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息子にどんなひとに育ってほしいか、なんて考えたことがない

息子が2歳の頃、ママ友が幼稚園選びについて、あそこの幼稚園は厳しくしつけてくれるとか、あそこの幼稚園はのびのび生活させてくれるとか、さまざまリサーチした結果を話してくれた。
うちの子は0歳から保育園に通っていたし、わたしはただの興味本位でその話を聞いていた。幼稚園はそれぞれ特色が強くて選ぶのも大変なんだなあ、なんてとても気楽に。

「あそこの幼稚園は芸術的感性を育てることに力を入れてるみたいだけど、それよりまずはやさしい子に育ってほしいって思ってるから、他の園に決めようと思ってるんだ」

ママ友のその言葉に、たぶんとても適当に相槌を打ったと思う。そうなんだーとか何とか、そんな感じ。しっかり考えてるんだなーとか、そんなことを思いながら。


最近になって、なぜかそのときのやり取りを思い出した。

そして、ふと気づく。

あれ、わたし、息子にどんなひとに育ってほしいか考えたことないな。

息子を産んでから今日まで、彼を育てるうえで思い続けてきたことは、とにかく自分の力で生きていける大人に育てること。わたしがやるべきことはきっとそれだけで、あとはもう息子のお好きに、と思いながら育児をしてきた。

素敵なお友達ができるといいね、とか。大好きなことをたくさんできるといいね、とか。そういうことはもちろん思うけれど、そのための具体策なんて別にこちらからプレゼンする気もないし(もちろん相談があれば応じるけど)、まして「やさしい人」とか「かしこい人」とか、そういう形容詞で息子についての理想像みたいなものを想像したこともなかったな、と。

まあ、息子の人生は息子のものだし。
息子が好きに生きればいいよ。

何の因果か、わたしは息子の親で、息子はわたしの息子なんだけど。関係性としてはたったそれだけのことで。息子がこの社会でちゃんと自立して生きていくことができるための術を与える以外、わたしにはとくにやることもないし。
逆に、自分の親に「あなたにはこういう子に育ってほしかった」とか、まして「あなたがこういう子になるために、親としてこういうことをした」とか言われたら、ウルセー!としか思わないよねっていう。

むしろ、子育てってゲームじゃないんだから。思うように育たないほうが楽しくない?いや、もちろん他人を傷つけるような困ったちゃんはダメだけど。
息子が好き勝手に生きて、わたしを面白がらせてくれたり、驚かせたりしてくれるほうがきっとずっと楽しいと思うんだよな。うん、きっとそれが自分じゃない「他人」を育てる醍醐味だよ。

これからもわたしは、息子に「どんなひとに育ってほしいか」なんて考えない。
だけど毎日、息子が「どんなひとに育つんだろう」というわくわくした気持ちで満たされている。

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