楽屋のある飲食店の思い出 #仕事の思い出
479社で働いたので、仕事の思い出は沢山ある。
そこで、タイトルに#お仕事の思い出というハッシュタグをつけて、後ほどマガジンにまとめることにした。
私は飲食系は60社以上で働いた。
ウェイトレスも何度かやったけど、あれは初心者には難しい。オーダーの機械の使い方を覚えるのに一苦労。紙でも略語で書くから、慣れないうちはしんどかった。歩き回るので足は痛くなり、結構ヘトヘトになる。私のような単発アルバイターには、あまり向かないと思う。
料理の提供は、まだ簡単。
テーブル番号(卓番)にお料理を運ぶだけ。
ミライザカというワタミ系の居酒屋で、いきなりグローブ揚げという大きな唐揚げを「お客さんの前で切り分けて」と言われた時はドキドキしたけど、何度かやったらコツを掴んで慣れた。
最近はホールスタッフより楽な、裏方の調理補助か洗い場ばかりやっている。
好きなのは調理補助。
盛り付けをしたり、野菜を切ったり。
なかでも楽しかったのは、和菓子屋に併設していたカフェで、和風パフェを作ったこと!
喫茶店でスイーツ作りは、好きな人には、たまらなく楽しい仕事だと思う。
凝ってるパフェを作るのは、時間かかるけどね。
#仕事の思い出 第1回目は「楽屋のある飲食店」の思い出
銀座の老舗のジャズクラブ
銀座の老舗のジャズクラブで、おつまみの盛り合わせなどを作ったことがあった。
裏方の小さい楽屋では、アーティストが数人、自分の番が来るまで、小さな椅子に座って控えていた。
ビロードのカーテンの裏の、極狭の空間なんだけど、皆、自分の番が来るまで、おしゃべりもしないでじっと座っている。目を瞑って、コンディションを整えていたのかな。
自分の出番が来ると、そそくさと交代する。
少しすると、美声とピアノの音が聞こえてくる。
狭い店内で、高齢のお客さん達がバーボンを飲んだりしながら、まったりしていて。
歌が終わる度に、歓声と拍手があがる。
ホールには、笑顔が溢れる。
独特な、素敵な空間だったなあ。
ひと昔前なら、煙草の煙も立ち込めていただろうけど、昨今禁煙が当たり前になったので、煙草の匂いは全くしなかった。
温泉施設の食堂と大衆演劇の控室
本業がなかなか決まらず、リゾートバイトをしていた頃の話。
ある温泉施設の大食堂のスタッフ専用ルームに、なぜか沢山人がいた。昼食を、広めのスタッフルームで食べているから、何なのかと思ったら、この温泉施設で劇を披露している、大衆演劇の劇団員の方達らしい。
若い男性も多く、ご飯を大盛りにして、わいわい食べていたなあ。
私は早乙女太一が女形で一世を風靡していた頃に、一度だけ大衆演劇を観た。
『瞼の母』とか有名だよな、くらいの知識しかない。
大衆演劇の演目が気になり調べたところ、井原西鶴や近松門左衛門といった学校の教科書で名前を見た作家の作品も多数あるようだ。
江戸時代の演劇といえば、歌舞伎や落語、人形浄瑠璃しか思い浮かばなかったけど、たまには、じいちゃんばあちゃんに混じって、温泉で大衆演劇を観るのも楽しそうだ。
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