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【百合掌編】江ノ島の夜明け前

 昼間は観光客でごった返す道に、今は私たちふたりだけ。人気のたこせんべいの店もしらす丼も今は眠りについていて、行燈の形をした街灯が誰もいない通りを柔らかく照らす。
 ふたり、手を繋いで肩を並べて通りを歩く。昼間にこんなことをしたら絶対ジャマだろうなあ、と思いながら。なにせただでさえ混み合っている道を地元の車も通り抜ける、ちょっとしたカオスなのだ。あえて彼女との会話はない。ここにあるのはお土産屋さんだけではなく、地元の人の家も並ぶ生活空間だから。夜明け前の静謐な空気と、手のひらから伝わる彼女の熱だけが、世界のすべて。
 となりの彼女の吐く息が白い。マフラーからはみ出た髪がもふっとしているのが可愛い。ぎゅっ、と手を握ると、ぎゅぅ、と握り返してくるのが愛おしい。他には誰もいない、私たちだけの世界。なんてことを言うと「江ノ島は江ノ島の住民のものであって、別にアタシたちのものじゃないからな」と冷静なツッコミが返ってくるのを予想して、心の中で微笑む。ぶっきらぼうで、けれども生真面目なところもあって、こうした非常識な時間の外出にも付き合ってくれる。彼女が私の彼女でよかったと、心から思う。


 琥珀色に染まっていく空に、ランドマークのシーキャンドルが映える。静まり返ったお店や民家、神社やエスカーの前を通りながら、先へ、先へ。観光地というだけあって街灯はしっかり整備されており、階段や狭い道もあぶなげなく通れる。安心して手を繋いで歩けるので嬉しい限りだ。
 道の端に猫を見つけた彼女がちょっかいを掛けるも無視されたり、空を見上げるとトンビが巡回していたり、通りを吹き抜ける海風が心地よかったり。お店が開いていない時間でも、この島では色んなことが起こる。私たちは花で有名な公園に花の咲かない季節に行き、泳げない真冬の海岸を眺め、名店で賑わう観光地に開店前の時間に行く。たぶん、日本で一番へそ曲がりなカップルだ。でも、それでいて楽しい。テレビで特集された旬の観光地に行って、人混みにもみくちゃにされて疲れ果てながら帰路に着くよりも、おそらくずっと。
 きっと、彼女がいるからだろうな。どんなに遠くても、季節外れの場所でも、非常識な時間でも、「一緒に行きたい」と言えば二つ返事で愛車を飛ばしてくれる。ぶっきらぼうだけど優しくて、そんな彼女が私と同じ景色を見ているのが、たまらなく幸福に思える。



 
 龍恋の鐘。昼間なら多くのカップルがたむろしている恋愛スポットを独占していることに、ささやかな優越感を覚えた。年季の入った鐘と無数の南京錠と、朝焼けに染まる駿河湾。昼間に来ていればふたりで景気よく鐘を鳴らすところだけど、いまは夜明け前だ。近隣住民がまだ寝静まる時間。
 「鐘を鳴らしたあと、ふたりの名前を書いた南京錠を鐘の前の金網に掛ければ永遠の愛が叶う」という。法的な婚姻制度があるのにこのうえ永遠の愛まで望むなんて贅沢な人たちだな。と私の中の毒舌がうなる。
 永遠の愛。そんなものはないって誰もが分かっているのに、小説やドラマや映画で幾度となく取り上げられるテーマ。叶わないからこそ手を伸ばしたくなる、一筋の光。だけど私は思う。たとえ永遠じゃなくても、運命じゃなくても、いま隣にいてくれる人がいればそれでいい。フィクションみたいな劇的な愛じゃなくたって、こうして夜明け前のデートに付き合ってくれる人がいれば、それで。
 ぎゅっ、と彼女の手を握る。その存在を確かめるみたいに、大切なものを守るみたいに、私だけのものだと主張するみたいに。
 ぎゅぅ、と、愛しい感触が返ってきた。


 江ノ島に来る人の多くがここまで来ないで引き返すという話を聞いたことがあり、なんて勿体ない、と思ったものだ。磯に打ち寄せる波の音、頬を撫でる海風、空を巡るトンビの鳴き声。夜明けの海を彩る音に誘われるように、ふたりで磯まで降りる。水平線から琥珀色に染まっていく空を、ふたりで手を握りながら見つめる。
 この時間が永遠に続けばいいのに、なんて台詞は私たちには似合わない。私たちは永遠の愛を信じるほど若くはなく、観光地に夜明け前に来る程度にはヒネくれている。それに、ここにもこれから観光客が大勢やってきて、ふたりだけの時間は霧散するだろう。永遠の時間なんて永遠に訪れない。
 それでも。琥珀色に染まる空、少し荒っぽい波の音、隣で身を寄せるぬくもり。全てが美しくて愛しい夜明け前のわずかな時間を、彼女と共に過ごした。それは本当。それだけはほんとうで、世界中の誰だって否定することはできない。隣で白い息を吐く愛しい彼女の手をもう一度、ぎゅっ、と握る。
 ぎゅぅ、という感触を感じながら、磯の香りに混じる彼女の匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。


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