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【ホラー小説 予測変換】2布団の中にはまどろみがあるから悪いんだ。



 

朝、ぼんやり意識が体に戻ってゆきます。
それまでほったらかしにしていた私の身体に、私自身が戻ってゆく感覚。

ゆっくり、ゆっくり。

一部分づつというよりも、全体的にゆっくりと自分の身体に意識が読み込まれていく。そんな感覚です。

 

自分の意識が通わず、思うがままに自由に奔放に寝返りをうっていた身体に、私という操縦士が戻ってきたような、

身体というのは「体」はもちろん「心」や「脳」も含まれています。
だんだん、はっきりと まばたき ができるようになるように、
だんだん、私の心と脳にしっかりと私自身の意識が通ってゆきます。

それまでは意識通っていなかったので、認識がされていなかった記憶も、覚えてきます。

 

昨日、どうやって寝てのでしたっけ。
私は仕事でしたね。
人がいなくて大変でした。

そう、家に帰ってからはなんとかお風呂に入り、作り置きのご飯を食べて寝ました。
お風呂に入った私、偉いです。褒めてしんぜます。 

あー、昨日もあのおじさんは相変わらず扱いにくかったですね。
仕事仲間なのですし、ましてや社会人なのだから限度というものがあるでしょうに。

たしか今日も彼はシフトが入っていましたね…。

というか。私は今日、遅番であってますよね。
まぁ早番でも、もう手遅れなのでどっちでもいいです。

 

昨日のこと、今日のこと。
今の時点を中心に だんだんと心と脳の意識が、体の中から外の世界へゆっくりと広がってゆきます。

嫌ですね…。今日は仕事になんて行きたくありませんね。
なんて、わがままでしょうか。

ふとんの心地よさが、私を怠惰にしてきます。

 

ベッドのサイドテーブルで充電していたスマホを手に、SNSと連絡のチェック。
チェックといえば聞こえはいいですが、実際にはベッドから出ない口実と、暇つぶしです。友人の連絡は返す癖に、仕事の連絡は後回しな怠惰人間です。

 

今日も暑いですね。
よけいに行きたくなくなりました。
日焼けしてしまうのが嫌です。
汗をかくのも嫌です。ニオイが気になって嫌です。

暑いから仕事休みます、なんて。

これが通じるどこかの南国の島に移住したいですね。
いや。
その国の大王はきっと熱いの好きだから、少々無理がありますね。

 

そういえば、そろそろお盆ですね。
実家に帰らなくては。

面倒です。

もう思い当たることすべてが面倒になってきました。

 

お盆…ですか。

あの子も帰ってきてくれるのでしょうか。

 

 

 

ゆっくりの朝。昼っぽい日差し。布団の中。

ここは”私だけ”の心地の良い空間。

子供のころ、怖い話を聞いて眠れなくなった日のことを覚えていますか。
いつもの部屋が、暗く静まりまるで閉じ込められてしまったかのようになる。

そして、そこからは話に出てきた化け物が、その話と同じ決まりで、まるでその怖い話の続きをなぞるように、今、自分に迫ってくる。
しかし、話に出てきた主人公やヒロイン、ましてや霊媒師や魔導士なんかいなくて。
存在しているのは”ただの人”である自分のみ。

化け物がきたらどうしよう。
逃げるか。体は動くのか。ドアは開くのか…。
助けを呼ぶか。声は出るのか。そもそもお父さんやお母さんは無事なのだろうか。自分の声はそこまで届くのだろうか…。

シミュレーションを頭の中でいくつも作り上げますが、どのパターンの勝算なんてゼロ。頭の中がどんどんと窮屈になっていくだけ。

そんな日は、やたらと自分の体を布団の外に出さないようにしていませんでしたか。まるで、外側の世界から自分の世界に防御線を張るように。
ふわふわした素材の布切れが、どんな力を発揮して私の身を守ってくれるというのでしょうか。

見ている分にはかわいらしいですがね。

ただし、空間を分けるというのは、やはり本能なのでしょうか。

 

怖い話。
その類には一つの共通点があると思うのです。
それは、『世界線』

この世とあの世。現在と過去。現実と創造世界。
私たちの見慣れている日常の今と、それとは違う現実ではありえない世界が混在をなしている。そしてそこから起こる物語が怖い話には共通していると思うのです。

交わってはいけない、空間と空間。

人類はいつもそうな気がします。
認知革命が起きて以来、自分たちの知らない者、自分たちとは違う考えや想像で生きている者を迫害し、殺しあう。
怖い話が遥か昔より存在し続けるのもある意味、人間の動物的本能がいまだに根強く残っているからでしょう。

と、こんなくだらないことばかり考えていないで、さっさとおきましょう。

今日は仕事です。

あぁ、でももう少しだけこのぬくもりの中にいたいです。
もう少しだけ、眠気の中でまどろんでいたい。

そもそも、「怖い話とは」なんて頭のわるい人が考えることです。
頭のわるい人は物事をなんでもくくりたがるそうです。 「若い人は」「年寄りは」「外国人は」などなど。
頭のキャパシティが少ないから、大きくくくって簡単にして認識をしていると。

 

そういえば、昔。海鳥がテーマの物語を読んだことがあります。
もう10年ほど前なので、どんな話だか詳しくは忘れてしまいましたが。そもそも全部読みきったでしょうか。表紙に描いてある空を飛び回る海鳥がかわいくて買ったら、意外と内容が哲学的であったのは覚えています。
はたしてそんな物語、当時小学生の私はしっかり読めたのでしょうか。

  
その物語はたしか一匹の海鳥が主人公なのですが、大変優等生な海鳥でした。優等生だからこその苦悩や体験、そして努力をする様子がえがかれ物語は進んでいきます。

ある一節に「最も高く飛ぶ海鳥は最も遠くまで見渡す」と書いてありました。
これは覚えています。

さて、その海鳥は果たして賢き海鳥なのでしょうか。
最も広い視野を持った海鳥は、水面を泳ぐ美味な魚群や、海辺の美しいサンゴ礁を見ることはできるのでしょうか。

 

なんて、暇つぶしばかりしていないでそろそろ起きないと遅刻をしますね。

 

 

そうして私は、ベッドからゆっくりと起き上がりました。
カーテンを開け、もう昼の日差しを浴びながら伸びをする。

いつもと同じ、とある一日の始まりでした。

 

 

 

 

後書き

そばがら枕しか勝たん。

 


 

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