境界の日本史_横_50

『境界の日本史』という書籍

いつものように、考古学の師匠こと文化庁のO氏から新刊をご紹介頂いていたのが、平成最後の4月、それからあれよあれよと半年以上がい経過してしまいまして、いつの間にか晩秋になってしまいました。

目まぐるしい忙しさの毎日ですが、書籍を読む機会を頂けるだけでも本当にありがたいものです。2週に1回は娘とともに図書館に行くものの、学生時代のような悠久の感覚の中での読書は久しくありません。娘は年間200冊以上のペースになり、心優しい子になってくれています。

4月にご紹介頂いた『境界の日本史 -地域性の違いはどう生まれたか-』朝日新聞出版 2019 は、森先一貴氏、近江俊秀氏による共著となっており、旧石器時代以降の先史時代の専門家と、歴史時代いわゆる有史時代の専門家との二部構成(弥生、古墳の原始時代の位置設定ついては、P10 はじめに「‐(中略)‐「越えるべからざる境界」への展開の起点となった弥生時代における土地利用の変化の一つの画期として、歴史時代と連続的に取り扱うこととする。」(抜粋)とあります)で展開していきます。

【目次紹介】

はじめに(森先氏)
一部 境界の形成(森先氏)
 一章 文化を育むもの
 二章 黎明期の列島文化と境界‐旧石器時代
 三章 定住生活と境界の細分化‐縄文時代

二部 時代を超えて受け継がれる境界(近江氏)
 一章 さまざまな境界
 二章 地域の統合と巨大集落の出現‐弥生時代
 三章 国家意識の発生と境界‐古墳時代
 四章 受け継がれた境界‐古墳時代から古代へ
 終章 環境と境界
おわりに(近江氏)

この書籍のねらいは、P10「‐(中略)‐現代の文化・社会・政治の成り立ちは、先史時代以来の歴史から切り離しては本当の意味で理解することができないことを知ったとき、(抜粋)」、P299「‐(中略)‐本書は、「中央史観」「進歩史観」から離れ、国家の歴史ではなく日本列島の歴史を境界という切り口から叙述しようとしたものである。(抜粋)」とあります。

個人的に気になったキーワードは、

P27「人間社会の環境適応システムという観点」、P91「‐(中略)‐長大な距離に広がる列島の地形的特徴や地形的複雑さ、地域資源の多様性が生活文化の地域化を促し、~のような境界に区切られる地域性を生み出していったと考えられる。(抜粋)」

P227「‐(中略)‐律令制崩壊の地域社会は、中央の有力者と国司、国司と地域勢力、地域勢力と中央の有力者それぞれのあいだにお互いの権益を守り拡大することを目的とした複雑な人間関係が生まれた。石井進は、こうした関係をたとえて「人間の鎖」とよんだ(抜粋)」、P289「東日本と西日本の違いは一〇世紀後半ごろから著しく顕在化する。(抜粋)」

のあたりでしょうか。

私自身、埼玉県で生まれ、高校まで岡山市で育ち、京都で6年間学生生活、岡山県で就職して1年半後に、奈良県に転職し4年半で、民間に転職し3年半の間、奈良、京都から大阪市内に通勤、脱サラして兵庫県内に移住で8年と、西日本をぐるぐると移動移住してきたことで、地域性の違いの一端は体験してきたような気もします。
特に現在は、岡山の実家の拠点はあるものの、兵庫県に就農して一地域の町内に、70代の方々と同じように、古民家と農地を拠点に自治に加わることで、地域性の違いと「越え難き境界」、天候の違い、地形の違い、人々の違い等々、を肌で感じています。

その意味では、私にとってこの書籍の読み方は、長い時間をかけて、都度都度読み返していくのがよいのかなと、思いました。読む年齢によっても、経験体験の経過によっても、得るものが変わってくる、ような気がするのです。

日本における少子高齢化、人口減少に対峙する私たちですが、地方から中央を見た際に、生存をかけた選択をする、しない、の要因は何なのか、いつも気になってしまいますが、この書籍は参考になると感じます。

いつもながらではありますが、近江氏の展開構築の幅広さと方向性の導きに圧倒されます。恐るべきは元上司。ますます怪物化されて怖いです。

『境界の日本史 地域性の違いはどう生まれたか』
森先一貴/近江俊秀 著
朝日新聞出版 2019

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