森光七彩の生い立ち⑨
大学進学の頃。
父の影響で、ジャズピアニストの上原ひろみさんのことが好きで、よく聴いたりライブに行ったりしていました。
上原ひろみさんは、法政大学に入学したのち、バークリー音楽大学に進んでいます。
私も同じように、普通の大学に行って、バークリー音楽大学に行くのかなと漠然と思っていたりしました。
父の勧めで、あの国立の音楽大学を目指すことになり、音楽の勉強も始めました。
ピアノ科のようなところではなく、環境や社会とのつながりを学べる学部で、比較的最近できたところでした。
そこは、センター試験は3教科で良いのですが、平均8割以上が必要。その上で、音楽の筆記や小論文、最後に自己表現として、パフォーマンスと面接があります。
通常の大学入試とは異なるため、クラスメイトとは共有できない悩みでした。
当然のように浪人が決まり、
楽しい浪人生活が始まりました。
→普通は、浪人なんて楽しくないのかもしれませんが、私にとっては、大学の前の大学?みたいで。
お昼休憩には友達とごはんを食べ、誕生日をお祝いし、
授業終わりに友達と遊びに行き、
時に授業をサボってトイレでガールズトークを1時間ほど←何をやってるんだ
新しい友達がたくさんできて、嬉しかったです。
今でも会う間柄です。
きっと、同じ"合格"という目標があるから、わかりあえたのでしょうか。
塾では、大好きな日本史をいちから学び直しました。
高校時代、クラスメイトの間で日本史と言えば森光!というくらい、好きで得意だった教科でした。
なのに、センター試験当日は86点…
模試よりも低い点数で、周りの友人よりも低い点数。
とても悔しかった。
そこで、これから1年間あるからと、いちから学び直すことに。
知っていることから、知らなかった細かい情報まで網羅し、過去問は何周もやりました。
絶対大丈夫!という確信まで得られるところまで到達し、1年後のセンター試験は96点でした。
2問、イージーミスをしてしまっていましたが。笑
「やればできる」が実現し、志望校に受かるよりも達成感のある結果でした。
日本史をリベンジするために浪人したとも言えるかもしれません。
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