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衝撃のひとめ惚れ ―坂口安吾作品―

まだ私は人にひとめ惚れしたことはない。しかし、物だったり文章だったりにはたまにひとめ惚れしてしまう。今までで1番衝撃の大きかったひとめ惚れ相手が、坂口安吾の文章だと思います。

前にもどこかで書いたけれど、きっかけは高校時代、「文豪ストレイドッグス」という作品の坂口安吾。キャラデザインがどストライクだったのです。長身、黒髪、丸眼鏡、スーツ、あと性格も。性格は到底、本当の安吾とはかけ離れていたけれど。
そこから興味を持って、最初に手に取ったのは「堕落論」でした。これがまあものすごく熱量のある印象をうけました。頬を拳で殴られるような衝撃。

戦時中から思想を変えず、自身を貫き通した彼の代表作。どれほどの人がこの文章に引っぱたかれつつも感銘を受けたのだろうかと思いを馳せました。できれば、発表された当時に生きて読んでみたかったです。世間がたったひとりの男の文章で揺れ動くさまをこの目で見てみたかった。

この作品自体は短いけれど、私をひとめ惚れさせるには十分すぎた。ずぶずぶと沼にはまってしまう、この逃げられない感覚と高揚感。まさに、出会ってしまった。文庫化された作品は他の作家たちに比べると少なかったかもしれない。雀の涙ほどのお小遣いで買える彼の作品は少なかったけれど、ボロボロになる程繰り返し読み、擦り切れた部分も愛おしかった。

気になったので、作者自身も調べてみました。こんな人がいたら世の中大変だろうな、だけど現代にもいてほしいなと思いました。彼自身が好きか、と聞かれると、うーんと唸る。身近にいると何かと大変そうだ。

しかし、彼はひとめ惚れさせるだけには留まらなかった。私の浪人が決まった春、意気消沈としていた心に息を吹き返させてくれたのが「堕落論」でした。

「人間は堕落する、義士も聖女も堕落する。」
「堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。

私は正確には「落ちた」のだが、当時の私にとってそれは些細な違いでした。落ちたのだから這い上がって自分を救うしかないではないかと、思い直すことができたのです。今考えればちょっと的外れなような気もするけれど、やっぱりこのことがあってから、彼の文章が大好きになったし、彼の事も少し好きになった。

あれから年月が経ち、環境は大きく変わりました。初めて男の人に口説かれたとき、何の本が好きかと聞かれたので坂口安吾の本が好きだと言った。
「君のことを知りたいから、君の好きな本を読んでみようと思う」
キザなこと言うなあと思っていると、彼は数日のうちに小説集を買って読んできて一言、「なんか親近感のあるひとだと思った」


恋人は少し、「いずこへ」の主人公に似ている。いや、似ていた、が正しいか。食器も置かない、ひとなどくだらないと言ってのけるような人生を送ってきたらしい彼だったが、今では随分家庭的になったんじゃないだろうか(今でも十分ニヒルだが)。
けれど、まだどこか彼の面影に安吾を見ている私がいる。

「君は僕から安吾らしさがなくなったら、僕のことを好きじゃなくなるのかもしれないね」
映画「蛇とピアス」を一緒に鑑賞した後に、そんなことをぼやいていた。そんなことはないと思うし、たぶん彼に今も残る孤独を私が全て拭い去ることはできないと思っている。
しかし、別に、好きに理由はいらない。

安吾ほど強い人を、私はまだ知らないのかもしれない。これから本格的に彼の作品と向き合うけれど、分析はしながらもどんどん惚れこみそうな気がしている。

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