「花は買わない。理由は枯れるから。」そう思っていた私が花を買う時のルール
花は買わない。枯れるから。
私はもっぱら、「そういう」派閥だった。
花屋を見かけると嬉しくなるし、
リボンがかかったブーケを見ると、
誰でもなく、自分に買ってあげたくなってしまったりする。
花束を持った男性を見ると意中の人に会いに行くのかな、と思うし、
花束の入った袋を下げた大学生に遭遇すると誰かの門出なのだろうとなんだかにっこりしてしまう、私。
花は好きだ。わくわくする。
でも自分に花は買わない。
最後は枯れてしまうから、なんだか勿体無い気がしてしまって。
♢
ただ、自分に買わないだけであって、人から花をもらう機会があれば嬉しかった。
卒業式や送別会で、慣習として配られる小さなブーケでも、
花がもらえるということは「別口」だったのだ。
バレンタインデーに
道端で花束を抱えた女性と恋人らしい男性に遭遇したことがある。
えらくロマンチックな空気感で、多分プロポーズとか、そう言うことなんだろうと思った。
溢れんばかりの菜の花のブーケにくらくらして、横にいた彼を見た。
その彼とは付き合い始めたばかりだったので、
あんまりめんどくさいことは言わないようにしようと決めていたのだが
ピンクに光る東京タワーとさっきの菜の花ブーケに、ついつい。
彼が人一倍合理的なことも忘れて。
「花束って素敵だよね、もらってみたい」そう言ったのが間違いだった。
「花って枯れるじゃん」と、彼。
自分は彼から花束はもらえないのだ。
そんな世界に生きている自分に、ひどくがっかりして帰ったのだが
冷静に考えてみれば、彼も私と同じ考えだったと言うことになる。
花は買わない。枯れるから、もったいない。
花は嫌いというわけではない。むしろ好きだ。
刹那的な美しさとか、そう言うものがあることもわかっているし、
「花がある暮らし」は素晴らしい。
でも、それだけでは、花は買わない。
♢
先日、友人が家に遊びに来た。手には蕾のチューリップ。
なんの日でもなかったが
「別になんの日でもなくてもいいかと思って」
と彼女は言っていた。
花瓶の代わりに、
アイスコーヒー用の瓶を出して飾った。
花をもらうのは大学生ぶり。
蕾の花束は初めてだった。
ピンク色の蕾が、何日かすると咲いた。
自分でも不思議だったのだが、切花でも「花は咲く」ということにかなり感動した。
同時に、私は花を見るときに死にゆく彼らの姿しか見ていなかったことに気づいた。
花は開き、その後確かに枯れてしまったのだが
「枯れてしまった」ではなく、「確かに咲いていた」と思えた。
♢
それ以来、自分にも花を買うようになった。
蕾の花を買うのがマイルール。
今日も我が家で一輪の蕾がはためく。
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