若葉マークの不思議ちゃん
今日は母校を訪問しました。私は割と学校が好きな方だったので、帰省してタイミングが合えば先生に連絡を取って訪問したりします。学校が好き、というか、「仲の良い子もしくは仲の良い先生がとても好き」が正しいか。先生方はまだ私を覚えていました。かなり個性派の学年でしたが、その中でも記憶に残るほどの問題児(例:文系にほぼ全振り、職員室に入り浸る、担任団の職員朝礼後コーヒーをご相伴など…)だったのかなと思うと苦笑するしかない。
最後に尋ねたのは一昨年の夏だっただろうか。今日久々に来てみると、「お前痩せたなー」と色んな先生に言われてちょっと嬉しくなりました。
しかしよく考えてみると、たぶん前回来た時の方が痩せていた。先生の記憶の中には、高校時代の柔道部所属で筋肉質な私、もしくは浪人生の時の私がまだ生きているのだろう。やっぱりそれが1番印象深かった時代の姿なのでしょう。確かにそこから言われると痩せたけれど。
とある数学の先生より、「お前は中身が変わらないな。相変わらず不思議ちゃん…」とのお言葉を頂きました。
先生、それは初めて聞きました。私は不思議ちゃんだと思われていたのですか。不思議ちゃんは別にいっぱいいたでしょうに。確かに理知的ではないけれど、そこまで不可解な行動は取っていなかったように記憶しているのだが。
先生方が見た今の私は確実に少しおとなの形をしているんだろう。それは成長でもあり老化でもある。私も先生も歳を取ったのを実感する。おとなになりたいと願っていた高校生の私が聞けばさぞかし喜ぶでしょうし、今言われてもちょっと嬉しく感じます。
しかし一方で、変わらないなと言われることを嬉しく感じる私が存在する。友達との間においても、SNSの投稿内容などがいつまでも君らしくて安心すると言われたことがある。我ながら結構くだらない内容が多い。
私は、私がなりたかったおとなに近づけているだろうか。歳を重ねて老いていく体に向き合いながら、子どもの心を忘れないおとな。20歳からもうすぐ2年が経とうとしている。子ども心はまだ十分にあるが、おとなにはなりきれないでいる。感情がうまく整理できなかったり、ストレス対処が苦手だったりして自分の事を子どもっぽいなと思って、やりきれなさを感じることも多い。私はやはりまだ、おとな初心者の域を出ていないのでしょう。
歳を取れば勝手にそれなりのおとなにはなれると思っていたが、どうやらそうでもないらしい。私のいわゆる不思議ちゃんは、たぶんこれから先も見る人によっては不思議ちゃんのままなのだろう。まあ、不思議ちゃんでも良いから、少しずつ若葉マークを外せるように努力していきたい。
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