365分の1のお弁当が、息子を悲しませた理由
息子の年に1度の遠足は、料理がきらいなわたしにとっては苦行オブ苦行のお弁当づくりが課せられる日でもあり、そんなわたしの悲哀と、観音様にお墨付きをいただくまでの壮大なスペクタクル日常は、昨日書いたとおり。
遠足から帰った息子はごきげんで、どんな道を通ったとか、お友達とどんな話をしたとか、どんな遊びをしたとか。夢中になって素晴らしい1日の出来事をたくさんたくさん話してくれた。
わたしもとてもうれしい気持ちで、息子の話を聞いていたのだけれど、うん、だいぶ序盤から気になってはいたんだけど。この次かな、この次かなって思いながら、お話いっぱい聞いてたんだけど。
なんで…お弁当の話、まったく出てこないの?
おかあさんが血反吐吐きながら(吐いてない)作った、あのお弁当。もちろん食べたんだよね?あんなに楽しみにしてたもんね?
なんで…まったく話題にならないの?
わたし、辛抱という言葉を知らないので。もう聞いたよね。あまりにも息子が話さないから、こっちから「お弁当はどうだったー?」って、なにげないふりして。思いっきり聞いたったよね。
「食べたよー」
「おいしかったー?」
「うん」
「うれしかった?」
「うん」
え、淡白すぎない?
こんなもん?幼時の、お弁当に対するパッションってこんなもん?
違うよね?まず、いつものおかずが弁当箱に入ってるっていうだけであげぽよ(死語)だよね?そんでもって、それを遠足で!屋外で!レジャーシートの上で!お友達と!食べるなんて言ったら、そりゃもうみんな大好きエレクトリカルパレードも飛び出す勢いのお祭り騒ぎだよね?♪テンテレテンテンテンテレテレテレ
息子の様子がおかしい。普段から幼児のくせにクールなところはあるけれど、あんなに楽しみにしていたお弁当の話をしたがらないのは明らかに変だ。
「どうしたの?」
わたしがそう言うと、息子はわたしの腕にそっとからだを寄せて、ちいさなちいさな声で打ち明けた。
「お弁当の、すみっコの、かまぼこ…落としちゃって…食べられなかったの…」
あ、ああ、ああああああああああああああああ!!!!!!
息子の顔がみるみる泣き顔になる。
そりゃそうだ。それはきっと息子にとっては思い出しただけで泣きたくなるほどの悲しい出来事だっただろう。
息子の大好きな「すみっコぐらし」のかたちをしたかわいいあのかまぼこは、息子がスーパーで見つけて目を輝かせながら「これ、絶対にお弁当に入れてね!」と言っていたもの。息子にとっては今回のお弁当のメインディッシュでもあっただろう。それを落としてしまったなんて!食べられなかったなんて!
涙をこらえながら話してくれた息子をぎゅっと抱きしめる。
「そっかあ、それは悲しかったねえ。でも大丈夫だよ!まだすみっコのかまぼこあるからね!今日の夜ごはんのときに食べよう!」
息子は黙ってうなずいてくれたけれど、きっとわたしの代案はほんのささいな埋め合わせにしかならなくて。本当は、あのかまぼこを「お弁当」で食べたかった、みんなといっしょに青空の下で、遠足のときに食べたかった息子の気持ちがわたしまで泣きたくなるほど、しっかりと伝わってきた。
たかが弁当、されど弁当。
息子にとって、このお弁当がどれだけ楽しみなもので、自分で選んだ「すみっコぐらし」のかまぼこがどれだけ彼にとってかけがえのない宝物みたいな存在だったかを思い知った。
ああ、こんなにもこんなにも、あのお弁当に期待していてくれたのか。
わたしなんかが作る面白みもないお弁当を、息子はこんなにも大切に思ってくれていたのか。
ちょっと、これもう「BENTO」ってタイトルで映画撮ろ。
全米、ガンガンに泣かしたろ。
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息子とわたしの見ている世界は違う。
彼は自分の周りのささいなことをとても大切に思い、ちいさな喜びをからだいっぱいに集めて生きている。なんて素敵なんだろう。
365分の1のお弁当は、やっぱり前向きに作る気にはなれないんだけど、この日わたしにとても大切なことを教えてくれた。
わたしのがんばりが、息子を喜ばせている。
すこしだけ、自信がついた。
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これで、365分の1のお弁当のはなしは、本当におしまい。
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