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開かれた活動、閉ざされた活動

活動または作業にはいろいろな種類があります。
今日はふと考えている
「作業空間の性質が開なのか閉なのか」
というひとつの側面について

パパッと書き留めます。
3分以内の物量でしょう。
すぐ終わります。

書くことや企画を作ることなどは
closed(閉ざされた作業)の性質を
持つのだと思います。

高い集中力をキープする必要があるという点がそうさせていることも背景ですが、もう一つ注目したい理由があります。

こういった、思惟、思考を大量に動かす作業は、自己の中で閉じこもる性質を持つからです。他者を空間の中に引き入れるような精神空間の作りとの相性が悪いです。

「閉じる」という表現がネガティブな響きを帯びる文脈が多いのですが、ここでは一切そういう意図なしにフラットな表現として使っています。

「個」な作業です。

だからこういった作業は、物理的にも空間的にも、個であることを徹底すると具合がいいのかもしれません。孤独を仲間に、深く沈潜するような形で。

ちなみに集中力高いと褒められる事例に、うるさい場所でも勉強や研究ができて努力家だのえらいだのみたいなことがあると思いますが、それも外界をシャットアウトして精神的に「個」にこもる力に優れているであって、作業の性質が閉じているわけではないので、反証にはならないと考えます。

一方、編み物や料理など「おうちを主舞台として行う家事、軽作業や創作活動」は、興味深いことに「女性的または家庭的」というイメージを持たれていると共に、極めて「開かれている」と気づきました。

「集中せすともできる、ながら作業程度のことだから」と考えがちかもしれませんが、そういうわけではありません。

まず、比較的にながら作業がしやすい活動ですが、おそらく多くの男性は苦手です。

私がDNAを引き継いでいるとは思えない、早くも亡くなった勤勉で聡明なお祖母さんは昔、貧乏暮らしを豊かにできる4児の母。

優しくて理解力があることで4人の子どもから頼られていました。バラバラな年齢のバラバラな社会生活を送る子供たちは帰宅するとそれぞれワーワーと今日の出来事や悩みを、終わらない家事を常にテキパキ片付けるお祖母さんにお構いなしにぶちまけるのでした。
ワンオペで作業しながら子の訴えを聞き入れるなど聖徳太子みたいな芸当はできるわけねえよ、と私も思うのですが、お祖母さんならあらゆる方向から飛んでくる話の矢をまるで聞き流しているように淡々とキャッチして、的確なコメントを返していたことが家族の中で語り継がれているのでした。

言いたいことは、ながら作業は、理論上他と並行可能な集中力の消費の仕方をするものの、並行して行う難易度が低いというわけではないということです。

次が本題ですが、難易度云々を置いといて、開かれた作業も閉じられた作業も、独立した、閉じられた環境で行えます。両方閉じられた環境で行い、映像など間接的な手段を通して「場」や「空間」を擬似的に共有する場合、どのように成立し、または成立しないと考えたとき、
「閉じられた」作業は見ている側も心理的に「一緒にいる」とは感じづらく、「開かれた」作業は逆に「風景が共有された」と感じやすいと思われます。

理論上ながらで作業可能、かつ完成形が全く想像がつかなくとも、作業の成果物が漸進的に形(動きなどの形も含む)に現れる活動は、なんだかんだで「寄り添う」パワーを持っているかもしれないなーと思いました。

一方、他者の目に晒されることで、集中力や精神の状態が妨害される作業で、かつ途中進捗が視覚的に理解可能でないものは、きちんと人や常識社会の文脈を避けて孤独に浸かる状態を整え、個に深く沈むと強いパワーを得やすいのかもしれないと。

何かしらの作業や作品を創作するのは、他の人とつながる紐帯を作り、強めるためであります。しかし、作業の性質によっては過程から人とともにいるかが分かれるようです。

人間のそれぞれの内向性外向性指向の違いを考慮すると、同じ作業であっても人前でできるorできないがさらに複雑に分岐するので、一概に断じる意味はありません。

ただ、見てきたように作業や活動の性質から出発して、他者と繋がる時間や形式が異なってくると理解できると、時間や環境を踏まえて活動を選ぶ際の判断基準がハッキリしてきて、興味深いと感じました。

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