見出し画像

【日記】デモに初めて行って、人間がこわくなったりした

2023年11月10日(金)
人生で初めてデモに行ってみた。
今日の感想は今日だけのものだけだと思ったので、人生の備忘録として書いておきたいと思う。
だけど内容は、デモについてというよりも、大きな集団の一部になった感想。

参加したデモは、パレスチナへの連帯を示し、虐殺に抗議するというもの。場所は渋谷。
今までもデモに行ってみようかなと思ったことはあって、たとえば自分が大学生のとき、同年代の団体が活発に活動していた時とか、ちょっと賛成できない感じの法律が成立する前とか。だけどなんとなく、結局行ったことはなかった。今回参加に至った心境的な細かな経緯とかは、たぶん、ふつうの話なので割愛する。
だけど、あまりにも分かりやすく、抗議すべき問題だと思ったから参加できたのだと思う。

集合地点に着いた時にはもう大勢の人がいて、今までインターネット越しに見てきたデモの風景だった。
霧雨のなかでうっすらと、独特の熱気みたいなものがあって、率直な気持ちとしては、ちょっと怖かった。馴染めない、という感覚で、少し足がすくむ感じ。

主催の発表によると約4,000人が参加したらしい。かなりの大人数。色々な団体のノボリも立っていた。
参加者たちのスタンスは様々で、淡々とひとりで歩く人もいるし、友達同士ちょっと笑いながらおしゃべりしている人もいる。かと思えばさっきまでおしゃべりしていた人がマイクを持ってコールを先導したり、やけにハイな感じの人もいる。
最初私は無言で歩いていたけれど、周りを見ながら歩くうちに、一緒にスローガンを叫びながら歩くようになった。カジュアルなスタンスの同年代や、迷わず大きな声を上げる、おそらく移民や外国人観光客であろう人たちにエンパワーされた感じがあった。

だけど、ちょっと大きめの声を出しながらしばらく歩いていると、ふと、怖いことに気がついた。なぜか、自分の中に不思議な高揚感が湧いている。ほんの少しだけウキウキしているような気がする。

これはデモの趣旨がどうとかそういうことは関係なく、本当に怖かった。
正義感に基づいて集まって、同じスローガン叫ぶ集団の一部になった。私はついさっきまで足がすくむ気持ちだったのに、声を出して集団に溶け込みはじめたら、今は高揚感すら感じて、沿道の市民を啓蒙しようみたいな気持ちすら薄っすらと湧いてくる感覚があった。自分の、あるいは人間の心の恐ろしさを見てしまった感じ。
私はなぜ、なんのために、なにをしに、ここに来て声を出しているのだっけ。遊びに来たはずじゃないのに。

怖さを感じながら歩く私にとって心強かったのは、沿道からの好意的なリアクションが想像以上に多かったことだった。集団の熱狂のなかではなく、日常のなかにいて、デモの隊列とすれ違ったその瞬間に、自然に共感を表明する人たち。迷いも躊躇いもなく、ぱっと意志を示している、そういう人たちの存在が一番印象的で、心強かった。


今回のデモに参加して良かったと思っているし、またきっと参加すると思う。だけどこの先、こういう行動に参加すること自体に慣れたとしても、今日感じたおそろしさには慣れてはいけない。集団の熱気に染まったり、正義に陶酔したりすることがあってはならない。集団の一部になることの甘美さと恐ろしさを垣間見る経験になった。

何度も書き直して、上手く書けなかった気がする。
デモそのもの感想みたいなものは気が向いたらまた書きます。

おわり









この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?