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『三国志 新解釈』あらすじと感想。感想「研究職 新解釈」映画から見る「研究」「文化」についての個人的価値観。心の余裕を大切にできないへ。


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この映画は一人のおじいちゃんがナレーションを務め、物語が進んでゆく。

そのおじいちゃんとは歴史研究家の曽我宗光(西田敏行)。

ちなみにこの方は映画監督でも、本物の歴史研究家でもないことに注意したいところだ。

俳優の西田敏行のオーラがそうさせているだけだ。ただし、つられてしまうのも仕方がない。彼の名前をGoogleで検索すると予測で「西田敏行 黒いうわさ」と出てくるのだ。これだけ黒幕のようなオーラが強いのだ。仕方がない。

さらに言うと、今回の映画監督は「今日から俺は!!」「勇者ヨシヒコ」「銀魂」シリーズなど数々のコメディ作品を手がける福田雄一監督。

そしてキャストにはコメディものには常連のムロツヨシや、佐藤次郎もいる。この時点で最高のコメディ映画なことは安易に予想ができる。映画館でポップコーンを買う前からワクワクが止まらない。



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話を戻そう。

おじいちゃんもとい、歴史研究家の曽我宗光。いかにも名前のこのおじいちゃんが今回の映画で一番魅力を感じさせられた。いわゆる推しメンだ。

この映画には「研究職」という職業について、私自身がいだくイメージを一新させられた。

映画のタイトルは「三国志 新解釈」だが、私にとってはもう「研究職 新解釈」だ。


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あらすじ:『本格コメディ×本格アクション』





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今回の映画は三国志の中でも初期の時代から始まる。

黄布党の鎮圧から、董卓討伐、赤壁の戦いまでだ。

董卓討伐といえば、あのお方、貂蝉(チョウセン)。三国志好きにとってはどの女優が貂蝉を演じるのかが気になるところ。その答えはぜひ劇場でみていただきたい。

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そして主人公は三国志ではおきまりの劉備(リュウビ)だ。弱きを助け、悪をくじく。その正義感から民たちから絶大な信頼を受ける。まさに三国時代のヒーロー。

そんな劉備なのだが、この映画では全く別の人物像で描かれる。

へなちょこで、ぐうたらくで、日常生活は怠惰そのもの。

しかしひとたび酒が入れば「我々3人は兄弟であり、生まれし日は違えど、死せる日は同じ!!!」や「民を見捨ててはならん!!!」など、現代にも伝わるあの有名なセリフを言いまくる。

現代にも何万といる「見かけだけ上司」のような男だ。

しかしそれを見事英雄に着飾らせ、現代まで語り継がれるほどにしたのが関羽(カンウ)と張飛(チョウヒ)である。

虎牢関の戦いにて劉備が出陣をさぼっても、なんとか取り繕ったのもこの二人。そんな描かれ方をしている。

ほかにも多くの似たようなシーンが登場する。これがまた、ありそうな話である。だが、三国志ゲームなどで描かれるあの仁徳の人・劉備のイメージが崩壊していくので、熱狂的劉備ファンの方にはオススメできない。残念だ。


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映画中盤からは赤壁の戦いといえばあのお方。諸葛亮(ショカツリョウ)が登場する。

ムロツヨシ演じる公明ワールド。たくさんの魅力が詰まっている。

しかし長くなるのでここではやめておく。なので、ぜひ劇場でみてほしい。


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さて、この映画はコメディ映画として公開された。だが、何度かでてくるアクションシーンがあまりにもきれいすぎる。

特に虎牢関の戦いで呂布(リョフ)対関羽&張飛コンビの戦いがすさまじく引き込まれるものだった。

呂布はしっかりと赤兎馬に乗り、地に足のついた高画質CGを交えた凛々しい姿で登場。

虎牢関の大きな壁や、ハラハラほ降る雪に赤い赤兎馬と黒々強い呂布の姿がよく映える。

そこからはじまる虎牢関の戦闘シーンはぜひ劇場で対感じていただきたい。

ただただ笑える。そんな作品ではなく、アクションシーンをしっかりと作りこむことで、コメディ映画にスパイスが加わり、決して単調な映画にはなっていない。

今回の映画テーマである、「三国志」という分岐要素を余すことなく拾い上げ、熟成しスクリーンに投影している。そんな作品であった。

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感想:『研究職 新解釈』

ここからは私の個人的な映画の感想を述べてゆきたい。

やっと述べられる…正直、キャストやあらすじを書くのはとてつもなく面倒な作業だった。

キャスト?ググれよ、主役からわき役までもれなく写真付きで出てくるぞ。

あらずじ?YouTubeみろYouTube。コメディシーンおアクションシーンも音声付動画で短時間で効率よく説明してくれるわ。


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さて、本題に入ろう。

冒頭でも述べたように、私が一番魅力を感じたのは歴史研究家の曽我宗光だ。

ここで、皆さんは「研究職」という職業についてどのようなイメージをお持ちだろうか。


あえて否定的な意見を述べさせていただくと、
「そんなのものはお遊びだ」「学校という場所から抜け出せないだけ」「非生産的で無意味だ」


こんなところだろうか。
私自身も正直そう思っていた。

だが、この映画を見て、その考えは一新された。

研究とは人類にとって最高の技術である。
そう思った。


ここで一つ、大きく深呼吸をして感じてみてほいしい。

自分が触れているこの大地、この地球という惑星を。地球上にいま君はいる。ほかには何がいるだろうか。ほかの人間、人間以外の犬、猫、鳥、魚、ほかにもたくさんの生き物が君と同じ大地を踏み、この時代に生きている。

そのなかで、一番発展していると考えられる種はなんだろうか。

多くの説は唱えられるが、その答えはやはり人類なのではないだろうか。

それはなぜか、なぜこの惑星上で一番優れた存在とみられるのだろうか。
それはおそらく、ほかの種にはない「文化」という概念が人類には存在するからであろう。
そう私は考える。

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「文化」といえば、歴史はもちろん、宗教や、芸術、芸能もその中に含まれる。

歴史を研究して何になるのか、
宗教を信じ、神を信じそれがなにになるのか、
芸術や芸能も然り。

そこに答えはない。
あるとすれば、それは個人的な答えであり、人類全体にとっての答えではない。

だが、私は「文化」とは人類最高の宝であり、技術であると感じる。
それは、「文化」にとてつもないロマンを感じるからだ。

私は、その答えのない何かを突き詰める人類の姿。それ自体に魅力を感じるのだ。

もちろん、「文化」に携わる文化人にとってそれぞれの目標や個々の答えは持っているだろう。
だが、私の述べたいことは、

「生きる手段以外において、己を信じ、長い長い時間をかけ向き合う」その

人類の高貴な余裕に魅力を感じると述べたい。


「文化」というものはそもそも、生物学的には必要がないものだ。
衣食住に必要不可欠なものではない。人間は、着るもの、食べるもの、住むところがあれば生きていける。その中でパートナーを見つけ種を繁栄していけば100点満点の存在のはずなのだ。

だが、人類はその衣食住と繁殖をいともたやすくできてしまう力を手に入れた。

ほかの種が一日かけて食事と排せつ、そして寝床を作り、厳しい弱肉強食の世界で生き延び、種を繁栄させていっている中。そんな中人類は一日の中のほとんどの時間をそれ以外の時間に費やしている。いや、費やすことができてしまっているのだ。

ほかの種が、えさを必死で探し回っている中、我々人類は1時間ほどでピザをデリバリーし、家で映画でもみながら「文化」という活動をしている。こんなことが一日のうちに世界中で何件おこっているだろうか。


人類にはほかの種にはない、「余裕」があるのだ。
それはとても高貴な「余裕」である。


ほかの種には到底手に入れることができないであろう我々の財産だ。


その「余裕」というものの集大成が「文化」という形ではないだろうか。



その「余裕」で何万年ものトキの事象を解明し、心のよりどころを創造し、美しい芸を生み出し、ついには地球上からも飛び出した。

その最先端に立つのは研究職の皆様含め、宗教家、芸術家などだ。


こんなにも高貴な「余裕」を持ち、こんなにも気高いロマン「文化」をもつ種を私は愛してやまない。


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このようなことを考えさせてくれた歴史研究家おじいちゃんの存在、その魅せ方、などさまざまな要因に感謝を申し上げます。




後書き:「余裕とは最も価値のあるものです」

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今回は、人類全体の目線で文章を書きました。ですが、ここ後書きではもっとミクロな視点で見ていきましょう。

あなた自身と、私自身の、このとても小さな小さなミクロ視点です。

あなたは現在一体どれほどの時間、余裕があるでしょうか。

質問を具体的にしましょう。


あなたは最近、
どれくらい映画を見ましたか?
どれくらい本を読みましたか?
家族や恋人、友達とどれくらい遊びましたか?
どれくらいの人と出会いましたか?
どれくらいのあなたにとって好きなことをしましたか?


「時々?」いや、「ほぼ毎日?」


あるだけでも、すばらしいです。


私は学生時代、特に高校受験期。そのような時間が全くと言っていいほどありませんでした。
その結果、鬱になりました。

原因の一つはきっと「余裕」から生まれる「文化」活動に対して否定的であったからだと思います。
※ここではあえて、勉強を文化ではなく、人間の仕事のうちに入れます

ちなみに、うつ状態になってからは勉強なんて一切していませんでした。
ただ同時に、その否定的な感情は大きく肥大していきました。

「余裕」がある。つまり自堕落で暇な時間が許せなかったのです。


ただ、今を思えばあの時の「余裕」こそとても尊いものであるとおもいます。

結局、高校時代の勉強なんて一切みについていません。
重力加速度とか、関係代名詞とか、どこの魔術の名前なのだろうと思います。


もちろん学歴は高卒。

ただ、わたしには今、学生時代のタスク的学力や学歴なんかよりももっと大切な夢を持っています。

かみしばい師として成功したい。
やきいも屋を立ち上げたい。
全国一周の旅に出たい。
ITを学んで悩める人たちの本質的な助けになりたい。
医師免許か、作業療法士の資格を取りたい。
その前にまず、介護士を三年まっとうして介護福祉士を取りたい。

そしてむしろ、ちゃんと学校に行っていなかったからこそ出会えた人たちがたくさんいて、社会に少し顔を出せた。
それを「社会人経験長いから」とか言われて今の上司にべた褒めされて毎日毎日いい子いい子されるいまの日々が手に入りました。


現代っ子がよく言う「自発性」といやつを思いっきり手に入れた。そう言いかえることもできます。

これが手に入ったのも「余裕」があり、それを大切にしたから。
高校3年目、鬱3年目にしてやっと大切にすることができました。

当時の感覚では、
「学生という仕事をほったらかし、日々を好きなことをした」
こんな感じです。

こんな感覚が私に大きなものをたくさんくれました。


このように「余裕」を大切にすることで

疲れた心に少しでも癒しが生まれます。

「休み方がわからない」「疲れているかがそもそもわからない」

それは私にも正直わかりません。

ただ、「余裕」を大切にする重要性だけは知っています。

例えば、あなたがもし学生でテスト期間中であったら。

いかに多く勉強時間を取り、点数を取るか

よりも、

休憩をいかに多くとり、点数を取るかを考えたほうがいい。

その休憩時間というのはここでいう「余裕」であり、むしろその時間のほうが自分にとっては価値がある

「私、昨日配信のゲームのイベントでここまで進んだー。(ドヤ)勉強?したよ?で、物理80点(ドヤ)」

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くりかえしますが、大切なのは結果や、努力でもなく、いかに「余裕」を生み出せたか。


だって疲れるの嫌だし、楽しいのがいいじゃん。人生。





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