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中学時代の吹奏楽部の2学年下の後輩

 なんだか中学時代の2人の後輩のことを思い出したから、当時を振り返る投稿をします。内容は、後輩に対する懺悔と感謝です。本人たちに伝えるチャンスがないので、ここに記しておきます。
 私はトランペットパートでした。3年生のとき、パートリーダーを務めました。直属の後輩が4人いました。4人とも、とても素直で素敵な子たちでした。あと、同級生が1人いました。2学年下の1年生だった2人について書いていきます。Aちゃん、Bちゃんとします。
 それでは、当時を振り返ります。AちゃんとBちゃんには、残念ながら、実力差がありました。もともとある実力差は、ますます開いていきました。Aちゃんは練習するたびに、練習の効果が発揮されました。Bちゃんも練習を頑張っていました。ですが、なかなか実力に結び付きませんでした。そのときの私の対応は、反省すべき点があります。もちろん、Aちゃんのことも、Bちゃんのことも大好きで大切に思っていました。ですが、中学生のとき、私は根性論で物事を片付けるところがありました。Bちゃんのために、根性論を語っていました。Bちゃんよりも、Aちゃんの方が努力ができていると見なしてしまい、現実が見えていませんでした。実際は、AちゃんもBちゃんも、本当によく頑張ってくれていました。
 さて、2人の実力差の要因は何だったのでしようか。トランペットを続けている今、再考してみました。2人の身体的な個人差かと推測しています。当時に戻り、確かめることはできないため、推測です。Bちゃんは歯並びに悩みがありました。そんなBちゃんに合うアンブシュアが見つかっていなかったと思います。ブレスもやりにくそうだったし、トランペットを持つのも重そうでした。全体的に、トランペットの演奏がやりにくそうでした。不適切な奏法で練習量だけ増やしても、残念ながら上達は難しいです。この推測が正しいならば、対策として根性論が適切ではないことが明らかです。私に知識や経験があれば、適切なアドバイスができたのかと思います。せめて、根性論で片付けようとしなければ、いろいろな可能性を考慮し、適切な対策を本人と一緒に探したはずです。トランペットを教える者として、それ以前に人として、至らなかったです。自身の知識や経験が不十分であったこと、適切な対策を探さずに根性論で解決しようとしたことが申し訳ないです。
 その後の2人についてですが、2人とも大幅に上達しました。って顧問の先生から聞きました。特に、Bちゃんが上達したと聞きました。嬉しかったです。Bちゃんは実力のある心強い存在となったそうです。音色も高音域も問題ないようでした。そのような状態まで誰が導いたのかはわかりません。私の1学年下の後輩すなわちAちゃんとBちゃんの1学年上の先輩なのか、Aちゃんなのか、顧問の先生なのか、外部の指導者なのか、誰かはわかりませんが、その方には感服です。Bちゃん自身で導いた可能性もあります。いずれにしても、Bちゃんの素直に学ぶ姿勢があったからこそ、成しえたことだと私は思います。指導した方にも感服ですが、一番はBちゃんに感服です。また、根性論に傾倒しているかもしれませんね。
 ここまでの話をまとめると、私は至らない先輩だったけれど、Bちゃんはすごい!ということです。トランペットを教える者として、それ以前に人として、私は落ち度ばかりです。
 ですが、パートリーダーを務めていた私は、よきリーダーだったと思います。正しくは、よきリーダーにしていただきました。4人の後輩は、私のことを素直に慕ってくれました。彼女たちは、私をよきリーダーとして接してくれました。パート内の同級生も私をよきリーダーとして接してくれました。顧問の先生やパート外の同級生もパートリーダーを務める私を評価してくれましたが、それはパート内の同級生と後輩が私をよきリーダーにしてくれたからだと思っています。私にとっては、自分自身がリーダーであること以上にパート内の後輩の存在が自慢でした。そして、時間が経過した今も大切な存在です。もうパートリーダーではないですけどね。携帯が変わったりして連絡先がわからなくなってしまいましたが、中学時代のトランペットパートの仲間にまた会いたいです。もしも、会えたら今更ながら、ありがとうと心から伝えたいです。大人になってこんなこというのは恥ずかしいけれど、トランペットパートが大好きです!

読んでくださってありがとうございました!!
 


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