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母をたずねて3万字

卒業論文を書き始めて約2か月が過ぎた。元々考えていたテーマを変更したこともあって周りの友達より書き始めが遅く、かなり焦った時期もあったが、ずっと好きだった作家の作品についてまだ誰も発表していない考察を述べていくというのはやはり楽しいし、そのために大学に入ったといっても過言ではない。私は現在、坂口安吾の描く「母」という存在について小説の本文に基づきながら卒業論文を書いている。

ただ、同じ観点(いわゆるテクスト論というやつ)からの先行研究がびっくりするくらい無いのである。安吾といえば普通もっと先行研究があってもおかしくないのだけど、このテーマややり方に関しては本当に無いのだ(私が探しきれていない可能性には震えているが…)。時間を取られるテーマだし、だいぶめんどくさい作業を含むので今まで誰もやってこなかったのかもしれない。だから、自分で本文とにらめっこしながら特徴を探してまとめる作業が必要になるけれど、その結果、卒論全体の内容の3分の1弱ほどで3万字を突破してしまった。

3万字というと、400字詰めの原稿用紙が75枚に相当する。卒論は大体2~4万字くらいだと聞くので、私もそれくらいを想定していたのだけども…。長くなる理由としては、私が元々文章や話の長い人間だからというのもあるし、安吾作品11作の比較をしているから、本文の引用だったりも含めて3万字になるということも考えられる。長けりゃなんでも良いというわけではないことは重々承知しているのだが、このままいくと単純計算で全体は9万字になってしまう。さすがにこの3万字の章がいちばん長くなるはずなので、9万字はいかないと思うけど。


安吾が描く「母」、ひいては安吾の小説を見ていると、「母」を通して安吾の人間臭さがよくわかるような気がする。世間的には「堕落論」とか「白痴」とかが有名なのかな、と思っていて、そこでの安吾はすごくパンチの効いたことを言う尖ったおじさんというイメージが強いように思う。私も最初はそんなイメージだったし、その強いところに惹かれていたのは事実だ。
けれど、大学に入ってからの研究対象としての安吾には、随分とナヨナヨしたところもあるおじさん、という印象も追加された。登場人物が「母」に対してめちゃくちゃ憎悪抱いてるなと思ったら、安吾の年齢と共に和解して、手のひらを反すようにも見えることを書かれていたりとか。それでも反発したところも見せてみたりとか。安吾って意外と自己矛盾の甚だしい人間だなと思うようになったし、多分安吾もそれに苦しんでいた時期もあったんだろうな…とも感じる。

自己矛盾のない人間はきっとほんとに少なくて、それに頑張って向き合おうとしたのが安吾なのだ、と文字を打ちながら思う。それが結果に結びついたかと言われるとそうでもないかもだけど、あがいている姿が私は好きなのだ。おかげで彼の思考整理のためだけに書かれたような作品もあって、分析に頭を抱えるときもあるけれど。
大学を卒業しても多分私はずっと安吾作品が好きだろうし、それは彼が見せてくれた、一生かけて戦い続ける、考え続けることの意義、その泥臭い魅力からどうしても逃げられないからなのだろう。


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