見出し画像

生まれるため脱ぎ捨てる

人間は肉体の生誕とともに
生まれてくるわけではない。

というのも、生まれるとともに
精神や意識も
「あるべき姿を獲得する」個体は
おそらくない気がします。

狭い経験や体験からの
直観でしかありませんが。

自分という個体として
世界においてきちんと産み落とす作業が、
むしろ人生の主要活動と言っても
良いかもしれません。

この「自分を、自分を取り巻く世界に、
もう一度自分の性質に従って、
自分を生み落とす
」作業は、

いうとなれば、何かのサイトや
サービス登録直後に発行された
仮パスワードに対し、
一度リセットして
自分が覚えやすい意味のある
パスワードに変更するようなものと
近いイメージです。

(「覚えるの効率悪いからChrome生成パスワードでやるのが常識よ!」という方も一度は仮パスワードをリセットしてます。Chromeに代行してもらったけれど作業としては存在します)

私は生まれてから
微妙にさまざまな環境に
馴染めませんでした。

家族、親戚、家系の価値観や感覚、
学校や社会の通念、
国や経済が支持する正義、などです。

気持ちがつらくなるような
具合の悪いことが
積もりに積もりました。

その過半数は些細すぎることや
理解されないことを
確認してみて挫折を味わうことなく
直感的に分かってしまうほどです。

残りはそこそこひどい目に
繰り返し遭って覚えました。

ここまで自分の感覚が
あらゆる環境から受ける
一般的なメッセージで
否定されると
黒い嫌悪感がどうしても
多く溜まってしまいます。

自己否定や恥の感覚、
同時にあらゆるものを、
自分にとっての理不尽を、
見下し破壊したい衝動。

もちろん「適応」の努力を
強いられたし、心から望んでいました。
自分の素直な気持ちは
わがままで、まともでなく、
管理上問題点になるような
社交の場で不適切になりがちで
目を逸らされ苦笑いで
スルーされるような
逸脱であるということを
何度も何度も実感したからです。

同じサイズの四角のピースが
三角の穴にどうしても嵌まらないけど
その虚しい試みをヤケクソに繰り返す
完璧なまでのnot fit in。

「三角なのに
 三角にとって当たり前のことを
 なんで三角のように感じない、
 できないの??」
とずっと思っていましたが。

でもやっぱり三角じゃなかったのです。
気づくのに時間がかかりました。
心の形を映す高性能鏡って
意外と簡単には出会えないんですね。

で、結局これって
個人的な話ではないなとある時
ふと腑に落ちてきました。

もちろん個人的な挫折や性質、
社会環境との関わりで
経験した価値観への受容度は千差万別。

ですが、
初期設定の仮パスワードでは
何かしら具合が悪い試練が
必ず用意されています。

探すわけです。
自分の本命パスワード

人によっては
そのタイミングは
本当にまちまちだと思います。

また、一気に仮パスワードを
リセットできた人もいれば
何回も分けて、
1バイトごと少しずつ
リセットすることになる人もいます。

仮パスワードって
きっとカルマだの因果だの
データ引継ぎ後強くなって
ニューゲーム再開してまで
倒さなければならない
ボスのようなものでしょう。

私の場合、振り返ると
「おいこれどれだけ長い仮パスワードを割り振られてて、どういう気が遠くなるような細かい単位でリセットかけてるんだ」と
主観ではついタラタラと文句を垂らしたい
惰性に流されたくなるような
リセットの道でした。

なお、今も終わりが見えていません。
もっとかかる人もいるでしょう。

ただ、何か仮パスで割り振られた
デフォルトをひとつ脱ぎ捨てるたび
リセットに確実に近づく
と感じました。
心が明らかに軽くなります。

元々あるものを脱ぎ捨てる、
ーーまたは追い出される形や
遠ざける形を取ることもありますがーーー

かなりの恐怖、孤独、疎外感、惨めさなどなどが伴います。場合によっては長い時間心には地獄のような感情が壊れるまで暴走するジェットコースターが走ることになります。

それでも、
脱ぎ捨てるものが増えるたび
自分が生まれてくるための出口への通路が
ほんの少し広く緩くなり、
頭や首を締め付けるものが
ふわっと消えていきます。

人間は
死ぬまでにちゃんと生まれるために
仮パス発行の1回目の産み落としを
経験する構造
になっているのではないかと
考えてみます。

だから何らかの形で
意識的にか無意識的にか
結局脱ぎ捨てていくことになります。

逆を言えば、
本命パスワードを見出すことを
妨げる仮パスワードで
脱ぎ捨てられないものはないはずです。

そのために背負う
孤独や嘗めた苦い汁は
デドックスだといつかは
思えてきます。

ちなみに私が
嘗めてきた「苦い汁」は
辛酸とはさすがに言えないような
みすぼらしい恥ばかりで、

なぜか臥薪嘗胆という四字熟語から
想像するとめちゃくちゃ
不味かろう「胆」の汁と
同じ味わいだと
過去を反芻する際
リアルなイメージを得ます。
なんてやつだ。
誰も得しない臥薪嘗胆の
胆の味
を想像するなんて

今声高に叫ばれるようになった
マイノリティが持つ正当性が
与えられる日がこないような、
おそらく本当に理解される日がこないと
深い諦めがついている
生まれるための大きな初期設定も
いくつもなんとか脱ぎ捨ててこれました。

マイノリティの正当性は
別にそこまで執着する必要は
ないのかもしれません。

本当の目的はマイノリティ
というアイデンティティを
樹立できるかどうかに
あるのではないからです。

(ちなみに、平均という幻想に立脚して構築される限り社会は必ず平均範囲からはみ出る他者を生み出します。範囲の概念更新して取り込めても、また新たな他者を生み出すと考えます)

自分が生まれるための
仮パスワードをいかに捨てられる
の方法や感覚を、
確実に手に入れることが本質的に目的です。

もっと楽に軽やかな姿で命の表現をする
自分が生まれくるのを
苦しみながらも深い喜びを予感する
懐妊期間のようなものが
人生前半の比較的長い期間を
占めるでしょう。

そういう見方が
なんとなく心の片隅にあるからか、
眠りに恵まれずに擦り切れた朝でも
革命の黎明のような
清冽な気力が湧き上がることがあります。

あ、そういえば今月誕生日です。
ばぶー

この記事が参加している募集

眠れない夜に

お読みくださりありがとうございました☘️🌈 初めての方、あなたに出会えて嬉しく思います。フォロワーの方、いつも見守ってくださってありがとうございます。 共感できるところや、心の琴線に触れるところがありましたら、ぜひ応援の気持ちを届けてください。心が温まります❤️🌟