見出し画像

夜の新宿歌舞伎町は異世界なのか?

盆休み最終日だ。この休みは天気もかなり不安定だったし、ほとんど家の周りで過ごした。平和な休日だった。

昨日の夜、久しぶりに新宿まで出てみた。情報量が多くて目が回る。文字文字ネオン人間人間ネオン人間人間…
ちょっと前の私はそういう情報のシャワーみたいなのを浴びるのが結構好きだった気がする。千葉の実家に住んでいて新宿が遠い場所だったとき、電車を降りた瞬間から人混みに揉まれるのが面白かった。「人生が交わることのない大量の人間とぶつかりながら歩くこと」それ自体に興奮をおぼえていた。

昔からtwitterをやっている。最初にアカウントを作ったのは確か14歳、15年前だ。いつものように朝のNHKをぼーっと見ていたら「『つぶやき』を投稿するサービス」が紹介されていたのを見て、とりあえず登録してみたのを覚えている。この15年間のうち一体何時間、無限に流れてくるツイートを見つめていたのかなと思うとちょっと恐ろしい。たぶん、控えめに見積もっても3年分くらいはtwitterを見てたんじゃないか。短文の情報の流れを浴び続けるのが心地いいんだよね。いろんな場所のいろんな人の生活の断片を覗いたり、新しいものを目にしたり。それ以上の深さはなかった。

ここのところ極端にtwitterが心地よくなくなっている。要素は色々あれど、結局、かつては「現実逃避の場所」だったタイムラインが「現実のしんどいところを濃縮したやつ」に変わってしまったからなのだと思う。
目をそらしてはいけない社会問題、政治、人権、差別、貧困、とかそういうこと。人生を考える人たちとか。個人が発言するためのプラットフォームとして変化したということでもあると思っていて、それ自体はむしろいいことなのだと思う。

まあ本当は気づいている。居心地が悪くなった本質的な原因は自分のほうにあるのかもしれない。私はそういう、目をそらしてはいけない話題を「フォロー」しながらも、ほとんど何もしてこなかったし、今もそれを明確に発信する人たちと一緒に行動できていない。そういう苦々しさを突きつけられるから居心地が悪いのかもしれない。こんなことをこんなところに、違うプラットフォームに逃げて綴っているのも。

日本国の東京圏生まれ。食うに困ったことはない家庭、虐待のない家庭育ち。国立大卒、9時-17時の総合職。都内在住。両親共に日本国籍、etc…
環境に恵まれているという自覚がある。

夜の新宿を歩いた。TOHOシネマズ横では夏のイベントが開催されていて、歌舞伎町ビルは観光客でいっぱいだった。ホストクラブのキャッチに何度も声をかけられた。年の離れた男女の二人組と何度もすれ違った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?