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7月3日秋葉原ラストサンデー、赤松xふじすえxくりした、表現の自由候補の演説比較と、3候補に対する要望

2022年7月3日日曜日の秋葉原は、7月10日に迫った参院選へのラストサンデーとのことで、表現の自由を掲げる各候補が演説を競う日になりました。今回は他にも表現の自由を掲げる候補が多いのですが、たまたま筆者が7月3日に秋葉原にいてこの3候補の演説をハシゴすることができたので、その比較を書いてみたいと思います。

赤松健候補への印象『人気トップの目玉候補、演説はまだ不慣れ』

まずは赤松健先生。最初に言ってしまうと、演説で集めている人数はダントツに赤松先生が多かったです。現役漫画家という知名度、そして過去のマンガ•アニメ•同人誌に対する保護活動なども知れ渡っている。各種メディアの調査でも、まああんまり有利みたいなことを言ってしまうと逆効果になるので言いませんが、3候補の中では良い予測が出ています。

しかしながら、演説に対しては少し危なっかしいところを感じたのも事実です。漫画家は人前で話す職業ではないので、初めての選挙で緊張してしまうのは無理もないのですが、声にも内容にも焦りのようなものが出てしまっている。そこまで苦しい情勢ではないはずなのですが、もっと勝たなくてはという姿勢が前のめりに出過ぎているように思えました。

具体的に言えば、人を惹きつけなくては、もっと色々話さなくてはという緊張感とプレッシャーで少し早口になりすぎているんですね。政治家の演説って、実はたいていゆっくり、まるで歌うように話します。そうしないと聴衆がついてこられないし、そのリズムに聴衆を乗せていくみたいな所がある。赤松健先生は絶版漫画の閲覧で漫画家が利益を得られるようにする漫画図書館Zシステムなども作られた、とてもクレバーな方ですが、その頭の回転の速さで、政治家の演説のリズムとしてはいささか早口に回りすぎていたように聞こえました。

これは赤松健先生陣営が配っていた選挙チラシですが、不登校引きこもり児童支援、エンジニア支援など、表現の自由一点ではなく、読者である若年層やクリエイター支援の業績もあります。赤松健先生の娘さんもまた不登校であること、ネットを通じて社会とコミットしていることなども明かされました。

自民党からの出馬となり、激しい批判も浴びていますが、赤松健という作家が執筆活動を犠牲にして動かなければ危ういことになっていた場面がいくつもあったことは動かしようのない事実です。今回の表現の自由選挙の目玉であり、もっとも当選に近いところにいる候補でしょう。また、絶対に落選させるわけにはいかない、象徴的な候補でもあります。

ただそれだけに、演説で気になる点がありました。「もっと聴衆にアピールしなくては、心をつかまなくては」という焦りの影響なのか、いわゆる「ネットのノリ」に歩み寄ってみせるような場面がいくつかあるんですね。表現の自由イシューの中心になるマンガ作品に対するクレームを取り上げる時に特にそれは危ういようにも見られました。そのいくつかは既にツイッターなどで取り上げられて激しい批判のターゲットになっています。

一例を上げれば、演説の中で「行き過ぎたジェンダー平等→行き過ぎたジェンダー平等論」などと何度か批判に対応して表現を修正した発言もそうですが、これまで赤松健先生はSNSにおいてもこうした直接的な「相手陣営への批判、批判者への反撃」は極力避けてきた、なるべく直接の対決を避けつつ、表現者側に立つというスタンスであったと思います。それが今回、選挙演説でかなり対決的な表現に乗り出しているのは、おそらく何かしら、選挙参謀的な存在からの指示もあるのかもしれません。

これは赤松健候補がおそらく当選するという予測のもとに、当選後の政治家としての活動に対する要望をかねて書くのですが、いわゆるSNSでの「オタ•フェミ論争」的なスタンス、「ケンカを買う」的なスタンスは危うい。政治家としても、文化保護活動としても非常に足を取られやすくなると思います。おそらくはこの選挙で誕生する政治家•赤松健は、山田太郎の比ではなく表現規制陣営にとっての目の上のコブ、賞金首になるはずなので。

一般の人たちは、ツイッターで何が起きているかなどほとんど知りません。マンガアニメ作品に対する批判、クレームの一部がどれほどエスカレートしているかも知らない。そうした一般の人たちの目には、政治家•赤松健の「反撃」だけが見え、「フェミニズムや女性に対して攻撃的な人物だ」という印象を与えてしまう可能性がある。あるいは批判者によってそうした「悪者」アピールが一般社会にされていく可能性があると思います。それは表現の自由運動そのものに影響しうる。

「鬼滅の刃」など多くの作品をめぐるSNS論調の変遷を見れば一目瞭然ですが、作品に対して激しい糾弾が行われた数ヶ月後に「そんな批判はほとんどなかった」という論が出ることはザラです。ネット運動の波が過ぎればツイートを消し、アカウントに鍵をかけて証拠が消える、という戦術はもう常套手段になっています。そうした変幻自在のSNS言論に対して「殴り返す」スタンスを政治家として取ってしまうと、相手の激しい糾弾運動は幽霊のように姿を消し、「あの政治家は市民運動を殴った」という形だけが作られることになる。「冷笑•嘲笑」のトーンでは表現の自由は守れず、逆に大きな隙、攻撃の口実を与えることになる。赤松健先生はこれまでSNSでそうした動きは謹んできたと思いますので、今回の演説の中で見せたいくつかのトーンが何かしらの「指導」であるとしたら、今後はいつもの赤松健先生に戻ってほしいと思っています。

何度も言うようにこれは国会議員•赤松健の誕生を前提とした苦言になりますが、もう少しガードを固めて発言に慎重を期してほしい。実際、秋葉原の演説でも、ネットのやり合いを取り上げてアピールするような部分が聴衆に受けていたかというとそうでもなく、「うーん、それはまあ」という微妙な反応でした。赤松健先生もなんとなくその「あれっ」という空気は感じていたと思いますので、当選後の活動スタンスに活かしてほしい。マンガアニメファンの表現の自由運動の強みは男性も女性も内包しているところで、これがネットの男女論争や、自民党的なドグマに飲まれてしまうことは避けたい所です。

ふじすえ健三候補への印象『実績•能力は抜群、穏健で専門知識もある実務家』

さて、同じ自民党から同じ全国比例区に出馬するふじすえ健三現職議員です。ある意味では赤松健候補とバッティンがする形になってしまったこともあり、現在は各メディアの予測で苦戦、当落線上と言われています。

しかし今回、演説やSNSでの発言、過去の実績などを見て、かなり優秀な実務家、仕事のできる政治家と思わざるを得ませんでした。選挙チラシを掲載します。

障害者支援のところで「障がい者」という書き方をしていて、これってかなりリベラル寄りの人たちが「障害者の害の字ははよくないんじゃないか」という意見のもとに始めた、ある意味ではポリティカルコレクトな表記なんですよね。この表記の是非については諸説分かれている点ですが、あの自民党にいてこういうところにセンシティブな配慮ができる、それでいて「表現の自由を守る」というスタンスを明確にできる政治家は非常に貴重です。

他の業績を見ても核兵器削減、父子家庭支援など穏当でリベラルなものが多く、元々ふじすえ健三議員は民主党からスタートした政治家なんですね。演説を聞いていても、表現の自由については明確に擁護するスタンスを表明しつつ、マイノリティや女性を攻撃したり、当てこするような発言は一切ありませんでした。正直に言ってしまうと3候補の中で政治家としての実力が一番あるのはふじすえ健三議員だと思います。赤松健先生には山田太郎氏だけでなくふじすえ健三氏のような政治家と親交を持ち影響を受けてほしいと期待するのですが、自民党内での距離はあまり近くないのかもしれません。

とにかく視野が広く、NFTや暗号通貨の日本の税制がこのままではコンテンツの世界展開にネックになる、というような専門的な話がよく分かっている。自民党でこんなにこの分野に詳しい人は少なく、これが伝われば表現の自由とはまた別に、IT分野で欠かせることのできない政治家であることがその業界の人には分かるのではないかと思うのですが、残念ながらまだ伝達が行き渡っていないのかもしれません。

自民党かあ…と思いつつ、ふじすえ健三現職議員の過去の経歴、実績、そして演説でのよく考えられた言葉を聞いていると、やはりこのまま落選させるには惜しい。苦戦が伝えられており、危機感煽りではなくどうも本当に当落線上にあるらしい、と聞くと、なんとか残ってほしいと思う所もあります。選挙全体としては、自民党には議席を減らしてほしい所なのですが、個々の政治家としては社会を良くしてくれそうな人もいる。難しいところです。

くりした善行候補への印象『本来のリベラル野党の再生を担う新人候補、立憲民主非主流からの立て直しに期待』

最後はくりした善行候補になります。正直に言って秋葉原の演説では一番聴衆が少なかった。これは赤松健先生のような知名度がなく、ふじすえ健三氏のような現職与党国会議員としての基盤もなく、立憲民主党という、今や支持率ヒトケタまで落ち込んだ野党の新人候補ということを考えるとやむを得ないところかもしれません。チラシをアップロードします。

漫画家の森川ジョージ先生、赤松健先生と友人でもちろんそちらがメインに応援されていると思いますが、くりした議員のチラシにも写真掲載の許可を出してくださっています。赤松健先生と全国比例で競合にはなっても、表現の自由という理念をそれだけ重要に思っているということなのでしょう。

くりした善行候補の秋葉原演説には、もちろん表現の自由というイシューが強く押し出されていました。ただそれと同時に、民意から遊離した野党、一部のエリートと政治関係者の思惑で揺れ続ける立憲民主党をもう一度、広く大衆に支持される政党に戻したいというメッセージを感じました。

『ジェンダー平等との融和』という語句がくりした善行候補のビラにはあり、これは赤松健先生の「行き過ぎたジェンダー平等で表現の自由が…」といういささか危うい表現とは違う、くりした善行候補の考えがよく出た部分だと思います。男女平等、制度の改善、そうしたリベラルな改革は進めつつ、仮想表現の中で自由は守っていく。極めて真っ当なリベラル論で、本来は枝野幸男氏もそうであったようにリベラル政党の本流であったはずでした。

でも今、野党はそうはなっていません。それはくりした善行候補の演説の中にも織り込まれていて、立憲民主党の支持が下がる中、もう一度自由で開かれた場所からリベラル政党を立て直したいという、焼け跡からやり直すような希望を感じました。

立憲民主党はこのままではまずい、とても二大政党制の片方を担うような政党になり得ていないというのは多くの人が感じている所です。くりした善行氏はその「リベラルの立て直し」にビジョンを持っており、それは共感できるものでした。

先日、神奈川選挙区で立憲民主党のトラブルがまた起きました。元々支持率が低い中で一本化できず、5人区に2候補を立てた末に、人もお金も使い切った投票4日前に片方を選び片方を切り捨てるという宣言。立憲民主党の迷走を象徴するようなお粗末な事態ですが、くりした善行候補は県連本部から切り捨てられたてらさき雄介候補の応援に立ち、センター南駅でのビラ配りに参加していました。

それはくりした善行候補が立憲民主党の中で必ずしも主流派ではない、ある意味では切り捨てられる側の非主流派の政治家であるということでもあるのかもしれません。でもそうした、トカゲの尻尾のように切り捨てられたように見える生きた組織から、本来の遺伝子が目覚めて再生していく、そうしたリベラル再生への期待をくりした善行候補にかけたくなるのも事実です。

さて、3候補の比較は以上になります。他にも表現の自由候補は多く、またAV新法やSW従事者差別に対する問題意識で出馬した要友紀子候補など新しい動きも注目なのですが、今回は秋葉原で見た3候補の比較にとどめさせていただきました。正直に言って票が割れて苦戦してしまう面もあるかもしれない中ですが、投票の参考にして頂けたら幸いです。

長くなり過ぎましたので、無料部分はここまで、月額マガジン部分では、3人の候補の中で結局筆者が1番推すのは誰か?ということ、これは個人的なことなので書きたいと思います。

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絵やイラスト、身の回りのプライベートなこと、それからむやみにネットで拡散したくない作品への苦言なども個々に書きたいと思います。

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