後の世界の方が現実の世界で、変なカプセルの中で目が覚める。私達の本当の姿は人間の形をしていなくて、きっと変な形をしている生命体だ。そしてまた違う謎の生命体が私に語りかけるのだ。
「人間刑の執行は終了した。もう悪さするんじゃないぞ」と。
私達の今生きている人間界は、実は罪を犯した者に対する刑の一つなのだ。つまり刑務所のようなもの。
本当の世界では、感情というものがなく、辛い想いとか悲しい想いとか、痛みとか死とかが存在しない世界。すなわちユートピア。だから苦痛を味合わせる為に、罪を犯した者はカプセルに入れられて「人間」という醜くて理不尽な生命体の一生を送らなければならない。だから人間は皆、本質的に悪い心を持っているのだ。
私は明後日死ぬ予定だから、きっと本当の私は懲役二十二年の刑に値する罪を犯したんだ。人間の寿命が大体八十年だとするなら、私の罪はわりと軽かったのかな?その世界では、どんなことが悪いとされるのかな?でもそれは死んでからのお楽しみである。

それか、死んだ瞬間に時間が巻戻り、また同じ人生が再生される。「中村 夕」の人生を繰り返す。何度も何度も全く同じ筋道で繰り返される。だからデジャブという現象が起こるというのを何かの本で読んだ記憶がある。それは本当に勘弁してほしい。

それか、ベタに生まれ変わりかな?何でもいいけど、「中村 夕」という存在からは解放されたいのは確かだ。もし生まれ変われるなら私は星野になりたい。星野がダメなら、石にでもなりたい。

というか死んだら、自分の皮膚も肉も髪も歯も全て焼かれるんだよね。死んだら痛くないんだろうけど、それはちょっと怖いなぁ。箱の中に一人で入れられて、鉄の中に押し込まれて、ボタンを押されて、火葬されることの恐怖、骨になることの恐怖が私にもある。
でもそれは、皆平等に訪れる。バラエティー番組で活躍している芸人さんもアイドルも皆一緒。死んだら一緒。そう考えると大丈夫な気もする。

神様なんていないと思うけど、神様がいるなら一つだけお願いします。焼かれるのも我慢する。だからもしも死んだ先があるのだとしたら、「中村 夕」はもうやめてください。

「え?まだ観てるじゃん?」
「終わったじゃん」
「エンドロール」
「あ、そっか」
……。
「ねぇ、星野」
「何だねワトソン君」
……。
「もし私が、明日ぽっくり死んだら、あんたどうする?」
「んー唐突だね」
「なにが起こるかわからない世の中だしさ、一応聞いておこうかなって」
「そうねーー。葬式で夕の死に顔見て、大爆笑するかな」
「……」
「死んだ時は任せてちょ」
「……ふ……ふ」
「夕、どうしたの?」
「あはああああ」
なんだろ、笑いが収まらん!お腹が痛い!面白すぎる!あはは
私は心の底から笑けてしまった。あはは
「夕が壊れた」
それからもう体感では五分は笑いが収まらなかったと思う。
「はは……やっぱり、あんたで良かったよ」
「なにが?」
「ありがとね」
「変なの」
エンドロールが終わり、星野はブラウン管テレビを消して、冴えない眼鏡を拭きながら言った。
「この映画も誰も死ななかったね」
「まぁ、コメディだから」
「やっぱり私は誰も死なない物語が好きだな。夕は?」
「……」
「世の中たくさん人は死んでるじゃん。現実って本当にえぐいことが多い。死ぬ時は死ぬんだからさ、もっと何か他で感動させてほしいよね、フィクションぐらい」
本当にその通りだと思う。
「てことで、私はバイトだ。頑張ってきまっす」
星野は帰宅準備をして、そして部室の扉の前で一言。
「明日も部室きてね~」

家に帰ると、力尽きるように布団にダイブした。もうそろそろ春だっていうのに…寒い。
死ぬ物語。そしたら、私の物語も、きっと駄作だ。私はあの事件の加害者で、私の物語では三人もの人間が死んでいる。もしも私がこの先も生きていくとしたら、お腹にいるこの子は私を好いてくれるのだろうか。
私の物語、星野の物語、滝本くんの物語、少年の物語……、少年は今、何しているのかな。少年院?映研の部室よりもジメジメしているかな。それとも私の勘違いで、今もヒップホップを聴きながらいじめと戦っているのかな。滝本くんは子供ができたって連絡したらなんて反応するかな。星野は私が死んだら本当に大爆笑してくれるのかな。母は泣いてくれるのかな。それとも喜ぶのかな。そんなことを考えながら、私はいつの間にか眠りについた。

朝、私は目が覚めると、パーカーにスウェットという格好で外に出た。こんな格好で歩き続けたら、きっと凍えるくらい寒くなるだろう。でもこれから死に場所を探しに行く私が身体を温める必要などない。

私はとりあえず電車に乗った。電車には満員とは言えないけれども程々に人が乗っていた。丁度、一人分のスペースが空いていた椅子に座り、私はできるだけ遠くに行こうと思った。
目の前の座っている男子大学生二人の会話。「昨日ボーリング、今日夜カラオケだわ。最近毎日遊んでる」「ガチで?やばくね?」「めっちゃ寝不足。今日授業寝るわ一〇〇パーセント」「ウケる、行かなきゃ良かったじゃん」「でも昨日めっちゃ巨乳来たんだよね」「は?なんで俺呼ばれてねぇの?」「わりぃ、頭になかったわ」「は?死ねよ」「わりぃわりぃ」「マジ死んで」「先週休んだ分のノート貸してやるから許せ」「それは許す」
なんだかなぁ、何とも言えないけど、薄っぺらいなぁ。
そう思っていたら、彼らの目の前に乳児を抱えた若い夫婦が立った。すると、話を急に止め、彼らが2人とも立ち上がり「どうぞ」と席を譲った。
「あ、立ってた方がこの子泣かないんで。ありがとうございます」と女性がニコニコして答えた。「ありがとう」と男性も一礼。
彼らはその声を聞いて、安心し、また座り直して、ボーリングと巨乳の話を続けた。
そっか。言葉が薄っぺらいからと言って、心が薄っぺらいとは限らないんだ、と私は大学生達に感心し、それに満足し、停車駅の名前も見ずに電車を降りた。

次に私はバスに乗った。さらに遠くに、遠くに行きたかった。私は前の方の席に座って、特に目的も無しに進む。本当に、何も無かった。
小銭以外は、スマートフォンも手帳も何も持たないで外に出たから、私はとても身軽だった。そして、この身軽であることは気楽であったけれど、少しの不安も混じり合っていた。
私達は気付いた時から携帯電話というモノに依存して、いつも肌身離さず持っている。きっと自分の家族みたいな存在に近い。もはや常に一緒にいるという点では一般的な家族よりも親密な存在ともいえる。私の中の一般的な家族像は本の中の知識だけれど。私に家族というものが唯一あるとするなら、お婆ちゃんを抜いたらスマートフォンかもしれない。それを家に置いてきたことによって、とても寂しく不安に感じるという感覚を私は初めて知った。そして、その感覚はどうしようもなく残酷なことのようにも感じる。この先、二十年三十年後、世界はどうなっているのだろう。人間の価値観はどこにいくのだろう。

目の前に杖をついたお婆ちゃんが一人。
「座りますか?」
「ありがとうね」
お婆ちゃんは、私が譲った席に座った。お婆ちゃんは私に「これあげるね」と飴玉を一つくれた。
私はそれをなめた。苺ミルク味の飴玉。今日初めて食べ物を口に入れたからかもしれない。その飴玉は本当に美味しくて、そしてじわじわと身体の中に広がってきた。凍えそうな身体が飴玉をなめた途端にぽかぽかしてきた。
「お姉さんいくつ?」お婆ちゃんは声をかけてきた。
「二十二歳です」
「若いのにしっかりしてるね~」
「いえいえ、そんな」
お婆ちゃんは私をしっかり見て言った。
「お姉さんみたいな若い子がもっとたくさん増えてくれればいいのにねぇ」
「お婆ちゃんおいくつですか?」
「八十三だよぉ」
「え、みえないですね。お若いです」
お婆ちゃんは、もごもごした口で私に言った。
「でも、私、癌なんだよ」
「え?」ニコニコしているお婆ちゃんを、私は目を見開いて凝視してしまった。
「五年前に余命半年って言われたの。すごいでしょ。でも今日も素敵なお姉さんに会ったから、また寿命が延びた気がするよ」
私はその言葉を聞いて、不謹慎だとわかっていながらも突拍子もない質問をした。
「あと何年間くらい生きたいですか?」
お婆ちゃんはそれを聞いて少しだけ間が空いたけれど、優しい口調で答えてくれた。
「あと三十年くらい生きたいねぇ」
「三十年?」
「うん。それに私は病気になんか負けたくないよ。もしも負けるとしても戦って最後の最後まで生きたいね。元気なお婆ちゃんでしょ」
お婆ちゃんの言葉が冗談じゃないんだと、今の私にはわかる。
「それに生きていれば、こういう素敵な出会いもあるでしょ。だから私は、あと三十年は生きたいねぇ」
お婆ちゃんは生命力が漲っていた。本当に百十三歳まで生きていけると、そう感じた。
「三十年後にまたお姉さんと会えるように頑張るね」

「だから、お姉さんも頑張ってね」

そのお婆ちゃんの言葉の後のことはよく覚えていない。本当に記憶がプツンと切れたか、それが全て夢だったか、わからない。でも気づいたら私は電車の椅子に腰かけて眠っていた。がたんごとん、がたんごとん、心地の良い音色が耳の奥に入ってくる。

私はふわふわした感じでそのまま家に帰った。
夕方、テレビをつける。
ニュース番組の特集で、とある映画祭の受賞者が紹介されていた。
『今年、「破壊」で新人賞を受賞されました秋間奈々子さんにインタビューしたいと思います』たくさんの写真を撮られている笑顔の秋間。
『賞に浮かれないように、初心を忘れず頑張りたいと思います』
「初心を忘れず、頑張りたいと、思います、」
私は、秋間の言葉を繰り返し、そしたら口元がゆるみ笑みがこぼれた。そしてこめかみの血管を指先でなぞった。
「本当に、しんどいな」
私はスウェットのポケットに手をやった。ポケットの中には苺ミルクの飴玉の袋が入っていた。それに目をやり、私はそっとテレビを消した。
今日もなんとか生きていかなきゃな。
そんなことを考えながら、私はしっかりとした服に着替えて、コートを羽織って、マフラーを巻き、星野の待つ部室へと向かった。

イラスト:亜珠チアキ//AZLL
https://note.com/azllcc

あたしには夢がある。幼い頃からずっと叶えたかった夢があるんだ。それは自分の劇団を立ち上げること。でもそれには取っ掛かりが必要だ。何かに認められること。でなければ、埋もれて終わってしまう。この世界はとても厳しいことをあたしは知っている。
そして、その取っ掛かりがやっとできた。映画の新人賞。あたしが演じた役が評価されたのだ。これでやっと自分の劇団を立ち上げられる。それは事務所との約束でもあった。
あたしはその劇団員にある子を誘おうと思っている。でもその子は、まだ芽が出ていない。役者はどこで開花するかわからない。あたしだってまだまだだし、あたしの力なんてたかが知れている。あたしは、その子が只ならぬ“何か”を持っていると感じている。同じ舞台のアンサンブルにいた彼女は、正直芝居は下手くそだったけど、魅了する何かがあった。それは多分生まれ持った才能だ。あたしには無いものだ。
でも彼女の芝居には間違いなく嘘があり、言葉になんの重みも無いのが感じ取れた。それはきっと彼女の生き方だ。彼女は他人と真剣に向き合おうとしていない。そんな人間に芝居の世界で、役と向き合うなんて不可能だ。
だからその才能を引き出したくて、本音を引き出したくて、彼女をなんとかしてあげたくて、あたしは彼女に対して必要以上に厳しく接することにした。
彼女を怒らせたかった。本音を聞きたかった。でも彼女の言葉から本音は出てこなかった。

同じ事務所の後輩女優の誕生日会に呼ばれた。正直、あまり行きたくなかった。何故ならその会はあたしに監督やプロデューサーを紹介してもらおうと、仕事につなげてもらおうとしているつまらない連中の集まりだから。何も持ってないくせに努力もしないくせに本当にいかれている。でも事務所の関係上行かないわけにもいかない。そこではその子達の喜ぶ話を適当にしなければいけない。全ては自分の夢の為に、事務所の人間には良い顔をしなければいけないのだ。人間として醜くても、それでも自分にとって何が優位になるか、それを考えなければ駄目なんだ。真っ当な生き方なんて、とうに捨てたから。
その誕生日会に、彼女を呼ぶことにした。そこでも必要以上に彼女をぞんざいに扱った。その時の反応をずっと見ていた。彼女は、本当になんの文句も言わずに、ただ言われたことに返事をするだけだった。
悔しい。とても悔しい。ただ、あの子の心を傷つけただけで終わった。最悪だ。

そして、もう彼女には連絡できないなと思った時にチャンスが訪れた。ある日、電車に乗ったら、たまたま彼女がいた。これは芝居の神様がくれた最後のチャンスだと思った。
その日も、あたしは彼女をボロクソに攻めた。攻めて攻めて、それでも言葉を引き出すことはできなかった。
だけど、一度だけ良い目をしたんだ。

あたしを鋭く睨んで、その目にはとてつもないエネルギーを感じた。あたしはそれだけでも嬉しかった。そして「大丈夫だ」となんとなく思った。
本当は歳も近いから、もっともっと楽しい話をしたいし、女の子同士の恋話とか、友達みたいになりたい。
だから、あたしはあの目を信じて、彼女に連絡しようと思う。もう一度だけ彼女と会って、今度はしっかり微笑みかけてあげたいと思う。あの子のことをなんとかしてあげたいと思うし、あたしの支えになって欲しいと本気で思っているから、あたしは彼女に言おう。
「あたしと一緒に夢を追いかけよう」って。

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